碧【ヘキ】:
 青く美しい石/みどり。あお。あおみどり。濃い青色/


 孔は部屋に入ってからずっと落ち着かない。
 荷物を床に置いてコタツに入ったかと思えば、すぐにそこから出て棚のなかの本をのぞき、ベッドに腰かける。そうして窓からの眺めにじっと見入り、また立ち上がって今度は風呂場をのぞいている。
「きれいだな」
 風呂場の扉を閉めて孔は感心したようにそう言った。
「建物自体が新しいらしい。住み始めてまだ一月ほどだしな」
 風間は答えながら紙フィルターにコーヒーの粉を放り込む。
「私が住んでいたアパートと全然違う。いいな、私もこういう部屋に住みたかった」
「上海ではどんな部屋を借りているんだ?」
「普通の家だ。母親の知り合いが住んでいる家。空いている部屋を作り変えてアパートのようにした。壁に入口が二つある。隣はその知り合いが住んでいる」
「大家と同居か。苦労が多そうだな」
 そう言って風間は苦笑した。
「一人の生活はどうだ」
 また部屋に戻って置いてある家具の一つ一つをじっくりと眺めながら孔が聞いた。
「気楽でいいとも思うが、反面なんだか寂しいな。ずっと寮住まいだったから知り合いはすぐ近くに居たし、食事も作らなくて済んだ」
「すぐに慣れる」
「だといいが」
 風間はコーヒーメーカーのスイッチを入れると部屋に戻った。
 先月借りたばかりのこの新しいマンションには、実は自分もまだ馴染んでいない。ふとした瞬間に見える部屋の風景が、以前記憶していたものと違っていることによく戸惑った。一瞬の錯覚ののちに、自分が寮に居るわけでないことを思い出す。そんなことの繰り返しだった。
 孔は棚のなかをじっとみつめていた。そうして小さな青い石を手に取り、
「これ、なんの石だ?」
 ためつすがめつ眺め回している。
 それは二センチほどの大きさでなかに雲母のようなものが入っている。色は濃い青で、角は磨かれたように丸い。
「ずっと昔、京都で買ってきたものだ」
 風間は孔から石を受け取りながらそう答えた。
「京都に八坂神社というところがあってな、そこで買った。八坂神社を守っている青竜の目だという話だったな」
「せ…」
「せいりゅう。青い竜のことだ」
 そう言って風間は石を光に透かし見た。それは石というより水晶のようなもので、光にかざすとなかが透けて見える。光に薄まった青い色は南国の海の色を連想させた。恐らくはガラスで出来たただの塊なのだろうが、その色に惹かれて衝動的に購入したのだった。
 孔に渡すと、彼も同じように石を光に透かしながらその青さにじっと見入っていた。
「良ければあげるよ」
 そう言うと孔はこちらに振り向き、
「…いや、いい」
 石を元の場所へと戻してしまった。
「本物がここにある」
 そう言って風間の目をみつめ、笑いながら唇を重ねてきた。


風間:大学卒業三月/2004.10.13


back:039 冬 お題トップへ next:041 緋