彩【イロ】:
いろどり。あや/いろどる。色をつけ飾る/ひかり/つや/ようす。すがた/
真田は海王の寮で同室の誰よりも早起きだ。
起床は六時四十五分と決まっているが、目覚ましも鳴らないのに六時半きっかりにいつも目を醒ます。真夏の熱帯夜でも極寒の真冬でもそれは変わらない。もっとも寮の内部は空調が効いており過ごしやすい温度が保たれているので、暑さ寒さに強いというよりはもとからの性分なのだろう。
ベッドを出てカーテンを開け、それから真田がまずすることは、自分の机の上に置いてあるサボテンの鉢に向かっての「おはようございます」という朝の挨拶だ。そして月曜日は水を与える為に鉢と一緒に洗面所へ向かう。今日は水曜日なので水はやらなくていい。
挨拶を済ませると、真田はじっとサボテンの姿をみつめる。変わった様子はないかと丹念に調べる。
このサボテンは海王へ入学した当時、近くの花屋で購入した。別に花に興味はなかったのだが、店先におもちゃのように並べられているサボテンの鉢がなんとなく目に止まり、幾つか吟味したあとでこれを買った。三百円程度だったように記憶している。
どっしりとしたまん丸のサボテンで、肉厚の茎から生えるトゲは一本一本が太く、焼いたら食えそうだよな、というお褒めの言葉を同室者からいただいた。一年経って鉢から根があふれたので、去年一度植え替えをした。三年目の今年も、変わらず元気に成長してくれているようである。
てっぺんのところに綿毛のようなゴミがついているので、真田は息を吹きかけて飛ばそうとした。だがゴミはしぶとく張り付いている。仕方なく指先で引っぱると、まるでサボテンに植わっているかのように抵抗してみせた。
「……お?」
あわてて指を引っ込めて鉢ごと窓際へ行く。そうして日の光に照らして、もう一度サボテンの様子をじっと眺めてみた。
花だった。綿毛のような花の芽が、肉厚の茎の隙間から這い出ようとしているところだった。思わず歓喜の悲鳴をあげそうになったが、まだ起床時刻の前だと思い直して、あわてて言葉を飲み込んだ。
――ちゃんと成長するんじゃのお。
植え替えをした時も感じたことだが、そんな当たり前のことが何故か神秘的に思われた。言葉も交わせず、殆ど思考することもない筈の植物でも、水と日光を栄養源として日々成長する。頭ではわかっていたが、やはり実際に自分の手でその世話をなしていると、感じる喜びはこの上もなく大きい。
真田は鉢を机に戻すと、「元気よう育てや」と声をかけておいて洗面所へ向かった。
洗面所には先客が居た。風間だった。真田の姿を認めて、顔を拭きながら「おはよう」と声をかけてくる。
「サボテン、花が咲きそうじゃ」
挨拶よりも先にそう言うと、風間は「本当か?」と嬉しそうに笑った。
「見るか?」
もとより見せびらかしたい一心で風間を部屋に招き入れた。
「ここ、ほれ」
そう言って綿毛のような花の芽を示すと、風間はそれをじっとみつめて、「すごいな」と呟いた。
「サボテンの花など、見るのは初めてだ。きれいに咲くといいな」
「おお」
真田は答えながらイスに腰をおろした。
「ここに入って、咲かせられる花はこれぐらいじゃ。せめて大事にしちゃらんと」
「……」
六月、インハイ予選でスマイルに負けた。それまでは自分でもかなりいいレベルに居ると思っていたのだが、その思い上がりを見事に打ち砕かれた。
やるだけのことはやったのだし、悔いはない。そう思って、六月末の引退と同時に、卓球から離れることを決意した。嫌いにはならないだろうが、もう二度と本気で打つことはないだろう。
「まだこれからがある」
風間の呟きに顔を上げると、慰めるでもなく、いつもの穏やかな表情でこちらを見下ろしていた。
「…ほうじゃの」
真田はまたサボテンに目を戻して、机に頬杖をついたまま、しばらくのあいだ小さな綿毛をみつめていた。
真田:海王学園三年七月/2005.04.19