「……え、あれ? もしかして怒ってる?」
「怒っちゃいねぇよ」
 それでもまだ心配そうに見ているので、安心させようとKKは静かに繰り返した。
「別に怒ってはいない。ただ訊いてるだけ」
 けれど、MZDはなにも言わなかった。KKは煙草の灰を叩き落としてもう一度訊いた。
「俺はなんて言ったらいいのかな。なんて言えばお前は満足してくれるのかな」
「……なんて……って、言われても……」
「じゃあなにかする方がいいのかな。別になんでもいいよ。お前が満足出来るんだったらなんでもするけど」
「え……あの、それはさ」
「うん」
「……それは別に、KKが自発的になにかしたいって思ったから訊いてるわけじゃないよね?」
 しばらく考えたあとにうなずいた。
「まぁそうだな」
「……どうしたら俺がちょっかい出さなくなるのかって、それを訊いてるんだよね?」
「うん」
 煙草をもみ消して、またKKは思う。
 俺になにを期待してるんだよ。
 MZDは茫然とこちらを見下ろしている。やがて口元をひきつらせて笑い、
「あれえー。なんだ、俺やっぱ嫌われてたんかぁ」
「別に嫌っちゃいねぇけど」
 ぐっすり眠ったせいだろうか。多少わずらわしいと思いながらも、今は落ち着いて話が出来た。こんなことは滅多にない。ある意味影に感謝、だ。
「嫌ってるわけではないよ」
「……眠れないから居てくれって、言ったもんね」
「あれはわざと」
「え? ……え?」
「お前だったら絶対に断らねぇだろ」
 MZDは混乱した顔で考え込み、不承不承という感じでうなずいた。
「お前が一番居てくれる確率高そうだから呼んだだけ。だから嫌ってないっていうことでもない。別に誰でも良かったんだよ。俺、そういう人間。――知ってるよな?」
「…………知ってる」
 知ってるけど。
 呟いたMZDは茫然と視線をさまよわせた。KKがもう一本煙草を吸おうかどうしようかと迷い始めた瞬間、不意に奴の目から涙が落ちた。
「……え? あれ? や、ちょ、待った、これなし」
 あわてて目をこすり、
「いやーびっくりしたー。なに俺泣いてんのー?」
 誤魔化すように笑ってみせるが、その笑顔が突然固まった。息を詰めて、少しのあいだ声もなく泣いた。
「ごめん、……ちょっと、びっくりして」
「別にいいけど」
 KKの方は静かなままだ。結局煙草を取り出してもう一本吸った。そのあいだMZDは声を殺して泣き、何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着かせようとしていた。
「え、や、あのさ、別になにして欲しいとか、そういうのはないんだけど」
 そうしていきなり話を本題に戻した。
「……したくもないのにしてもらったってさ、別に嬉しくないじゃん」
「そ」
 MZDは目線を下に据えたまま、ひとつひとつの言葉をきちんと吐き出していった。そうしないと理性が抑えられないという空気があった。まだ泣き足りないようだ。
「えー、じゃあさ、やっぱ俺が引っ付いたりって、あれ、迷惑だったわけ?」
「……まあ多少はな」
「だったら言えよ! えー、なんだよ、俺バカだから言われなきゃわかんねぇのにさ」
「うん、それは悪かったと思ってるけど」
 今更おせぇよと笑いながら蹴りつけてきた。その目にはまだ涙がにじんでいた。なにすんだよと笑って足を叩いた時、またいきなり奴の笑顔が凍りついて涙が落ちた。
「……びっくりしてるだけだから、気にしないで」
「うん」
「なんかね、もうちょっと早く言って欲しかったんだけどなあ」
「……そだね」
 似た言葉はいつも投げかけているつもりだった。そう言えばそうだ、こんなことを言うぐらいなら、いっそのことここへ来なければ良かったんだ。何故ここが切り捨てられなかったんだろう。
 便利だから? 勿論それもある。じゃあ、あとはなに?
「俺は、お前のこと好きなんだけど。冗談じゃなくて」
「あっそ」
 そりゃどうもと言ってKKは煙草を消した。その様子を見ていたMZDは、突然苦笑した。
「お前ってほんっと、全部がどうでもいいんだな」
「あ? どういう意味よ」
「自分が快適に過ごせればなんでもいいんだろって悪口言ってんの」
 ようやくいつもの意地悪そうな目付きに戻ってMZDが言った。KKはしかしその言葉を鼻で笑い、
「お前だってそうだろ。自分本位で生きててなにが悪いんだよ」
 埃を払いながら立ち上がる。そうして見下ろすと、奴は唇を噛みしめてじっと睨み返してきた。
「――KK」
「なに」
「KK好き」
 ――またか。
 KKは眉間に皺を寄せて考え込む。こいつはそう言って俺になにを伝えたいんだろう。意味のわからない言葉は雑音と同じだ。どう受け止めていいのかわからず、結局は宙に放り出すしかないのに。
「聞いてる?」
「聞いてるよ。俺が好きだってんだろ」
「……そうだよ」
「だからありがとさんっつってんじゃん」
「……」
「明日、何時?」
「え?」
「イベント」
 MZDは途方に暮れたような顔で、九時、と答えた。
「店はその前から開けてる。終わりはいつも通りだけど」
「わかった」
 じゃあな、と言ってKKは手を上げた。MZDは、うん、と力無く答えただけだった。


 ――今が忙しくて良かった。
 MZDはマイクを握りながら頭の片隅で考える。
 年が明ける直前にKKの姿をフロアで見かけた。パーティー関係の人間を大勢呼んでいるので、自分が構わなくても大丈夫なのが有り難かった。懐かしい顔ぶれと新年を祝いながらMZDはまた考える。
 ――俺ってホント、成長しねぇのなあ。
 そうして、不意に泣きたくなってしまった。影が申し訳なさそうにうなだれていたのが逆に救いだった。慰められるのは性に合わない。気にすんなよと叱るように声をかけ、っつうか落ち込んでる暇なんかないじゃん俺、と準備に駆けずり回ってようやく今日を迎えた。
 新しい年が明けた。また今年もたくさんのハッピーに出会えますように。
「ねーねー、みんなで初日の出見に行こうよ!」
 酔っ払った声で誰かが言った。賛同の声があちこちから上がり、よしじゃあ行くかとMZDが音頭を取る。イベント終了後の午前五時半、希望者を募って店を出た。誰かがKK居ないよー? と騒ぎ始めたが、多分帰ったか部屋で寝ているかのどちらかだろう。今のMZDには、捜し出して無理やり引っぱってくる気力は残っていなかった。
「いいじゃん。行きたい奴だけで行こうぜ」
 サイバーが、お年玉くれないのー? とわめきたてるのを殴りつけてMZDは歩き出した。辺りはまだ暗かったが星の姿も少なくなっていた。じきに夜が明ける。
 ――実際、KKは部屋で眠っていた。大晦日の晩、最後の「仕事」を終えたあと、気がゆるんで少し飲み過ぎてしまったらしい。目が醒めたら昼を過ぎていた。ぼんやりと起き出せば、当然のように店は閉まったあとだった。
「……」
 コーヒーをもらおうかコーラにしようか少し悩んだあと、冷蔵庫を開いてコーラの瓶を取り出した。金をカウンターに置いて栓を抜き、そのままラッパ飲みする。
 しばらくカウンター席に腰を下ろして無人のフロアを眺めていたが、ふと控え室のドアが目に付いてKKは立ち上がった。礼儀としてノックをし、返事が無いのを確認したのちにドアを開ける。
 誰も居ない。
 当然だ。誰も居るわけがない。
 わかっていた筈なのに、どこか目の前の現実を認識出来ない自分が居た。何故だかわからないまま腹の底に不快感を覚え、小さく舌打ちをすると、勢い良く扉を閉めた。
 その場で何度か床を蹴りつけた。どういうわけか腹立たしくてたまらなかった。


 一ヶ月ほど、のんびりとした日々が続いた。無事に年越しのパーティーを終えることが出来て、思った以上に客も入ったし、オーナーとしてはかなり満足出来る年明けだった。
 だが準備が忙しかったせいか、反動でここしばらくのMZDはまるで気が抜けていた。連日店に姿は見せるものの、ぼんやりとした顔つきで客を迎えては気の抜けた挨拶を交わした。
「……なんかさぁ」
 開店直後、カウンター席に陣取ったMZDは、フロアを眺めながら呟いた。
「来月辺りに、もっかい大晦日が来てもいいよね」
「僕は嫌です。絶対に嫌です」
 カウンターのなかでグラスを磨きつつバーテンの晃が答えた。なんでよ、とMZDが訊くと、晃は困惑した表情で首をすくめた。
「ああいうイベントは年に一回だからいいんじゃないですか。っていうか、準備大変だったし」
「それがおもしれーんじゃん」
 カウンターに突っ伏してMZDはぼやいた。そうして、近々またなにかやろうかなとぼんやり考え始めた。
「――こんばんは」
 晃の声に顔を上げると、すぐそばにKKがやって来ていた。にこやかに笑う気にはなれず、よ、と呟いて手を上げただけで終わりにしてしまった。KKも軽くうなずくばかりでなにも言いはしない。
「なに飲みます?」
「コーヒー。――あ、やっぱりビールくれ」
「はい」
 隣の席に座り込んだKKは上着のポケットから煙草とライターを取り出してカウンターに置いた。そうして晃からビールの入ったグラスを受け取り、ゆっくりと飲み始めた。
「最近、どうよ」
「なにが」
「仕事は」
「まぁ、ぼちぼち」
「ふうん」
 KKは煙草に火をつけ、天井へ向けて煙を吐き出している。その横顔を眺めたあと、MZDは視線をそらせて頬杖を突き、目の前のコーラの瓶を見下ろした。
 あーあ。
 ――なんでこんなことになっちゃったかなあ。
 暗い気分でMZDは考える。KKにあそこまではっきりと拒絶の意を示されたのは初めてのことだった。勿論今までに何度も喧嘩はしてきたが、口調が冷静だった分、心にこたえるものはいつも以上にあった。
 年が明けて以来、数回こうして顔を合わせているが、いつも当たり障りのないことを話して終わってしまう。
『俺はなんて言ったらいいのかな』
 別に特別なにかを言って欲しかったわけではないし、なにかしてもらいたかったわけでもない。これがあれば満足出来る、なんて、形で示して欲しかったわけじゃないのに。
 二人のあいだにはBGMが流れるばかりだ。バーテンの晃も空気を察してか、話しかけようとはしなかった。
 やがてビールを飲み終えたKKはカウンターに金を置き、ごっそさんと呟いて立ち上がった。そのまま振り返りもせず部屋へと向かう。MZDは頬杖を突いた格好のままでその背中を見送った。
「なんか、最近のケイさん、機嫌悪くないですか?」
「生理なんじゃね?」
「……あの、」
「冗談だよ」
 扉が閉まった。KKの姿はキレイに消えた。MZDは指でメガネをずり上げ、少し考えたあと、同じように立ち上がった。


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