榊が作業車の荷台に道具を詰め込むのを、KKは側のガードレールに腰を下ろしたまま見守っている。良く晴れた初秋の日曜日、早朝から働きづめで残業までこなして、ようやく帰ろうかという頃には夜の十時を過ぎていた。
 日中は歩行者天国として開放されていた道路も、もう人通りが絶えかけている。夜の銀座は寒々しくて好きじゃない。KKは現場の向かい側に建つ貴金属店の入口へと逃げるように視線を投げた。
「ねえ、あの店襲ったら金になるかな?」
 貴金属店を指さしてKKは訊く。声に手を止めて振り返った榊は、モップの棒を路面に突いて体を支え、「どうかな」と首をかしげた。
「貴金属だの宝石だのは足が付きやすいからな。面倒なだけで、それほど稼げないと思うぞ」
 そうして棒を荷台に放り込みながら、やるなら一人でやれよと言い放った。冗談に決まってんじゃんとKKは言い返したが、ちゃんと聞いているのかどうか、榊からの返事はない。
 多分本当に店を襲ったとしても怒られることはない筈だ。自分を含めた周囲の人間に迷惑がかからない限り、榊は文句を言ったりしない。お前がそう決めたのなら好きにすればいい、ただし最後まで責任を持ってやれ――八年前、共に暮らしていた家を出ると告げた時から繰り返されてきた台詞だ。
 KKは鼻を鳴らす。煙草を取り出した。そうして榊が荷台の扉を閉めようと両手を上げた時、
「ジィさん、今日泊めて」
 言葉に驚いたのか単に勢いが足りなかっただけなのか、榊は扉を閉め損ねた。悪態をついて扉を開けると、「なんだ突然」とくぐもった声で訊いてきた。
「別に。――どうせ帰って寝るだけでしょ? いいじゃん、寝酒付き合ってやるよ」
「人の奢りで呑みたいだけだろ。残念ながら打ち合わせがあってな」
「これから?」
 冗談だろうと言いかけたが、榊が無言でこちらを見返す姿で気が付いた。どうやら「本業」の話のようだ。KKは我知らず嘆息する。今この瞬間、榊は掃除屋の社長から殺し屋の親玉へと変化した。もうなにを言っても聞き入れてくれることはあるまい。
 KKはガードレールから飛び下りると煙草に火を付けた。榊がきちんと扉を閉めるのを確認してから、「じゃあね」と手を上げる。
「乗っていかんのか?」
「うん、いいや。電車で帰るよ」
 そうしてもう一度じゃあねと言いかけた時、背後で「あー!」と男が驚きの声を上げた。
「あん時の!」
 声に驚いて振り返ると、すぐ側のレストランから出てきた男がこちらに向かってダッシュしてきていた。KKはわけもわからず本能のまま逃げ出そうとしたが、榊の手前それも口惜しいのでなんとか踏ん張ってみせた。それが間違いだった。
 手に持った煙草を押し付けてやるのがせいぜいか、などと考えている隙に、男はKKの目の前でぴょんと飛び、信じられないことに首根っこに抱きついてきやがった。
「ちょ……っ」
「うーわー、すっげーぐうぜーん。っつうか、なんでこないだ来てくんなかったんだよー」
「知るか! っつか離せよ、気色わりい!」
 脇腹を殴るとようやく男は離れていった。耳にゴテゴテと付けられたピアスが頬にかすって痛かった。今日はサングラスではなくてオレンジ色のフレームのメガネをかけている。驚いたせいで煙草を落としてしまった。ハッとして榊に振り返ると、笑うべきなのか我慢すべきなのかといった表情のまま、無言でこちらをみつめていた。なにか説明が必要らしいと思い至った時、別の声が同じ方向から飛んできた。
「お客さーん、無銭飲食は困りますよぉ?」
 レストランの玄関前で、すらりとした佇まいの男二人がこちらを見ている。先に口を開いたのは片手にレシートらしき紙片を持った男で、帽子に黒っぽいジャケットという出で立ちだった。
「スギに借り作ると三倍返しさせられるよ」
 脇に立ったサングラスの男がそう続け、笑いながらこちらに歩いてきた。そうして、未だに隙を見ては飛びつこうとするピアスの男に「友達?」と問い掛けた。
「そう!」
「違う!」
 二人の声が夜の銀座にこだまする。あとからやって来た男たちは互いに顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「仲いいね、君ら」
 スギと呼ばれた男がおかしそうに言い、通り掛ったタクシーに手を上げた。
「な、これから暇? 暇なら遊び行かねえ?」
 ピアスの男はそう訊きながら既にKKの腕をつかんでいる。
「はあ? 暇じゃねぇし、もし暇でもなんでてめぇと――」
「まぁまぁまぁ、話だったらタクシーのなかで聞くから」
 脇に立ったサングラスの男がそう言ってKKの背中を押した。なんだ俺、このままどっかに拉致されんのか。柄にもなく恐怖を感じて振り返ると、榊は作業車に寄り掛かって困惑顔でこちらを見ていた。その視線に気付いたほかの三人も、タクシーに乗ろうとしていた足を止めた。
「この子借りてっていい?」
 ピアスの男が代表して榊に訊く。KKはブンブンと首を横に振ったが、
「うん。まあ仕事は終わったしな。好きにしてくれ」
 ――ジジィてめえええぇぇ!
 榊の返事を聞いた男は高々と口笛を鳴らし、行こう行こうと助手席に乗り込んだ。後部座席にはまずスギが乗り、そこへ押し込められそうになった時、天恵のように榊の呼び止める声が背後で響いた。
「ケイ」
 だが榊は既に運転席のドアに手をかけていた。明日連絡をくれと、一瞬だけ本業の顔に戻って言い、そのまま座席に乗り込むとバタンとドアを閉じてしまう。タクシーの後部座席、更に真ん中という最悪な位置に収められたKKは、動き出したタクシーのなかから睨み付けてやるので精一杯だった。
「どうも初めまして、スギです」
 交差点を曲がったところで帽子の男が話しかけてきた。警戒していると、今度は反対側の男が口を開いた。
「レオって言います。よろしくね」
「MZDでーっす!」
 と、最後は助手席の男だ。突然の大声に運転手が驚きの声を上げた。うるせぇよとKKは不機嫌に呟き、煙草を取り出しかけたが、あきらめた。
「なんなんだよ、あんたら」
 自分が座る幅を少し多めに奪っておいてKKは訊いた。
「カフェの店員」
 と、スギ。
「不動産屋で働いてる。バイトだけどね」
 とはレオの返事だ。最後に助手席を睨み付けるが、MZDという男はなにも答えない。苛立って座席の背後を蹴り付けると、ようやく返事があった。
「神様でーっす!」
 ――頭いてぇ。
「あいつ、薬でもやってんのか」
 どちらにともなくそう訊くと、また二人は同時に吹き出した。
「まあ、あの人のテンションについていくのは大変だと思うけど」
「噛みついたりしないから安心して」
 突然抱きつかれて更には無理やりタクシーに押し込められて、一体なにを安心しろというのだろう。KKは狭苦しい空間のなかで身じろぎをし、パトカーで連行されたらこんな感じなんだろうかとちらりと思った。
「で? 君は何者なのかな」
 帽子を取って前髪を掻き上げながらスギが訊いた。髪の毛を整えて帽子を元に戻し、くるりとこちらを向くと、黒くて大きな瞳をじっとKKに据えてくる。逃げるようにうつむいた左側からは、レオの好奇心に満ち満ちた視線を感じた。
 一旦口を開きかけたKKは、思い直して口を閉じた。殺し屋、とは言えない。だがそれ以外に思い付く自己紹介などなにがある? っつうか、俺が誰だか言わなきゃなんねぇのか。そんなの考えたこともねぇぞ。
 わずかに視線を上げると、まだスギはこっちを見ていた。KKは自棄のように顔を上げて、掃除屋、とぶっきらぼうに呟いた。
「そう。よろしくね、掃除屋くん」
 KKはフロントガラスを睨んだまま返事をしなかった。車は六本木方面に向かっている。向かう先に浮かんだ半月が、流れの速い雲に隠されて一瞬姿を消し、また現れた。


 MZDに先導されて階段を下りた。真っ黒い壁に囲まれた狭い階段だった。突き当たりにドアがある。MZDはドアノブを握ると、KKがちゃんとあとに続いているのを確かめるように振り返り、ウェルカム、と言って笑った。
 ドアを開く。
 瞬間、爆音が全身を包み込んだ。
 薄暗いなかで赤と白のライトが交互に散っている。男たちの怒声が地響きのようにKKを取り巻き、暑苦しい空気にむせそうになった。
 ライブハウスかとフロントを見回した時、一瞬の静寂を破って聴こえてきた歌声に、KKは反応した。店員らしき黒服が支える内部のドアをこじ開けるようにしてフロアに飛び込んだ。
 和服姿の男がマイクに向かってがなりたてている。苛立ちの極致のようなその叫びは、だがかろうじて歌声の体裁を保っており、瞬時にしてKKを不快にさせ同時に思考を停止させた。観客が突き上げる拳の動きに連動して壁を殴り付けると、いつの間にか同じように大声を上げていた。気が済むまで声を張り上げたあと、タイミングを見計らったようにMZDが持ってきた紙コップ入りのビールを受け取り、一気に半分ほど飲み干した。ステージに押し寄せる観客の渦のなかへとレオが飛び込んでいく姿が見えた。それがひどくおかしくてKKは笑った。壁際でスギがマッチを擦り、煙草に火を付けたあと吐き出した白い煙に包まれて、闇へと消えた。


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