凪【ナギ】:
なぐ。風が止む。波が静まる/なぎ。海上の静かなこと/
照りつける日射しから逃れようと、佐久間は無意識のうちにゲームセンターの自動ドアを抜けていた。
耳に突き刺さる大きな電子音に眉をひそめ、同時に凍てつくほどに感じられる店内の空気に身震いし、子供の姿の多さに思わずうんざりしたように首を振る。まあ夏休みだから仕方ねえかと内心呟きながら、更に涼を得ようと店の奥へと向かった。
長いようで短い夏休みもあと十日ほどで終わる。部活の休みを利用して佐久間は久し振りに買い物へ出た。CDを何枚か買い込んで大きなスポーツ用品店をのぞき、ファーストフードの店で軽く腹を満たしたあと、ふと通りがかりにゲーセンへと入り込んだのだった。
小学生の頃、たまにペコたちと遊びに来たことがある。当時対戦格闘ゲームが流行っており、何度も挑戦するのだが絶対にペコには勝てなかった。佐久間はどうにかして勝ちを奪おうとし、一時期は毎日のように通い詰めたものだった。そうして小遣いを使い果たし、それでも結局ペコには勝てずじまいという散々な結果を迎えた過去がある。
――やなこと思い出したな。
佐久間は鼻を鳴らして、店の隅に置いてある自販機の前に立った。その時、
「いよ〜っ」
やけに調子っぱずれな声と共に佐久間は坊主頭をガシリとつかまれた。
驚いて振り返ると、赤いキャップを目深にかぶった見覚えのある顔が、くわえ煙草でにやにや笑いながらこちらをみつめていた。
「……久し振りだってぇのに、ご挨拶だなぁおい」
そう言いながら佐久間はその手を邪険に払う。ペコは気にした様子も見せずに煙草を深く吸い込み、すぐそばの灰皿へと吸殻を落とした。
「あにしてんすか、こんなとこで」
「それぁこっちの台詞だ。――なんだ、その格好」
二ヶ月に一度は切り揃えていた筈のおかっぱ頭は、いまやだらしなく伸びて首筋で無秩序に跳ねまくっていた。トレードマークである星印の入ったTシャツは相変わらずだったが、手元に握った煙草の箱がひどく違和感を与えた。佐久間の怪訝そうな視線にわざと応えるかのようにペコはパッケージを探り、また火をつける。
「肺活量落ちるぞ」
自販機でジュースを買い込みながらそう言うと、「もうカンケーねえもん」とペコが呟いた。
「あにが」
「卓球辞めました」
「――」
「誰かさんに言われたしな」
そうして、ふとうつろな表情でつまらなさそうに店内を見回した。佐久間は言葉を失い、呆気に取られたようにその横顔をみつめた。それでもなんと言い返せばいいのかわからなくて、結局居心地の悪さを覚えながら無言でジュースを飲むしかなかった。
「ほいからよ、俺ここじゃポコで通ってんだわ」
「ポコ?」
「そ。ちゃんと『さん』くれろや」
「…ペコよぉ」
「ポコだっつったろ」
そう言ってペコは無造作に煙草の灰を叩き落す。
「ペコはもう居ねぇの」
「……」
目の前に居並ぶゲームの台から騒がしいほどの電子音が飛んでくる。それは無秩序にあちこちで悲鳴を上げ、耳の奥に鋭く突き刺さりながらも何故か遠い。佐久間は無言でジュースを飲み、ペコは煙草をくゆらせる。互いに言葉も交わさず、ただ目の前の画面で繰り広げられる格闘を眺めながら、二人は深い静寂に沈んでいた。
佐久間:海王学園一年八月/2004.11.02