「返すよ」
 送ってくれると言うので、影の背中に恐々乗り込んだ時、MZDが銃を差し出してきた。
「ケツに刺さってるのと一緒に、大事にしまっとけ」
「……知ってたんかよ」
「その気になれば、まぁ大抵のことはね」
 おどけるようにMZDは両手を広げてみせた。
 尻にあるボタン付きのポケットのなかに、最後の予備弾倉が入っている。銃を受け取ったKKは胸元のホルダーに戻すと、急いでジップを引き上げた。とにかく寒い。
 出発しようとするのを引き止めて、一本だけ煙草を吸わせてもらうことにした。
「――だったらなんで訊いたんだよ」
「なにが?」
「名前。調べりゃすぐにわかるんだろ」
「そうだけど――」
 奴は困ったように首をかしげた。
「なんだろうな。直接聞きたかったのかな。誰かと知り合うっていうのは、一方的な行為じゃないだろ?」
「……お前が言ってることって、たまにマジで意味不明なんだけど」
「お前が無知なだけだよ」
「あぁ?」
「本を読めよ、殺し屋。小説をさ。人とたくさん出会って話してみなよ」
 短くなった煙草を奪われた。最後のひと口を吸い込むと、奴は手品のようにそれをどこかへと消してしまった。
「他人を知るってのは、自分を知るってことでもあるんだぜ。あんたはなにも知らないから勝手に怯えてるだけだ」
「誰が怯えてんだよ」
「ほら、そうやって脊髄反射で言葉返すとことか」
 苦笑したMZDは残りの煙を吐き出して浮き上がった。
「言葉ってのは、ある意味道具と同じなんだ。使い方によっては人を生かすし、殺すことも出来る。――どうせなんだからプロになってみなよ」
「……」
 正直なところ、言われたことの半分以上理解出来ていなかった。とにかく喋れということと本を読めということはわかったつもりだった。なので首をかしげながらだが、とりあえずはうなずいてみせた。
 なにがおかしいのか、奴は小さく笑ったが、交ぜっ返すようなことは言わなかった。高くまで浮かび上がって腕を伸ばし、街の方を指差しながら、
「ほら、綺麗な眺めだろ。あそこに俺もお前も住んでるんだ」
 影が空中へ運んでくれた。下界が一望出来る高さだった。KKはパーカーの前を掻き合わせ、すぐに視線をそらせてしまった。闇にきらめく光の数々は確かに綺麗だったが、あっと言う間に見飽きてしまう。
 KKは月の光のなかでMZDの後ろ姿を見た。格好は昼間会った時のままだ。普通にしていれば、そこいらの人間と変わらない。
 ――神様ねぇ。
 曲を作れという要求が無事に果たせるのかが不安だった。楽器など今の今まで殆どさわったことがない。聴くのは好きだが、作ろうと思ったことなんて一度もなかった。
 だが奴は、自分が音楽を聴いていたと言った。
『音なんて街中にあふれてる』
 街の音。
 あの金属音。煽るような空気。――ふむ。
「なあ、曲っていつまでに作りゃいいんだ?」
 声をかけると、MZDはすぐ側まで寄ってきてくれた。
「一応は、次のパーティーまでにかな」
「パーティー?」
「おう。俺様主催の、でっかいのがあるんだ。ほかにもいろんな奴が出るんだぜ」
「このあいだの着物の奴は?」
「六ー? あいつ、ずっと出ろ出ろっつってんだけどさ、メインの曲が決まらないみたいで、なっかなかなぁ。結構神経質なんだよな」
「……うっそだぁ」
「意外だろー? でもホントだぜ」
 人って見かけによらねぇんだよなあと、不思議そうに首をひねっている。
「また遊びに来いよ。みんなに紹介してやる」
「……気が向いたらな」
「それでいいさ」
 MZDは嬉しそうに笑った。


 KKは道を曲がり、整備工場のシャッターが上がっていることを確かめた。十一月に入ったが昼間の日射しは暖かく、風さえ吹かなければ心地良い気候と言えた。くわえていた煙草を足元に落として踏みつけると、排水口のなかへと蹴り落とす。そうしてガードレールに腰掛け、少し迷ったのちに携帯電話を取り出した。
 事務所の番号を呼び出して通話ボタンを押す。誰が出るのかは、ちょっとした賭だった。
『はいー、西部自動車ですー』
 どうやら賭に勝ったらしい。聞こえてきたのは三橋の間延びしたような声だった。
「ちゃーっす、掃除屋っすけどー」
『あ? あぁ、なんだお前か。お掃除のセールスだったらお断りですが』
「違うよ。――今仕事中?」
『休日出勤だよこの野郎』
「へー、大変っすねぇ」
 KKはニヤニヤ笑いながら足元へと視線を落とした。
『で、なんだ。なにか用事か』
「用事ってほどでもないけどさ。……ちょっと、遊び行ってもいいかなーと思って」
『おぉ来いよ。どうせ俺しか居ないしな。今どこに居るんだ?』
「すぐ側」
『はあ?』
 やがて、電話の子機を持った三橋が工場の表に現れた。KKが手を振ると三橋は不意に破顔して電話を切った。
「なーにやってんだ、この暇人が」
「んだよ、三橋さんが淋しい思いしてんじゃないかと思って、心配して来てやったんじゃん」
「やかましいわ」
 KKは携帯電話をしまうとガードレールから腰を上げた。
「飯食った?」
「いや、まだだ。キリのいいとこまで仕上げたらと思ってな」
 三橋と並んで歩き出す。一階の整備場には電力会社の名前の入ったバケット車が置かれていた。三橋は子機を戻すと床のレンチを拾い上げた。
「付き合うからラーメン食い行かね?」
「奢ってくださるんですか」
「奢りでもいいけど」
 KKの言葉に、相手は驚いたように振り返った。
「どうした、珍しいな」
「なにが?」
「妙に機嫌がいいじゃないの。なにかいいことでもあったのか」
「別に」
 疑わしげな視線が嫌だったので、KKは一旦外に出て自販機でコーヒーを買った。そのまま裏に回り、工事現場用の赤い灰皿の横で煙草を吸った。基本的に工場のなかは禁煙なので、喫煙者は二階の事務所か外へ追いやられる仕組みとなっている。
 煙を吐き出して壁に寄り掛かった時、大きなあくびが洩れた。考えてみればあまり眠っていない。昨日MZDに誘われて店へ遊びに行き、従業員用の控室で仮眠させてもらった程度だ。
 ここひと月ほどのあいだでMZDについてわかったことは、とりあえず嫌になるほど顔が広いらしいということだった。誰と話をしても、必ずそこには居ない共通の知人の話題になる。それを指摘すると、そのうち君もそうなるよと、何故かスギが笑っていた。
 ――そうだ。
 ふと思い出して、背中のバッグから紙袋を取り出した。手のひらに乗るほどの小さな包みだ。昨日レオがくれた。
『今度会った時、絶対にあげようって思ってたんだ』
 満面の笑みで手渡されたそれを、KKは三橋に差し出した。
「なんだこれ?」
「禁煙パイポ」
 とりあえず、今度会った時は唐辛子の詰め合わせをプレゼントしてやる。


エアポケット・後編/2010.09.07


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