もともと組に入れば組の構成員が家族となって、実際の血の繋がりとはほぼ無縁になる。それでも佐久間の父親は林の弟分だから、「親父」(林)の「弟」(実父)ゆえに「叔父」となり、佐久間は高田組に入って以来、父親のことを「叔父貴」と呼び続けていた。こういったややこしい関係はこの業界に多数存在する。
「…みんな、向こうで呑気にやってんだろうなぁ」
 林はそう言って少し寂しそうに笑う。佐久間はなんと言葉をかければいいのかわからず、つい黙り込んでしまった。
 運転手の若者と、ボディガードとして同伴した佐久間の若衆仲間と共に四人で割烹料理屋へ入った。座敷でそれぞれ腰をおろし、日本酒を喉の奥に流し込むと、佐久間にもようやく葬式が終わったのだという実感が湧いた。
 義理事など腐るほど参加しているが、やはり葬式ばかりは心が沈む。気丈にも涙を見せない故人の女房の姿が、余計憐れでたまらなかった。
「あすこは、跡目はどうするんだろうな」
「北野さんじゃないんですか?」
 林の呟きに、若衆仲間の本橋が答えた。
「自分はそうだと思ってましたけど」
「北野も頑張っちゃいるけどよ、新井に付く舎弟も多いだろうが」
「北野さんが舎弟頭になった時も、反発多かったみたいですしね」
 林のお猪口に酒を注ぎながら佐久間も言う。
「内輪で揉め事起こさなきゃいいけどなぁ」
「シマ狙ってる組があるって聞きましたけど――」
「シマって言やぁお前、岡田の件はどうなった」
 林に話を振られて、佐久間は思わずうなり声を上げた。月本に洩らした「込み入った話」のことである。
「どうもこうも、平行線です。なかなか首縦に振ってもらえませんで…」
「あの野郎もごうつくばりだいなぁ。お前が相手だからって余計にごねてやがんだろ」
「さあ」
 佐久間はごまかすように笑ってみせるが、内心では多分そうなのだろうと思っている。
 岡田は林の五分の兄弟(全く対等な関係)であり、佐久間が二代目を継ぐ際に最後まで反発した人間である。もとからあまり好かれていないのは知っていた。今度の件も半ば言いがかりのようなものだが、だからといってここで気を許せば「所詮は親の七光り」と今まで以上になめられることになる。面子を潰されるわけにはいかず、とはいえ叔父に当たる人物ゆえに強硬手段にも出られず、正直なところ困り果てていた。
「俺が行って話つけてやろうか? そんなことぐれぇで行ったり来たりすんのもバカらしいだろ」
「まあそうなんすけど、わざわざ親父の手ぇわずらわせんのも…」
「バカ野郎、そんなこと遠慮すんな。内輪の仲たがいなんざ長引かせるだけ無駄だろうがよ。なんの為の一家長だと思ってやがんだ」
 こうして手下の者を叱る時、林の目は鋭さを取り戻す。激昂することは殆どなくなったが、その分、言葉の重みはずしりと胸に響く。佐久間は「ありがとうございます」と頭を下げ、あらためて林に調停役を願い出た。
「――で、交換条件ってぇわけでもねえんだけどよ」
 林は不意に小さく笑うと佐久間に顔を寄せてささやいた。
「お前、野郎飼ってるってなぁウワサ聞いたんだが、ありゃあ本当か?」
「は、野郎でしたら、うちの組にムサイのが三十名ばかし揃っておりますが」
「そうじゃなくってよ」
 佐久間の言葉に毒気を抜かれたように林は吹き出した。
「これだぁ、これ」
 そう言って、ほぼ根元しか残っていない小指を立ててまた笑う。
「かわいいオニーチャン飼ってるって小耳にはさんだんだけどよ」
「ああ――」
 佐久間も苦笑するしかなかった。
「おります。そんなたいしたタマでもねぇんですけど、まぁ、気まぐれに」
「ったって、オメー、囲ってんだろ? 気まぐれで人一人囲えんのかよ」
「ウワサじゃあ結構な美人さんだって聞いてますぜ」
 と、本橋も茶々を入れる。
「バカ野郎、余計なこと言うんじゃねえや」
「んだよ、俺にもまだ見せねぇで大事にしてる癖によ」
「テメーが野郎のツラなんざ拝んだって面白くもねえっつったんじゃねえかよ」
「まぁ俺もそっちの趣味はねえんだけども」
 テーブルをはさんでおしぼりの投げ合いをしている佐久間と本橋のあいだに割って入って林は言う。
「ちっとばっかし興味本位でよ、拝ましてくんねぇかい、そのお兄ちゃんのツラ」
「…親父がそう言うんでしたら」
 もとより拒否することなど叶わない。
「しっかし、正直な話、男相手ってのはどんな具合なんだ? おもしれぇのか?」
「突っ込む場所が違うだけで、あんま変わりはありませんよ。まぁ男でも女でも、コンニャクでも右手でも、結局やるこた同じっすから」
「はー、そんなもんかい」
「女みてぇに金もかかりませんしね」
 茶化すように話しながら、どことなく不安な思いが湧きあがるのを佐久間は感じている。それがなにに由来するものなのかは自分でも良くわからない。酒を飲むあいだも、やっぱりどうにかして断わっときゃ良かったなという後悔がひしひしと押し寄せるのを誤魔化すのに苦労した。まだまだ未熟という証拠だろうか。


『――ってまぁ、そんなわけでよ』
「そんなわけって言われてもさあ」
 月本は受話器を持ったまま、意味もなくひと気のない部屋のなかを見回していた。視線を落ち着かせるなにかが欲しかったがなにもみつからず、結局電話本体に並ぶ数字を見下ろすばかりとなった。
『んだよ、うちの親父に顔見せんの嫌なのかよ』
「嫌じゃないよ、そうじゃないけど…だって、高田組の組長さんなんでしょ? 偉い人なんでしょ?」
『そりゃ、まぁな。俺の実の父親の兄貴分だった人でもあんだけどさ』
「すっごい偉い人じゃん!」
 想像するだけでも頭がくらくらしてきた。そんな人物が何故自分のような人間に会いたいなどと考えるのか。
『まぁいきなり取って食われたりはしねえと思うからよ。一度会いに行ってやってくれや』
「……学さんがそう言うんなら、行ってもいいけど」
『おっかねぇ人じゃねえしよ。もういい歳だしな。美味い酒がタダで飲めるってぐれぇに考えときゃいいって』
「わかった」
『明後日の八時に車回すから用意しとけよ』
 そう言うと佐久間は手早に電話を切ってしまった。同席してくれるのかどうかの確認をする暇もなかった。月本は暗い気持ちで受話器を置くと居間のソファーに倒れ込んだ。笑い声の洩れるテレビが耳障りでスイッチを切る。そうしてクッションを抱え込み、
「なんで、僕?」
 誰にともなくそう呟いた。
 確かに男で愛人という立場は珍しいものだ。自分の趣味をあまり隠しもしない佐久間も珍しいとは思うし、だからこそその相手の顔を見てみたいという気持ちはわからないでもない。
 ――面白半分なんだろうな、多分。
 酒の相手をするだけだという佐久間の言葉を信じるしかない。そもそも佐久間がこれ、と見込んで親子の杯を交わした人物だ。多分悪いことにはならないだろう。
 とは思うものの、いざ当日を迎えてみてもなお不安は拭いきれなかった。高田組は佐久間の組のほかにも幾つか下部組織を抱えている。友好関係にある組を含めれば神奈川だけでなく静岡や山梨まで勢力を伸ばす、かなり巨大な組織だ。そんな組の頂点に立つ人物と一緒に酒を飲むなど、まあ名誉なことと思えばいいのだろうけれど、
 ――なんか、胃が痛くなってきた。
 寝室でタンスを開いてあれこれと洋服を見繕いながら、月本はふと胃に手を当てて唾を飲み込んだ。
 とりあえずシャツとズボンを決めておいてのろのろと着替え始める。スーツにしようか迷ったけれど、あまり堅苦しいのもなんだし、やめておいた。そうして最後にジャケットを取り出してベッドへ放り投げ、もう一度鏡で格好を確認しながら、なんだか昔に戻ったみたいだなと思って月本は小さく苦笑した。商売をしていた頃のことを思い出したのだ。
 買われる為の男たちは事務所を兼ねた飲み屋で待機していた。注文の電話があれば指定の場所へ向かうし、客が直接その店へ来て好みの男を選ぶことも出来る。
 店へ出る時はしょっちゅう鏡をのぞいていた。あまり汚い格好はもとから好きではないが、それでも、神経質なほどに見た目を気にしていたように思う。ちょっとでもおかしいところがあれば次はないように思っていたし、いつか店もクビになるのではとビクビクしていた。
 あの頃はいつもそんな風に怯えていて、付き合っている相手にも素直に自分の要求を伝えることが出来なかった。それが変わったのは、確実に佐久間が原因だ。あの男のお陰で今の自分がある。佐久間の役に立てると思えば、さほど気張る必要はないのかも知れない。
 八時ちょうどに呼び鈴が鳴らされた。
「はい」
 月本は答えておいてジャケットを拾い上げ、寝室を出た。
 迎えに来たのは萩原だった。いつものようににこやかに笑いながら「こんばんは」と頭を下げてくる。
「学さんは…」
「それが、ちょっと野暮用がありまして」
「そうですか」
 それ以上のことは尋ねなかった。どんな用事だと聞いたところで意味はない。月本は車に乗り込み、萩原と共に目的地へ向かった。縄張り内の飲み屋だという。
「すいませんけど、煙草一本いただけますか」
 月本は両手を合わせ、拝むようにしてそう言った。いいですよと答えて萩原はポケットを探り、
「あれ? 誠さんって、煙草呑む人でしたっけ?」
 と驚いたように声を上げた。
「昔ちょっとだけ吸ってました。なんかこう、緊張しちゃって」
 火をつけてもらいながら月本は苦笑いで返す。


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