「ちょっとKKと遊んでくる」
「あ、はい」
 だが神の足取りは重い。
 別に嫌ってるわけではないよという言葉と、別に誰でも良かったんだよという言葉が頭のなかでぐるぐる回っていた。両方の言葉を天秤にかければ、KKにとってどっちの方がより比重が大きいかは明白だ。
 それでも、顔を見れば心が騒ぐ。声が聞きたい、さわりたい――と思うから嫌がられるのか? 欲望に忠実過ぎるのがいけないのかな、などと一応反省しつつMZDは扉をノックした。
「起きてるー?」
 返事が聞こえることはないので、それ以上言葉はかけずに扉を開ける。そっとなかをのぞくと、ソファーに横になったKKが雑誌の隅からちらりとこちらを見遣り、また視線をそらせるのが見えた。
「ちょっと居ていい?」
「……勝手にしろよ」
 雑誌に目をやったまま、手探りで煙草の灰を叩き落としている。MZDは部屋に入って扉を閉めた。雑誌の山を探り、まだ読んでいない一冊を拾い上げる。そうしてソファーに寄りかかるようにして床に座り込み、ページを開いた。
 けれど、なかなか文字が頭のなかに入ってこない。二三度繰り返し同じ文章を読み、それでも意味が把握出来ないので、仕方なくあきらめてグラビアを眺めるにとどめた。
 いくらか経ったのち、KKが雑誌を床に落とした。手を伸ばして灰皿をテーブルに置こうとするので、代わりに受け取って置いてやった。ども、と呟いたKKはタオルケットを首元まで引き上げて、早くも眠る準備をしていた。
「今日は朝まで居るん?」
「一応その予定」
「何時に起きるの? 起こしてやるよ」
「……なに機嫌取ってんの」
 なんとなく引っかかる言い方だ。MZDは眉根を寄せて振り返った。
「別にそんなつもりはないんだけど」
 KKは少し考えるような素振りを見せた。タオルケットから手を出して無精髭だらけのあごを少し掻き、不意に半身を起こした。ソファーの背もたれに片腕を乗せて、なにか言おうと口を開きながらも、言葉が出ないでずっと考え込んでいる。
 またなにか言われるのかな、とMZDは身構えた。迷惑だったら出ていくよと呟いたが、KKは聞いていないのか、反応がない。
「お前は――」
 ようやくこちらを向いた。
「なんでそんなに俺に構うの」
「……や、だから迷惑ならさ、」
「そういうことじゃねぇだろ」
 そんなこと言ってねぇだろと不快そうに繰り返す。MZDは突然逃げ出したくなった。なんだか最近、怒られてばかりのような気がする。
「……なんで、って訊かれてもなぁ……」
 頭を掻いて考えるが、上手い返事が思い付かなかった。理由などあっただろうか? そもそもこの程度だったら誰彼構わずいつもしていることだ。
「あんなこと言われといてよ」
「……」
「普通なら腹立てておしまいだろ」
「……だから、それはさあ」
 何度言ったらわかってくれるのだろう。何度言ったら伝わるのだろう。いつもその言葉を口にするたびに、底なしの真っ暗な穴のなかに語りかけているようで落ち着かなかった。
 今も言おうとして言葉に詰まる。『聞いてるよ』と言いながらも、KKがそれを理解していないのはばればれだ。
「……好きだからって言ったじゃん」
 KKは渋い顔で黙り込んでいる。
「って言うかさ、俺ばっか好き好き言っててなんかバカみたいなんだけど。いやお前がそういうの理解出来ないっていうのはわかるけどさ、迷惑だったら迷惑だって言ってくれりゃいいしさ、嫌いなら嫌いって言ってくれりゃ俺も素直にあきらめつくのにさ。――って言うか、俺たち今なにに関してもめてんの? なんかこれ痴話喧嘩みたいじゃねえ?」
「わけわかんねぇよっ」
 煙草の箱が飛んできてMZDは口をつぐんだ。床に転がったのを、腕を伸ばして拾い上げる。
「……俺も、たいがいバカで申し訳ないとは思うんだけど」
 煙草の箱を渡しながらMZDは言った。
「なんかさ、最近お前が機嫌悪いの、理由がわかんなくてやきもきしてるんです。教えていただけたら幸いです」
「……」
「なんでそんなこと気にすんのって訊かれたら、まあ、友達だからとしか言いようがないんだけど。好きだからとかそういうのは関係なしにさ。――いや、勿論好きだからってのもあるけど」
「……」
「…………はっきり、嫌いだって言ってくれた方が嬉しいんだけど……」
 なんだか泣きたくなってきた。こんな話をするつもりではなかったのに。これではどうしたって玉砕しなければ収まりがつかない気がするのだが。
 目を上げると、KKは煙草の箱を受け取ったまま、じっとこっちを見下ろしていた。そうして突然不快そうに眉をひそめ、
「口先だけならなんとでも言えるよな」
「……KKさぁ、」
「好きだなんだ言っときながら、平気で俺のこと無視するくせにな」
「――なにそれ」
 思いも寄らぬことを言われて、つい大きな声を出してしまった。KKは箱から煙草を引き抜き、いらいらと火をつけて吸い込んでいる。
「俺がいつ無視したよ」
「……したじゃねぇか」
「だから、いつ」
「元旦」
 ひと月以上も前のことだ。MZDは腕を組んで当日の自分の行動を思い返してみた。確かあの時は年越しパーティーがあって、終わったあとみんなで初日の出を見に行った。KKは寝てるだろうと思って声はかけなかった――そんな気力は残っていなかった。あんなことがあった日なのだ。
「……え? もしかして、それでずっと機嫌悪かったの?」
「悪くねぇよ」
「…………もしかして、それで怒ってたの?」
「怒ってねぇよ!」
 怒鳴り返す様は明らかに怒っている。MZDは灰皿を渡してやりながら、もう少し詳しく行動を思い返すことにした。
 みんなで初日の出を見た。腹が減ったので飯を食った。店には電話で連絡を入れて、そのままスギと一緒に家へ帰った。
 KKがその時どうしていたのか――部屋見てきましょうかと晃が言ったが、いいよと言って断ってしまった。だから、どうしていたのかは知らない。
 まだ寝ていたのか、それとも帰ってしまったのか。
 なんとなく腑に落ちるものがあった。
「あのさ、前からちょっと訊きたかったんだけど」
「なんだよ」
「前はよく、俺が帰る時は起こせとかさ、起きるまで居ろとか言ってたけどさ。あれってもしかして、俺だから言ってたわけ?」
「……」
「俺に居て欲しいっていう意味でいいのかな」
 KKは煙草の灰を叩き落として眉間に皺を寄せた。
「……そういう話してたか?」
「ちょっ、大事なことなんだからちゃんと答えて」
 思わず叱りつけるような言い方になってしまった。KKは怪訝そうに眉をひそめ、しばらく考え込んでいた。
「だいたい店にはお前が居るじゃん」
「ああそう」
「お前だったら、結構無茶言っても聞いてくれんじゃん」
「うん、まあね。惚れた弱みでね」
 一瞬不快そうに表情を曇らせたが、気にしないことにした。
「そんで、こないだは起きたら俺が居なかったから、怒ってたんだ。俺が勝手に帰っちゃったから」
「別に怒ってねぇしお前が居なかったからってわけでもねぇし」
「うん、そうね」
 MZDはソファーにもたれかかってKKの足を叩く。ついさっきまではあんなに暗い心持だったくせに、今は嬉しくて笑い出したくてたまらない。
「前から疑問だったんだけどさ、店で寝るのってうるさくないのかな」
 実際今も音楽は聞こえているし、話し声も笑い声も筒抜けだ。イベントなどあった日には騒々しくて眠るどころではないような気がする。だけどKKはあっさりと首を振った。
「なんか聴こえてる方が落ち着くんだよ。気配とかあった方がさ」
「そっか。――元旦の時は何時に起きたの?」
「昼ぐらいかな。誰も居なくてよ」
 まぁ当然だけどなと不機嫌そうに呟いた。
「KK」
 MZDはメガネを外して目をこすった。
「教えてあげよっか。それ『淋しい』って言うんだよ」
 呆気に取られた表情でKKが振り向いた。
「……違うよ」
「違わないよ。俺が居ると思ってたのに居なくて腹立ったんだろ? なんか、むしゃくしゃするーとか思ったんじゃないの?」
「……」
「置いていかれて、淋しくって怒ってたんだよ」
「違うよ」
 少しのあいだ考え込んでいたかと思うと、KKはいきなり煙草を消した。困惑した目でこちらを一瞥し、
「……違うよ」
 片手で口元を隠してうつむいた。
「なんだよ、それ」
 しばらく経ってからKKが怒ったように吐き捨てた。
「ガキみてぇじゃねぇか」
 だが思い当たる節があったのだろう。顔を真っ赤にしてうつむいている。
 前髪に手を伸ばすと驚いたように身を引いた。けれどMZDはゆっくりと立ち上がり、背中に腕を回して静かに抱きついた。
「KK」
 嬉しくてたまらず、今にも叫び出してしまいそうだ。
「あのな、勘違いすんなよ。利用してるだけだぞ」
 あわてて体を離しながらKKが言った。
「いいよ、別に」
「便利で使い勝手がいいからってだけだぞ」
「いいよ、それでも」
 もう一度抱きつき、抱きしめた。
「……なんで、それで平気なんだよ」
「KKと一緒だから」
 わけがわからないと言いたげにKKが顔を上げた。MZDはそれに笑いかけて、繰り返した。
「KKと同じだよ」
 ――俺のこと忘れないで。
 そこに居ることを思い出してもらえればそれでいい。心のなかに残ることが出来れば、それでいい。別になにも望まない。俺はここに居るから。
 だから、俺のこと忘れないで。
 KKは茫然とMZDの顔をみつめていたが、やがて意味を悟ったのか、静かに笑った。
「お前はいいよな」
「なんで?」
「死なねぇもんな」
 言った瞬間、後悔するように唇を噛みしめてうつむいた。今のなし、と消え入りそうな声で呟いて首を振る。
 ――ああ、そっか。
 自分のことで手一杯で、すっかり忘れていた。
 MZDは同じように言葉を失っている自分に気が付いた。下手な慰めの言葉も口に出来ず、そっと髪を撫で、ただ抱きしめた。KKはおとなしく抱かれていた。目を閉じて、まるで祈るように。
 ハッピーニューイヤー。
 タイムリミットはあと四年。


ゼロ地点/2008.02.16


back 音箱入口へ