恥ずかしい話なんですが、と前置きをしてから、山田は地元を離れた理由を教えてくれた。
「女がらみでヤクザといざこざを起こしましてね」
 中学を出て板金工をやっていた頃のことだという。あまり大勢でつるむことのなかった山田は当然のように後ろ盾もなく、命の危険を感じるような状況だった為にすぐさま地元から逃げ出したのだそうだ。
「まっすぐ神奈川に向かったんですか?」
「いえ、最初に落ち着いたのは大久保近辺です。そこで日雇いやりながら暮らしてました」
 やがて川崎のソープで働く女と知り合い、神奈川方面へと足を伸ばすようになったらしい。その時山田はまだ二十歳にもなっていなかった。佐久間組の人間と顔見知りになるのはもう少しあとのことだという。
「この旅館は伯母の嫁ぎ先でしてね」
 子供の頃はよく母親に連れられて来たと山田は言った。月本は剥き出しの岩に腰掛けるようにして山田の話を聞いている。湯煙が静かに立ち上るのをぼやける視界のなかでぼーっとみつめ、時折吹きかかるわずかな風に振り向いて景色を眺めた。
「ずいぶん久し振りなんでしょうね」
 月本が何気なくそう聞くと、「戻るつもりはなかったんですが」と山田は苦笑した。
「自分のことは死んだと思ってくれと言ってあるんです。出来のいい兄が居るんで家は安心して任せておけますし」
「……」
「……時々、自分はどこかで拾われたんじゃないのか、って思うことがありましたよ」
 同じ血が通っていながら何故か家族に馴染めなかった。子供思いの母親、寡黙で真面目な父親、頭が良くてやさしい兄、そんななかで自分だけがひどく異質だと感じていた。いつもどこか落ち着ける場所を探していたけれど、それはここには絶対に有り得ないと、それだけがわかっていた。
 ヤクザになるつもりはなかった、だけど後悔は微塵もしていない――山田はそう言って顔を拭い、湯から立ち上がると岩に寄りかかりながら崖の下を見下ろした。
「この下に川が流れてるんです。時期になると魚がよく釣れますよ」
 月本は同じように崖の下へと視線を落とし、山田の横顔を盗み見てから背中の彫り物を一瞥した。組に入ることでこの人は安心を得られたんだと思うと、なんだか不思議な気がして仕方がない。
 ヤクザというのは血の繋がらない者同志が集まって作る擬似家族だ。組長を一家の主とし、子は親に仕え、親は子を守る。一家の体面がなによりも重要で、体面を守る為に時には血を流しあうような抗争までをも起こす。
 怖くないんですかと、月本はいつだかまとめ役の萩原に聞いたことがあった。自分が生まれる以前からヤクザ家業で生きてきたこの男は、顔に泥を塗られたままでいるよりはマシですからと穏やかに笑った。
 佐久間組に居る人間は先代から残っている者が殆どで、今も入門希望の若者があとを絶たないそうだ。その吸引力は当然二代目が示すものなのだろう。月本は囲われ者としてそれを誇らしくも思うが、同時にその結束のなかに一歩も踏み入れさせてはもらえず、ただ甘やかされているだけの自分がひどく情けなく感じられることがある。
 そういう立場なんだからしょうがないと開き直るには、心のどこかに引っかかるものが残っていた。
「頭(かしら)、来ませんね」
 湯に浸かりながら山田が言った。
「寝ちゃったんじゃないんですか」
 同じように湯に体を浸して月本は憮然と呟く。山田が怪訝そうにこちらを見るのに気付き、「もう少ししたら上がりましょうか」と誤魔化すように笑った。
 部屋へ戻ると佐久間は浴衣に着替え、テーブルに突っ伏すようにしてテレビを見ていた。
「あれ? 学さん、お風呂入ったの?」
「おぉ。内風呂にざーっと浸かってきた」
「なんだ。露天風呂来れば良かったのに」
 景色良かったよと言うが、佐久間は肩をすくめただけで終わりにしてしまった。ここへ来ると言い出したのは佐久間自身である筈なのに、その張本人が一番浮かない顔をしているのがひどく気になった。
「なんか疲れてない?」
「別に」
 素っ気無く佐久間は呟き、ふと視線に気付いたようにこちらを見上げてきた。黒縁メガネを外して目をこすりながら月本を手招きする。足のあいだに座り込み、背後から抱きかかえる手を握り返して月本は横を向く。
「腹減っちまってよ」
 佐久間の呟きに、月本は小さく笑い返した。
「出発前に軽く食べただけだもんね」
「おぉ」
 答えながら佐久間は月本の背後へと手を回した。そうしてなにやらもぞもぞ帯をいじっていたかと思うと、不意に体を押しのけて呆れたように声を上げた。
「あんだよ、なんでこんな時に限って帯しっかり結んでやがんだ」
「なんだよ、『こんな時に限って』っていうのは」
「バカ野郎、温泉来たら浴衣プレイが基本でしょうが」
「プレイってなに、プレイってっ」
 テーブルの縁に足をぶつけながら月本はあわてて立ち上がり、佐久間の腕から逃げ出した。けれど浴衣の裾を捕まえられてついでに足まで捕まえられ、結局畳の上にずっ転んでしまう。痛いなぁと文句を言って振り返ると、いきなり佐久間がのしかかってきた。
 続けて文句を言おうとした口をふさがれて、月本は内心でため息をつきながら首に抱きついた。
「頭打った。痛い」
「逃げるオメーが悪い」
 それでも佐久間は打ちつけた頭を撫でてくれた。そうする合い間に腕を伸ばしてしぶとく帯をほどこうと苦戦しているらしい。
「人のやるのは、なんか勝手が違いますね」
「変なところで感心しないでいいから」
 くすくすと笑いながら月本は体を起こした。簡単に巻きつけてひとくくりにしてあるだけなのだが、佐久間がおかしな部分を引っぱってしまったようで仕方なく結び直すことにした。
「ね、ご飯までぶらぶら散歩しない?」
 言いながら振り返ると、佐久間は惚けたような表情でこちらの姿を見上げていた。学さん? と声をかけられてようやく我に返ったような顔になり、
「しゃあねえなぁ」
 煙草とライターを袂に放り込んで佐久間は立ち上がった。


「ストリップ小屋を発見」
「あー、そういえばありましたねぇ。まだ営業してましたか」
「一応やってるみてぇだったな。八時開店ってあったけどよ」
 二人の会話を聞きながら、やっぱり散歩行かなきゃ良かったと月本は胸の内で呟いた。
 近辺に温泉宿が集まっているせいか、泊り客を見込んだ小さな飲み屋街が幾つかあった。そのなかに当然のようにストリップ小屋があり、
「やっぱ温泉ときたらストリップだよなぁ」
 と佐久間が店の入口を前に嬉しそうに呟くのを聞いて、思わず月本は言わずもがなのことを聞いてしまったのだ。
「入るの?」
「入ります。若いオネーチャンで目の保養しねぇと」
 勝手にしろ、と月本はむくれて先に旅館へ帰ろうとしたのだが、上記の通りまだ開店時間でなかった為にすぐ佐久間に追いつかれてしまった。つまんねぇことでいちいち怒んなよと言われて咄嗟に言い返す言葉が思いつかなかった自分が非常に悔しい。
 ――まぁ別にね、ストリップがどうのこうので怒ってるわけじゃないんだけどね。
 結局どこまでいっても自分はおまけでしかないのだという事実が、何故か今日はひしひしと胸に突き刺さる。
 食い倒れツアーだと称していたわりには、佐久間はあっさりと食事を終えて山田と共に出かけてしまった。一応一緒にどうだと山田が誘ってはくれたが月本は遠慮した。
 食事の残りを片付けながらビールを飲んでいると、やがて仲居が布団を敷きに来た。そのまま布団に寝転がってテレビを見ていたのだが、どうせだから内風呂にでも入りに行こうかなぁと考えているうちに寝てしまったらしい。目が醒めた時には佐久間に抱きつかれていた。
「うわ、びっくり」
 部屋の電気はつけっぱなしでテレビは消えていた。お帰り、と言う隙も与えられずに唇が重ねられ、浴衣の合わせの部分から手が差し込まれた。
「え、ちょっと、いきなり?」
「馬刺しが効いてきた」
 まるで他人事のように呟くと佐久間は月本の体を裏返し、しばらく考え込んでからするすると帯をほどいていった。
「オメーなぁ、こんな温泉で着るような浴衣の帯なんざ、もっと適当でいいんすよ」
「え、適当だよ。学さんが酔ってるだけだよ」
「酔っちゃあいませんよ」
 そう言って佐久間はメガネを外した。そのままのしかかってくるのを月本は腕を伸ばして迎え入れ、佐久間の背中へと手を回しながらまた唇を重ねた。けれど、
「……ん…っ」
 首筋を吸われながら背中へ回した手を何気なく外された。月本はなにかあるなと思いながらも深くは考えず、佐久間の舌の感触に時折小さな声を洩らした。そうして気が付くと知らずのうちにまたしがみついてしまう。
「背中、さわんな」
 佐久間は不機嫌そうに呟くとやや乱暴に月本の腕を引き剥がした。
「なんで?」
 返事はなかった。佐久間はしばらく考え込んでいたが、やがて月本に「起きろ」と命令した。
「向こう向け」
 月本は命令されるまま背中を向けて座り込んだ。なんだろうと思っていると、佐久間は不意に帯を拾い上げて、背後で組み合わせた格好で月本の両腕を縛り上げてしまった。
「え、ちょっと、なになになに?」
「親分さん、いいこと思い付きました」
 絶対に嫌なことだ、とは思ったが、とりあえずは逆らわないことにした。それが悪かったようだ。佐久間は戸棚を探って余分に置いてあるタオルを取り出し、
「強姦ごっこー」
「『ごっこ』って!?」
「あんまし若ぇオネーチャンじゃなくってな、親分さん欲求不満なんすよ」
「だからって――」
 いきなり口にタオルが押し込まれた。それ以上の文句も言えず、頭を振っても当然のようにタオルは吐き出せない。
「んだよ、あんまし聞きわけねぇと、山田呼びつけて3Pに変更してやるぞ」
 ――やだやだやだー!
 月本はあわてて首を振り、なんとかこれ以上のオプションは結構ですと伝えようとした。本気で怯えたような顔をしていたのだろう、佐久間がこちらを見て小さく吹き出した。
「んなに心配すんなって。おとなしくしてりゃあいい思いさせてやっからよ」
 どこのAVの台詞だ、と突っ込みたかったが、残念ながら逆にタオルを突っ込まれているので出てくる言葉はただのうなり声にしかならなかった。


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