「頭冷えたか」
 不意にMZDの声がした。振り返るとあぐらを掻き腕を組んだ格好で宙に浮き、こちらを睨み付けていた。KKは何度か呼吸を繰り返したのちに銃を構えた。そうしてしばらく睨み合っていると、突然周囲に浮かぶ黒いものが動きだした。それはKKの手から銃を奪い取り、あっと言う間に全身にまとわりついてくる。
「ちょ……っ」
「行くぞ」
 そう言ったなり、MZDはこちらに背を向けてどこかへと移動を開始した。それに呼応するかのように黒いものも、KKを包み込んだまま動き始めた。
「ちょ、なんなんだよこれ!」
「うるさい。黙って付いてこい」
「付いてこいって……っつうか俺動いてねえだろ! なんなんだよこれ、離せよ!」
 MZDが止まった。憤怒の形相で振り返ると腕を振り上げ、こぶしで頭をぶん殴ってきた。
「じゃかましいわ、ガキンチョが!!」
 口惜しいが、一瞬だけ目の前に星が飛んだ。元に戻った視界のなかで再びMZDはこちらに背を向け、どこかへと飛び始めている。KKは自由にならないながらも足をばたつかせて抵抗を試みた。
「ガキはどっちだよ、俺よりチビの癖しやがって!」
「うるせぇな、俺はこのカッコが気に入ってんだよ! その気になりゃいくらだって巨大化してやらあ!」
「巨大化したっててめぇの脳味噌カスカスのまんまだろ! でかくてトロいだけなら恐竜の方がまだ可愛げあんぞ!」
 突然奴が振り返った。嘲るように口の端を持ち上げ、
「バカなガキだって、図体ちっちゃけりゃもうちょっとは可愛げあんのにな」
 ――の野郎、マジで殺す。
 だが実際に出来るのは足をばたつかせることだけだった。
 肌に触れる黒いものの感触は柔らかいのに、しっかりとKKを捕らえて離さなかった。向かう先は夜空よりも暗く闇に沈んでいた。暗がりに馴れた目で、夜空を切り取る稜線を見た。どこか山のなかに向かっているようだった。
 やがて山頂近くの駐車場へとたどり着いた。駐車場と言っても土を均しただけの広場で、今時分では闇に沈む山々とそれらを包み込む夜空が見えるばかりだった。
 外灯の側に黒いものが下りて、ようやくKKは地面の感触を味わうことが出来た。MZDは離れたところに並ぶ自販機でコーヒーを買って戻ってきた。
「ほれよ。奢り」
 そう言って無造作に放り投げてくる。拘束はまだ解けていない状態だったので受け取ることも出来ず、避けることも出来なかった。それは肩にぶつかって爪先に当たり、悔し紛れに蹴飛ばそうとしたところで、急に黒いものが引っ込んでいった。バランスを失ったKKは盛大に尻餅を付いた。コーヒーを飲もうとしていたMZDは、その姿を見て思いっきり吹き出した。
「だっせー」
「……!」
 ケツが痛むのを我慢して立ち上がる。殴り掛かろうとした瞬間、またどこからともなく黒いものが現れてKKの両腕をつかみ、宙に吊り上げた。
「さっきからなんなんだよ、これ!」
「俺の影」
「はあ!?」
 確かに奴の足元から一筋の影が伸びている。それはKKの背後にまで伸びて、更に巨大化し――っていうか影! 影が! でかっ!
「っつうか、なんで影が人間つかんだりなんだり出来んだよ! 常識でもの言えよ!」
「神様の常識でもの言ってまーす。君が狭い世界でしかものを考えられないから理解出来ないだけでーす」
「ナメやがって、この……!」
 突然目の前に顔らしきものが現れた。真っ黒いそれが伸びて上からこちらの顔を覗き込み、なにかを考えるように首をかしげてみせる。さすがのKKも気持ち悪さに言葉を失った。猫だましを食らったような一瞬だった。
「影、ちょっとそいつ座らせてやって」
 真っ黒い顔がどいた。と同時に足が地面に着いた。そして更に両足が持ち上げられて尻を付くようにして座らせられた。MZDは蹴飛ばされないよう脇からやって来て、フタを開けた缶の口をゆっくりと押しつけてくる。仕方なしにふた口だけ飲んだ。予想に反して冷たいコーヒーだった。
「落ち着けよ。俺をどうこうしたって、お前の立場はもう変わんないだろ」
「……」
 ――誰のせいだ。
 KKは無言で睨み付ける。
「離せよ」
 地面をみつめて呟いた。誰に向かって言えばいいのかわからなかったのでそのまま続けた。
「もうなんもしねぇよ。……弾もねぇしな」
 そうしてMZDを見ると、KKの頭上に(恐らく影に)向かってうなずいてみせた。つかまれた両手がそろそろと下ろされて自由になった。奴が缶コーヒーを差し出してくる。受け取ってひと口飲んだ。ブラックでという注文は覚えていたようだ。
 少し風がある。夜の山頂は、秋にしては冷え込んでいた。
「ちょっとやり過ぎたかなとは思ってる」
 離れたところでMZDが言った。しおらしく頭をちょこんと下げて。
「ごめん」
「……いいよ、別に」
 全部本当のことだ。榊が嘘を言うわけがない。出来のいい道具、確かに自分でもそう思っていた。
 それで充分だと思っていた。
「どうやってみつけたんだ」
 MZDは不思議そうに首をかしげた。
「あの日。――どこから後つけてきたんだよ」
「散歩してたら、車にあの男押し込むとこ見ちゃって」
「……なるほど」
 今更あの日の自分に気付けと言ったところで無駄だろう。空に監視の目があるなんて誰も考えられなかった。たとえ榊であったとしても同じことだ。だが後をつける気になったのは、多分知っている人間だったからだ。
 お友達。
「……クソジジィ」
 膝がかすかに疼いた気がした。
「お前、どんくらいやってんの」
 今度はKKが疑問の目を向ける番だった。MZDは言い淀んだあと、人殺し、と呟いた。
「数は覚えてない。初めて殺したのは……十年くらい前か」
「……」
 意味があったのは最初だけだ。それからあとは惰性で続けている。KKは無言でコーヒーを飲んだ。奴もしばらく無言だった。
「なんでそんなことしてんの」
「……理由がいるか?」
「だって仕事してんじゃん。掃除屋」
「表の顔だよ。毎日人ばっか殺してらんねぇだろ」
「金だったら、やるよ」
 思わず睨み返していた。
「バカにしてんのか」
「だったらなんで――」
 本気で理由が知りたいらしい。さっき怒りにかまけて殴ってきた時とは別人のような顔をしている。KKはイライラと髪の毛を掻きむしった。そうして、どうにかこうにか理由をみつけ出した。
「掃除と同じだよ。あのゴミを片付けてくれって誰かが言う。俺が断ったら別の誰かに話が行くだけだ。俺は『掃除』で飯食ってんだよ。――お前、一応長生きしてんだろ。そういうの、嫌ってほど見てんじゃねぇのか」
「……理解はしてるけど、納得はしてない」
 そう言って、ぷいと横を向いてしまう。その仕種がまるで子供のようで、ついKKは笑ってしまった。
「で? どうすんだ、俺のこと」
 コーヒーを飲み干したあと、ゴミ箱に向かって空き缶を放り投げた。残念ながら目測が外れて缶はころころと地面を転がってしまう。KKは立ち上がり、入れ損なった缶のところまで歩いていった。
「こんなとこに連れてきてよ。――見せしめに殺すのか」
「なんで俺がそんなことまでしてやんなきゃなんないの」
 MZDは怒りに満ちた表情で振り返った。
「死にたきゃ勝手に死ねよ」
「……」
 KKは苦笑しながら缶を拾い上げた。ゴミ箱のなかへと落としながら、とりあえず死にたいわけじゃないんだよな、と自分に確認する。
 死にたいわけじゃない。だけど、生きる意味も存在しない。
 奴の言葉ははからずも真実を語っていた。――使えない道具は捨てるしかない。そして、道具には死ぬ権利も存在しない。
 自分が生きているのは榊の意思だ。まだ使えると思っているから殺されていないだけ。そもそも最初からそうだった。使えると思ったから殺されずに拾われた。使えると思ったからあれやこれやを仕込まれた。
 次があると思うな、という榊の言葉を思い出して、KKはゴミ箱のなかに視線を落とす。
 もし次に失敗をしたら、その時はどうなるんだろう。無残に殺されるのだろうか。そうしたら、ようやく終わるんだろうか――。
「KK」
 はっとして顔を上げた。MZDはじっとみつめてくる。しばらくしたあと、KKにどくよう手で示し、空き缶を放り投げた。ストライク。KKは感嘆の口笛を吹く。
「俺が喋ったらどうする」
「……サツでもなんでも、勝手にタレ込めよ。もうどうでもいいよ」
 本音だった。これ以上MZDを追いかけ回しても事態は進展しない。それが嫌というほど理解出来た。
「あんた、万一捕まっても社長のことは喋らないんだろ」
「どうだっていいだろ」
「潔くぶち込まれて終わりか。きっと社長は代わりの人間みつけてくるぞ。あんたなんか居なかったのと同じだ」
「……最初っから居ないんだよ」
 言葉とはうらはらに、足が勝手にゴミ箱を蹴り付けていた。
「道具だから捨てられても文句なしってか。未練たらたらにしか見えないけどな」
「るっせぇな、なにが言いてえんだよ!」
「曲を作れ、殺し屋。あんたの音楽が聴いてみたい」
「ああ?」
 突然のことで話についていけなかった。MZDはいつの間にか駐車場の縁に立つ柵の上に腰を下ろしていた。
「楽器なんざさわったこともねぇよ」
「なんでも貸してやる。それよりも音なんて街中にあふれてる。――初めて会った時、あんた音楽聴いてただろ」
 そう言ってMZDは小さく手を振った。指先が持ち上がると同時に周囲の空気が動かされ、渦を巻いて沸き起こる様が見えたような気がして、KKは目をそらす。
「あんたの音楽が聴いてみたい。あんたが何者であるのか、音楽で示してみせろ、殺し屋」
「……」
「『KK』という人間が誰なのか、俺に教えてくれよ」
「……意味わかんねぇよ」
「あんたがどんな人間なのか、その事実だけが俺を動かす。あんたは人殺しだ。それもまぁいいさ。だけどそれじゃあ俺は殺せない。勿論拳銃もナイフも俺には効かない」
 MZDが、初めて笑った。
「あんたの心を俺に聴かせろ。それが交換条件だ」
 KKはイライラと髪の毛を掻きむしる。
「そうすりゃあ、黙っててやるってか」
「どうせ言ったって、殺しは続けるんだろ」
「……音楽なんかでいいのかよ」
「俺には一番の御馳走です」
「変な奴」
「よく言われる」
 MZDは心底おかしそうに笑い声を上げた。


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