緋【ヒ】:
 赤色の絹。赤い色の糸/ひいろ。濃い紅色/


「いいよ、こんなん。舐めときゃ大丈夫だって」
「駄目だよ。バイキン入ったらどうするの」
「そん時はそん時だ」
 ペコはスマイルに腕を取られながら渋々廊下を歩いている。毅然とした歩調で保健室へと向かうスマイルの足を止めようとさっきから何度も踏ん張ってはみせるが、肝心の右膝をケガしているせいで思うように力が入らない。
「バイキンたって、別に膿むぐれえだろ? 平気だよ、そんなんさぁ」
「破傷風になったらどうするつもり?」
「……なると、どうなんの?」
「すごく大変なことになるよ、多分」
 どうやらスマイルも良くは知らないらしい。ごまかすようにそっぽを向き、誰も居ない静かな廊下をひたすら保健室目指して歩き続けている。ペコは仕方なく口をつぐみ、とぼとぼとスマイルのあとに続いた。
 放課後、掃除当番を終わらせて教室へ戻った時だった。なにかにつけてペコと張り合おうとするクラスのボス的存在が、ペコが居ないのをいいことにスマイルにちょっかいを出していた。当然のように止めに入ってケンカになり、相手を打ち負かしはしたものの、こちらも無傷というわけにはいかなかった。それでスマイルに保健室へ連行されているのだった。
 ケガなどいつものことだからと言ったが、スマイルは頑として聞き入れなかった。それもその筈、何度拭っても血が止まらないのだ。歩いている今も血は靴下にまでにじんでおり、真っ白だったそれは赤く染まり、下の方はどす黒い赤へと変色してしまっている。
 これほどまでにひどいケガはさすがに初めてで、破傷風というなにやら難しそうな病名まで持ち出されてしまえば、ペコもおとなしくならざるを得ない。消毒するとしみるから嫌なんだよなぁとぼやいた時、二人は保健室の前へとたどり着いた。
 失礼しますと呟きながらスマイルがドアを開ける。なかには誰も居なかった。
「先生呼んでこようか」
「いいよ、別に。消毒しときゃ平気だろ?」
 そう言ってペコはとりあえず血を流そうと洗い場に足をかけて蛇口をひねる。勢いよくあふれ出した水のなかに膝を突っ込み、指先でそっと貼りついたゴミを払っていく。ステンレス製の流しをこぼれる水がほんの少しだけ赤く染まった。
 水を止めて二人はしばらくのあいだ傷口を眺めた。流したばかりだというのにまだ血はにじみ出てくる。
「止まんねーなぁ」
「もうちょっと洗った方がいいよ」
 そう言ってスマイルは蛇口をひねる。その腕に同じような傷をみつけてペコは思わず声を上げた。
「お前もケガしてんじゃん」
「え?」
 言われて初めて気付いたというようにスマイルは腕を眺め回す。そうして、うっすらと血のにじんだ傷口をみつけて「ホントだ」とびっくりしたように呟いた。
「あいつらにやられたんか?」
「…覚えてない」
 首をひねりながらスマイルも傷口を洗おうと腕を伸ばした。ペコはその手をつかんで止めて、
「いいこと思いついた」
 にししと笑う。
「なに?」
 不思議そうな顔をしたままのスマイルの腕を引き、血のにじんでいる部分を、自分のケガの部分と重ね合わせる。強く押し付けると膝から出ている血がスマイルの腕にべっとりと張り付くのが見えた。腕を離し、お互いの傷口が真っ赤であることを確かめて、
「義兄弟ごっこ」
 そう言ってペコはにっかりと笑った。
 スマイルはしばらく呆気に取られたような顔をしていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「血は水よりも濃いって言うしね」
「へ? どーいう意味?」
「なんでもない。――ほら、消毒するよ」
 互いの血を水で洗い流してスマイルはペコをイスに座らせる。そうしてオキシドールにたっぷりと浸された丸綿をピンセットでつかみあげ、そっと傷口に押し付けた。
 ペコの悲鳴が保健室に響き渡った。


ペコ:片瀬小学校五年六月/2004.10.18


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