血【チ】:
ち。血液/ちぬる。血を塗りつける/ちまみれの。いのちがけの/ちをわけた間がら/強くいきいきしたさま/
七時ちょうどに部活は終了となった。
通常なら六時頃には終わる筈なのだが、秋の地区大会が近付いている為に最近は平気で延長される。喉の渇きと飢えのせいでクタクタになった辻堂学院卓球部の面々は、顧問の終了の合図に応えて「お疲れ様でした!」と大声を張り上げ、ようやくのことで解放されたのだった。
「相田ー」
壁際に置いておいたタオルを拾い上げた時、二年生の相田は仲間に呼ばれて振り返った。同学年の部員たちが集まって輪になり、片手を嬉々として握りしめている。
「お前もやる?」
「――やる。今日は勝つ」
そう答えて相田は輪のなかへと入ってゆく。
「お前たち、毎日なにをしている」
一人がかけ声を口にしようとしたとたん、相田の後ろから孔がひょいと首を伸ばしてきた。
「コーチもやりますか?」
「だから、なにを」
「賭けジャンケン」
相田はそう言って、にっこりと笑った。
夏休みが終わって上級生は引退した。自分たちが一番上の学年となり、気兼ねなく自由を満喫出来るようになってからこの勝負が始まった。
最初は二三人が遊びでやり始めたことだった。ジャンケンをして一番負けた者が全員にジュースをおごる、それだけだ。だが日が経つにつれて参加する人数がどんどん増えてゆき、今では部活終了後に二年生の全員が参加する、メンツと小遣いをかけた一大勝負へと発展していた。
たかが自販機のパックジュースとは言え負けが続けばかなり大きな打撃となる。ちなみに昨日は相田が敗者で、全員分を購入する羽目になった。負けた者はマイナス分を取り戻そうと必死になり、勝者は更なる甘い汁をタダで得ようと勝負に参加する。顧問の藤田も賭けのことは知っているようだが、まぁジュース程度ならよろしかろうとお目こぼししているらしい。
相田から説明を受けた孔は、
「やる」
と言っていきなり腕まくりを始めた。
「中国にもジャンケンてあるんですか?」
「ある。これで勝負する」
そう言って孔は、こぶしをグー・チョキ・パーの形に握ってみせる。日本と全く同じである。
「猜猜猜(サィサィサィ)で手を出す。日本語はなんと言う」
「日本は…ジャンケンポン? ポイ?」
「ポンだろ、普通」
孔がまざったお陰で、しばらくのあいだジャンケン談義となった。その様子を、後片付けをしている一年生が面白そうに眺めている。
新入生にとって孔はコーチでしかないが、相田たちの学年にしてみれば春まで同じ学校で学んだ上級生であり、部活の先輩だった。特に相田は去年の冬頃から個人的に練習を見てもらっているので、ひどく気安い存在だ。孔の方も生徒たちとの交流のなかで相田の姿があると安心するらしい。その微妙な違いが相田の自尊心を心地良くくすぐってくれる。
勿論選手としての尊敬もあった。上海ジュニアユース出身という事実や、実際に練習試合で見せる技術のすごさは安易に否定出来るものではない。そんな人に練習を見てもらっているのだと思うと、俄然やる気が湧いてくるから不思議だった。
だけどそんな孔も、部活を離れてしまえば自分たちと同じ一般人だ。そういう普通の顔を見られる瞬間の方が、何故か相田には喜びだった。
「ほんじゃあ、いくぞー」
一人がそう言い、孔を含めた全員が、こぶしを握りしめて固唾を飲み込んだ。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
一瞬の間ののちに、悲喜こもごもの歓声が体育館内で湧いた。
相田:辻堂学院高校二年十月/2005.01.12
参考サイト:
世界のじゃんけん http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/janken.html