月本は階段のどん詰まりにある木製の扉に肩をかけ、体重をかけて押し開けた。奥から「いらっしゃいませー」という簡素な声が飛んでくるのを聞いて、隆と顔を見合わせながら笑った。
「こんばんはー」
「おぉ、いらっしゃい」
二人がカウンターに歩み寄ると、なかに立っているマスターの水野がにっこりと笑いかけてくれた。
「珍しいな、二人一緒なんて」
「ボーリング場でデートしてきたとこ」
「そんで、俺が勝ったから酒をおごってもらいに来たってわけだ」
「また誠の惨敗か」
そう言って水野はげらげらと笑う。
「それでもちょっとは上手くなったんだよ。ねえ?」
カウンターのイスに座りながら月本がそう言うと、隆は「どうかなぁ」と首をひねった。
「カメの歩みって感じだね」
「うぅわ、ひどっ」
そう返しながらも月本の顔は笑っている。酒の用意をしつつ水野が「機嫌いいな」と言うと、
「なんかこのあいだからずっとこんな感じ。少し前までは死にそうな顔してた癖にさぁ」
「へへー、ちょっとねえ」
グラスを受け取った月本は口元をにんまりとさせた。
「そうだマスター、僕あさって誕生日なんだ。なにかお祝いしてよ」
「誕生日? じゃあ俺の愛をあげよう」
「ううん、それはいらない。ほかのものがいいな」
「あっさり振られましたよ隆さん」
水野の言い種に隆はげらげら笑いながら立ち上がり、奥のテーブル席に座る顔見知りのところへと歩いていった。
「幾つになるんだっけ」
「二十歳」
「まだ二十歳? そんなもんだ」
「そうだよ、ようやく成人だよ」
月本はカウンターに頬杖をついてグラスを回す。
「とりあえずは生きてみるもんだね」
「なんですか、いきなり」
「マスターがよく、お前は世間知らずだって言ってたけどさ、あれって本当だったんだなぁって最近思うようになった」
「…なんかあったのか?」
水野が心配するようにこちらを見下ろしている。月本は小さく笑い返して、
「ちょっと、片思いしてるだけ」
なのに幸せでたまらない。佐久間のことを考えるだけで体が熱くなる。あの肌の感触、匂い、声、全てが同じこの世に存在していると思っただけで天にも昇るような気持ちになる。
これほど強く誰かに惹かれるなんて、思ってもみなかった。
「いらっしゃいませー」
ドアの開く音に月本も振り返る。柱の影からスーツの足がのぞくのは見たが、それよりも早く水野が「こんばんは」と急に緊張した声を出すのに驚いて顔を上げた。
「わざわざいらしてくださったんですか」
「近くまできたんで、ついでにな」
声に再び驚いて月本は振り返る。
「――佐久間さん!」
イスから立ち上がろうとしてカウンターに太ももをぶつけた。その様子を見た佐久間は、驚きと笑いの中間のようなおかしな顔をして、一気に吹き出した。
「あにやってんだお前、こんなところで」
「え、お酒飲んでます」
「バカ野郎、んなこた見りゃわかるわ」
水野から封筒を受け取った佐久間は代わりに酒を頼み、月本の隣の席に腰をおろした。
「なんだ、この店よく来んのか?」
「はい」
「うちのお得意さんですよ」
グラスを差し出しながら水野が言う。
「テメー、ガキの癖に生意気だ」
そう言って佐久間は月本の髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。やめてくださいよと身をよじりながらも、月本の顔は笑ったままだ。
「佐久間さんこそ、なんで? 仕事ですか?」
「おぉ。お仕事ですよ。学生さんと違って暇じゃあないんでね」
「学生だってそれなりに忙しいんですよ」
むくれてそう答えると、「じゃあ俺と飲み行く時間もねぇな」と佐久間は意地悪く呟いた。
「え…」
「――冗談だよ。お前って単純なのなぁ」
そう言って佐久間はげらげらと笑う。からかわれたことに気付いて月本は言葉を詰まらせ、そっぽを向いた。怒りながらも嬉しくてたまらず、今更のようにひどい緊張を覚えていた。
佐久間はにやにや笑いながら煙草を一本吸い、グラスの酒を飲み干した。そうして立ち上がると財布を取り出して、
「ごっそさん。こいつの分も一緒にな」
そう言って金を水野に渡した。
「もう行っちゃうんですか?」
「しゃあねえだろ、仕事の最中なんだからよ」
月本は思わず佐久間のスーツの袖をつかみ、言葉もなく顔を見上げた。
「…んな顔すんなって」
佐久間が歩き出すのにつられて月本も立ち上がる。別れがたくてたまらず、店の入口まで一緒に歩いた。佐久間は立ち止まると困ったように月本をみつめ、不意に唇を重ねてきた。
「じゃあな」
「はい…」
扉が閉まり切るまで月本はその場に立ち尽くしていた。
「マスター、知り合いなの?」
「知り合いもなにも、ショバ代払ってる相手だよ」
「えー、そうなんだ!? 東京まで勢力あるんだ、すごいねー」
「この辺りはあちこちの組が入り込んでるからな。関西とか四国からも来てるし、ごちゃごちゃだよ」
歌舞伎町を中心とした新宿の繁華街ではどこからどこまでがどの組の縄張り、という線引きがあまり明確ではない。
過去には古参と新興の団体同士がぶつかり合い、利権をめぐっての抗争も多かったらしいが、あまりにも次から次へと争いごとが起きるので、グレーゾーンとして互いに中立を保ちあおうと協定が持たれたそうだ。その結果、濡れ手に粟の利権を求めて様々な組が入り乱れ、同じビルで隣り合った店でもこちらは埼玉、あちらは名古屋、という現象が容易に起こっている。
「お前こそ、知り合いか」
「うん」
月本はイスに座り直し、さっきまで佐久間が居た場所をじっと見下ろした。
「…ヤクザだってのは、知ってたんだよな」
「知ってるよ」
だけど、それがなんだっていうんだろう? ヤクザだろうとなんだろうと、佐久間は佐久間だ。自分は、あの男が好きなのだ。
「ケガするなよ」
水野の呟きに顔を上げると、ひどく真剣な眼差しでこちらを見下ろしていた。月本は安心させようと笑い返した。
「大丈夫だよ。わかってるって」
月本はわかっていない。
なにもわかってなどいない。
似たもの同士・前編/2005.05.01