「飲み足りねえな」
「コップに半分じゃねえ」
「どっか飲みにでも行きますか?」
「どこも混んでそうだけどね。――うちの母親にでも会いに行く?」
「なんで」
 会社の連中と飲みに行くことはしょっちゅうだったが、同年代の友人と連れ立ってスナックへ行くほどまだ枯れてはいない。結局コンビニで酒でも買おうということになり、二人は神社をあとにした。
 道路に出ると、見える果てまで参拝客の列が続いていた。
「そんなんしてまでお参りしてぇって奴らの気が知れねえな」
「暇なんだろ」
「そりゃあお互い様だけどよ」
 ふと横を見ると、スマイルは空を見上げていた。そうして上着のポケットから携帯を取り出し、画面を眺めながら「七時間後だね」と呟いた。
「あにが?」
「ドイツが新年迎えるの」
「…へえ」
 時差が何時間あるのかも知らなかった。スマイルは携帯をしまい込み、今度は足元に視線を落として黙々と道を歩く。
「じゃあ今ペコに電話入れりゃあ、向こうはまだ去年か」
「そう。十二月三十一日」
「…なんか、変な感じだな」
「そうだね」
 神社を離れると、辺りは急に静かになった。真冬であり深夜である厳寒とした空気が周囲一帯を包み込んでいる。二人はそれ以上互いに言葉も無く、ただ時折、思い出したかのように夜空を見上げては白い息を吐いた。コンビニに着くまで何故か無言だった。


 台所に上がり込んだ段階で煙草臭さが鼻についた。スマイルは一旦息を詰め、そうしてわずかずつ息を吐く。母親も煙草を吸っているのだからいい加減慣れてもいいだろうと思うのだが、何故かこの匂いは苦手だった。
 上着を脱いでコタツに入り込むが、灯を入れたばかりなので全然温かくない。それでも温もりを味わおうとコタツ布団のなかに両手を入れ、ぎゅうと身を縮こませた。
「アクマ、寒い」
「ちったぁ我慢しろや」
「駄目。寒い。――早くお湯沸かしてよ」
「ポットに言え」
 耐熱ガラス製のグラスに焼酎を注ぎながら佐久間は顔をしかめた。
「お前今年の目標、一個追加な。『わがままを言わない』」
「言ってないじゃん」
「言ってんじゃん」
「そんな小学校の『今月の目標』みたいにバカなこと並べないでよ」
「言わせてんのはどいつだよ」
「……誰だろうねぇ」
 スマイルはふと脇を向き、なにもない空間に向かって語りかける。
「誰に同意求めてんだ」
 佐久間は苦笑して煙草に火をつけた。
「お前、結構酔ってんだろ」
「酔ってないよ」
「酔っ払ってる奴に限ってそう言うんだよ」
 そう言われてしまうと、なにも反論出来なくなる。仕方なしにスマイルは口をつぐみ、コタツの上にあごを乗せてぼんやりと目の前をみつめた。
「実家って?」
「あ?」
 ようやく沸いたお湯をグラスに注ぎながら佐久間が聞き返す。
「ムー子ちゃんの実家って、どこなの」
「まぁあいつの実家っつうか、お袋さんの実家な。石川だとよ。すっげー田舎らしいぜ」
「ふうん…」
「ほれ」
 差し出されたグラスを受け取り、スマイルは息を吹きかけながらちびちびと飲み始めた。お湯で拡散させている為に焼酎の匂いが強く香ったが、それが反対に心地良く酔いの波に引き入れてくれた。熱いため息を吐き、曇ってしまったメガネを外して目をこする。
「いつまで休みなの」
「五日。六日から仕事だ。――お前は?」
「確か七日が初日だと思ったけどな…冬休みは短いんだよね」
 そうして休み明けからすぐにテストが始まる講義もあるという。また「ノート貸して」攻撃が始まるかと思うと、いささかうんざりした。
「勉強する気がないなら大学なんか入らなければいいのにさ」
「日本の学生は遊ぶ為に大学行くって聞いたけどな」
 くつくつと笑いながら佐久間は煙草の灰を叩き落す。
「いいんじゃねえの。遊べるうちは遊んどけよ。親の脛かじるのも、かじる脛があればこそだろ」
「…まあね」
 時々佐久間がひどく遠い存在に思えることがある。
 自分が安穏と――とも言い切ることは出来ないが――高校生活を過ごしている時、既に社会に出て自分の力だけで生活をしていたのだ。このアパートの家賃を払い、食費を稼ぎ、毎日決まった時間に起きて仕事へ出かける。誰もが当たり前のようにこなしていることだが、それでもまだ十六七の時の自分に同じことをしてみろと言われて、出来る自信はなかった。
 不意の瞬間にのぞく、そうした佐久間の大人びた表情に、何故か嫉妬を覚えることがある。
 スマイルは無言でグラスを口に運び、佐久間は煙草の煙を吐き出している。年明けの華々しい雰囲気は既にない。ただ静かな部屋のなかで暇を持て余した男二人が、言葉もなく酒を飲むばかりだ。何故かテレビを見ようという気にもなれなかった。
「お前さぁ」
 不意の呟きに顔を起こすと、佐久間はグラスを口元に運びながらぼんやりとコタツの上に視線をさまよわせていた。「なに?」と聞き返すが、
「…なんでもね」
「なんだよ」
 佐久間はごまかすようにグラスに口をつける。スマイルはメガネを外して目をこすり、そのままコタツの上に置いた。そうしてまた顔を伏せてため息を吐き出す。
「なんか、冴えないお正月だねえ」
「…だな」
 グラスの中味を飲み干して佐久間は小さく笑った。
「まぁ新年だからってなにが違うわけでもねえしな」
「お年玉ももらえなかったし」
「だから俺にたかるなっつうの」
 佐久間は苦い顔をしながら新しい酒を作っている。スマイルは同じように空になったグラスを差し出して、この部屋に居るのも慣れてきちゃったなとふと思った。
 十一月の末にも一度ここへ来た。あの時は佐久間の恋人にケンカの仲裁を頼まれたのだ。もっとも仲裁とは名ばかりで、実際のところはただの連絡係に過ぎなかったが。佐久間が否と言うのであればそれをいさめる義理はなく、佐久間の恋人も、それならそれで仕方ないというようなことを言っていた。
 最初頼まれた時は、正直面倒なので断ろうと思った。二人の問題に第三者である自分が乗り出せば余計に話がもつれる可能性もあった。なのに結局佐久間に連絡を取ったのは、おかしな好奇心に駆られたからだった。
 もし佐久間が本当に恋人と別れるつもりであるなら、誰よりも真っ先にその言葉を聞きたい――何故かそう思った。どうしてそんなことを考えたのかは自分でも良くわからない。ともかくスマイルは佐久間に会い、結局二人は元の鞘に納まったようである。何日かあとになって佐久間の恋人から電話をもらったが、「良かったね」と言ってやる以外に言葉は無かった。
 近頃、なにかが自分のなかですっきりしない。
 スマイルはグラスを受け取りながら口をつけることもせず、頬杖をつくとなにを見るともなしにコタツの上へ視線をさまよわせた。時折思い出したように洩れるあくびを聞きつけて、佐久間が「寝るなら布団使っていいぞ」と言ってくれるが、
「…まだ寝ないよ」
 呟くようにして答えながらグラスを見下ろす。
「初日の出見るんだから」
「それまで起きてられんのかよ」
 佐久間は笑いながら煙を吐き出した。
「おこちゃまは無理しないでおねんねしなさい」
「誰がおこちゃまだよ、同い年の癖に」
「俺まだ十八だぜ」
「…未成年の喫煙・飲酒は日本の法律で禁止されています」
「人のこと言えんのか」
 そう言って佐久間はスマイルの頭を押しやる。スマイルは負けじとその手を押し返し、しばらくのあいだ二人は無言で押し問答を繰り返した。やがて不意に佐久間が腕を引いたせいでスマイルは倒れ込み、そこを押さえつけるようにして佐久間の手が伸びてきた。
 佐久間の足の上に頭を乗せなおしてスマイルは上を向く。佐久間は煙を吐き出しながらぼんやりと前方をみつめ、
「お前さ、」
 そっと首に片手をかけてきた。
「…嫌じゃねえのかよ」
「なにが…?」
「なにがって――」


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