神【カミ】:
かみ(ア)天の神。万物の主宰者(イ)もろもろの神。精霊。人間以上の霊力を持つ、目に見えないもの(ウ)かみの通称(エ)人知では測り知れない霊妙なはたらき/神わざのような。非凡な/たましい。人の精霊/こころ。肉体に宿る心の働き/
風間は口にタオルを当てたまま台に浅く腰かけ、じっと足元を見下ろしている。ワックスの塗られたタイル地の床はかなり摩滅し、既に輝きを失っていた。
耳につくのは、壁にかけられた丸時計の秒針の音だけだ。
卓球部専用のこの体育館で練習を続けているのは彼一人きり。通常の部活はとうに終了しており、一度寮へ帰って食事も済ませた。夕方の自由時間、風間は日課のようにここへ戻ってくる。
話し相手もなく、ただ自分の息遣いだけを道連れに、無心になって体を動かす。そうすることによって彼はようやく眠りを得られる。まるで義務のように汗を流し、不意を衝いて訪れるささやかな疑問から目をそらそうとする。
――何処へ行ける?
父親の影響で始めた卓球だった。幼い頃からこれに親しんできた。才能を認められたのは小学生の頃。そうあることが当然のように勝利を奪い続けてきた。
それで、何処へ行けるというのだろう?
部活の時間は、彼にとっては半ば苦痛のものだった。あまりに考えの浅い仲間たち。とても現実が見えているとは思えない、その意識の軽さにひどく苛立ちを覚える。
彼らはあまりにも幼い。
時に全てを投げ出してしまいたくなる。自分が背負っているものを後先省みずに放り出して、そうして――自由に――なりたいと思う。
だけどその誘惑は非常に危険だ。一時の気の迷いで今までの全てを無駄にすることは出来ない。確かに楽にはなれるだろう。だがそれでまたどうなるというのだ? それこそ、どこへ行けると思っている?
これまでの自分を否定しない為に風間はまたここへ戻ってくる。義務のように体を動かし、無心になって汗を流す。不眠に悩む者がその疲労によって強制的に眠りに落ちることを求めるかのように、意義を見出すことも出来ないまま――。
不意の物音に風間は顔を上げた。
「――すいません、人が居るとは思わなくて…」
入口に佐久間が立っていた。先客の姿にひどく驚いた様子で頭を下げている。
「構わんよ。どうした」
風間はタオルを放るとかすかに笑ってみせた。そうして、佐久間がラケットを持っているのを目に止めて、「自主練か?」と少しびっくりして聞いた。
「押忍。少しでも、みんなの足手まといにならないようにと思いまして」
そう言って佐久間は恥ずかしそうにうつむいた。
風間はしばらく言葉を失い、やがて小さく笑うと「入れ」とやさしく言った。
「ここの施設は部員なら好きに使える。いつでも来て練習をするといい」
「はい。――あの、お邪魔ではないですか?」
「邪魔なものか」
そう言うと、ようやく佐久間は安心したように顔をほころばせた。失礼しますと呟き、あらためて頭を下げると、ラケットを台に置いて準備運動を始めた。
風間は両の手首をぶらぶらと揺らし、柱に縛り付けてあるゴムチューブを握りしめた。
――君たちは、
ゆっくりとゴムを引っぱり、また緩める。しばらく肩の様子を確かめながら何度か軽く引っぱり、やがて勢いをつけて引き始めた。リズムに乗って息を吐き、また心の内から全てを追い出そうとしながらも、その思いだけは澱として心の底にこびりついてしまっている。
――駄目だ。あまりにも幼い。
風間:海王学園二年四月/2005.03.05