熟【ジュク】:
 にる。よくにる。にえる/ジュクする(ア)うれる。みのる。果実がうれる(イ)物事が十分な状態になること(ウ)よくなれる/つらつら。つくづく。くわしく/


 スマイルは自室のベッドのなかでわずかに身じろいだ。
 窓の外で静かに降り続く雨の音が真っ暗な部屋のなかで絶えず響いている。雨粒が屋根や地面や木の葉に当たり、小さな騒音となって耳に飛び込んできていた。けれどそれらは眠りを妨げるわずらわしいものではなく、布団にくるまれた温もりに加えて、やさしい眠りへと導いてくれる心地良い自然の合唱だった。
 スマイルは暗がりのなかで息をひそめてペコの寝息を聞く。カーテンの隙間から射し込むかすかな光を頼りに手を伸ばして、そっと、起こしてしまわないよう静かに指先で前髪を梳いた。
「……寝れないん?」
 不意にペコが呟いた。スマイルは驚いて手を止めた。
「ごめん、起こした?」
「いんや。起きてた」
 この家には自分たちしか居ない筈なのに、何故か二人とも声をひそめてしまう。だけどこんな暗がりのなかで、互いの温もりが感じられるほどにそばに居ると、声はひそめた方がより親密さを感じられる。スマイルは枕から落ちそうになっている頭を乗せ直して、あらためてペコの体を抱き寄せた。
 ふんわりと、なにかが香る。
 ――ペコの匂いだ。
 そう思ってスマイルは小さく笑う。
「何時?」
「…もう少しで一時。そろそろ寝ないとね」
 そう言いながらも、どういうわけか二人とも眠れずにいた。スマイルはペコの背中にゆるく腕を回してその後ろ髪を指でもてあそんでいる。ペコは同じようにスマイルに抱きついて、肩の辺りに顔をうずめ、なにを言うでもなく静かに呼吸を繰り返している。
 学校帰り、スーパーに寄って買い物をし、この冬最初の鍋をした。こっそりビールを買い込んで二人きりのささやかな宴を開き、酔い、笑い、抱き合い、キスをした。そのあとのことは推して知るべしだ。
 ペコが部屋に泊まるのは今夜で何度目だろうとスマイルはぼんやり考える。もう回数など覚えていない。初めてペコを腕のなかにおさめてから一年近くが経った。最初の頃は告白してしまった安堵感とそれまでの抑制の反動からか、殆ど万年発情期のようにペコを求めた。ペコは戸惑い、逃げ回り、時には手ひどい拒絶も受けたりしたが、スマイルは美味い餌をちらつかせながら半ば強引に手中におさめてきた。
 こんなふうにして沈黙を楽しめるようになったのは、ほんのつい最近のことだ。
 一年前の自分を思い出すにつけて、スマイルは、
 ――ごめんね。
 と内心でペコに謝る。
 こんなふうになにもしないでも互いを気にせず、だけど互いを感じていられる静けさがこんなにも心地良いだなんて、全然知らなかった。いつでも自分に注意を向けさせていないと、あっという間に知らない場所へ消えてしまうのではないかと不安でたまらなかった。
 だけど、来年の春には消えてしまう。それは確実だ。だからこそこの沈黙がこんなにもいとおしいのかも知れない。
「ペコ」
 スマイルは暗がりのなかでそっと頭をずらせて声をかけた。少し寝入りばなだったらしいペコのとぼけたような返事が聞こえた。
「あに?」
「『おやすみ』のキスして」
 ――勿論、こうやって不意打ちに戸惑いおたおたするペコの姿を見るのも楽しいのだけれども。


スマイル:片瀬高校三年十二月/2004.12.05


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