流【ナガレル】:
ながれる(ア)水が流れゆく(ウ)うつりゆく(エ)さすらう(オ)おちぶれる(カ)しまりがなくなる(キ)ひろまる(ク)至る/ながす(イ)ゆきわたらせる(ウ)罪として遠方にやる/ながれ(ア)川や水の流れ(イ)学問、技芸その他の系統(ウ)ちすじ/なかま/階級/根拠のない/もとめる/あそびにふける/ながれ(ア)旗などを数える語(イ)子孫(ウ)そのままやめる/ながす(ア)心にとめない(イ)芸人や商人が客を求めて歩く(ウ)あかを落とす(エ)所有権をすてる(オ)台所にある食器などを洗う台/
おかしな夢を見て大田は目を醒ました。
だけどそれはもしかすると目覚まし時計の耳障りな電子音による目覚めだったのかも知れない。どちらにしろ考えている余裕はなかった。予定時刻を二十分も過ぎている。つまり目覚まし時計は二十分間も鳴りっぱなしだったのだ。
なんで起こしてくれないんだよとか、だから早く寝なさいって言ったでしょとか、毎朝のお決まりのような会話を母親と交わして大田は家を飛び出した。けれど学校へ向けてこぐ自転車のペダルはやけに重い。秋の地区大会前、ただでさえ気の重い休日練習だ。それ以上に気が重いのは、体育館内に漂う言葉にしようのない険悪な雰囲気。
「おはよ」
自転車置き場で多胡と会い、一緒に体育館へ向かった。グラウンドではサッカー部が既に練習を始めていた。それを見て、やっぱりうちは気合いの入れ方が足りないのかなぁと、大田は珍しく部長じみたことを考えてみた。
「――でさ」
唐突に多胡が口を開いた。
「でさって、なに。なんの続き?」
「いいじゃん。細かいこと言うなよ」
そうして多胡は、ここ数日のあいだ辺りで飛び交っているウワサを大田の耳に吹き込み、真意を尋ねた。いわく、海王学園が月本を引き抜きに来るという話は本当なのか――。
――またそれか。
大田は思わずため息をついた。
「やっぱマジなの?」
多胡は驚き半分、興味半分といった顔で大田をみつめている。一瞬だけ大田は返事に詰まり、「俺だって知らないよ」とぶっきらぼうに答えて道を急いだ。
「だって、あちこちでウワサんなってるぜ。なんかもう決まったことだって話してる奴らも居たけど」
「知らないってば。だいたいその話がホントなら、夏休み中に来る筈じゃないの? もうじき地区大会もあるんだしさ」
「内部のゴタゴタ抑えてるって話だけど」
多胡がどこまで事実を話しているのか大田には見当もつかなかった。だがそれらの話は既に部長である彼の耳に届いていた。なにより「ゴタゴタ」の一角は、もう片瀬に現れていた。
『――本日は、月本選手と試合させていただきたく参上しました!』
あの海王の部員は、スマイルの引き抜きの話をきっかけにやって来たのだそうだ。普段からスマイルのことを快く思っていない五味が楽しそうに話してくれた。この春から片瀬卓球部内に起こっていた不協和音の波は、インハイ予選を過ぎた頃からあちこちに波及し、他校まで巻き込むほどの大きなうねりとなって大田たちに襲いかかってきていた。
勿論大田だってそのウワサは気になっている。だが話はスマイル個人のことだ。まさか自分が引き止めたからといって素直に言うことを聞くとは思えないし、――心のどこかでは、海王へ行くことがスマイルにとってもほかの人間にとっても、一番いいんじゃないだろうかとも考えていた。
あの男がこんな弱小クラブに居ていい理由など、一つも思い浮かばない。
「おはようございます」
玄関口で張本人のスマイルと出くわした。大田は咄嗟のことで上手く口が利けず、「あ、あぁ、おはよう」とどぎまぎしながら応えた。多胡が意味ありげに肘をつついてきたが大田はそれを無視してスニーカーを脱ぎ、板間に上がった。
スマイルのあとに続くようにして更衣室に向かいながら、その途中で、
「なあ、つ、月本」
「はい」
振り返ったスマイルの視線を真っ向から受けて、俺、なに言おうとしてるんだろうと今更のように大田は考えた。
――ホントに海王に行くのか? 引き抜きの話はもう来たのか?
本当に行ってしまうのか?
「…今日も、練習頑張ろうな」
「――はい」
いつもの無表情のまま、スマイルは小さくうなずいた。
肝心のことになに一つ言及出来ない自分が今ほど情けないことはなかった。きっとその時が来たら月本はあっさりと行ってしまうに違いないと大田は考えた。そうして、もし本当にその時が来たら、俺はきっと死ぬほど後悔するに違いない――。
それでも、引き止める義理はない。居て欲しいとわずかに思うけれど、ここに残ることで一体誰が得をするっていうんだろう? ウワサはウワサだ、だがそれは今や影を伴った実体として、確実に自分たちの周囲で動き始めていた。
大田:片瀬高校二年十月/2005.02.25