冬【トウ】:
 ふゆ。四季の一つ。陰暦では十・十一・十二月。また、立冬から立春まで/


 未明に降り始めた雪はその日一日中降り続け、夜が更ける頃には十センチ近くもの積雪となった。バイトを終えて最寄り駅にたどり着いたスマイルは、しばらくのあいだ家へ帰ることも忘れて、ただ雪の降り続く空を見上げた。
 真っ暗な筈の空は雪のせいで不思議と明るく、じっと眺めていると吸い込まれそうになる。舞い落ちる雪の粒に視線を集中させると、まるで体が浮き上がって上昇しているかのような錯覚を抱かせた。
 やがてスマイルは人波に押されるようにして道路へ出た。そのままどこへ行くあてもなく、ぶらぶらと商店街を抜ける。ビニール傘に雪を積もらせながら本屋をのぞき、コンビニでコーヒーを買い込み、入るつもりのない食べ物屋の前でメニューを眺める。白い息を吐き出し、いつもより少し静かな町のなかで、ただぼんやりと立ち尽くす。
 ずいぶんと長いあいだ、ペコの声を聞いていない。
 去年の三月にドイツへと旅立って以来、ペコからはなんの連絡ももらっていなかった。手紙は勿論、電話の一本もかかってこない。たまに町中でペコの母親と顔をあわせ、その時にいくらか様子を聞くことはあった。元気でやっているようではあるが、やはり人づてに聞くうわさではどことなく落ち着かないものがある。
 じきに一年が経とうとしている。母親の話ではビザの更新がある為に三月ごろ一度戻ってくるらしいが、それを聞いて以来余計寂しさに拍車がかかってしまい、スマイルの心は重く沈みっぱなしだった。
 会えるかも知れないという期待が、もし会えなかったらどうしようという不安を喚起させる。過剰な期待が呼び起こした不安はどこへやることも出来ず、ただ心のなかに溜まっていく。そうしてそんな情けない自分に気付くたびに、自己嫌悪の深い波にさらわれてしまう。
 ――こんなに辛いなんて思わなかった。
 多少の予測はしていた。まだペコが日本に居る時ですらあれほどの寂しさを味わったのだ。現実に姿を消してしまったらもっと辛いに違いないとは思っていた。
 だけど、これほどまでに苦しいとは、残念ながら想像もつかなかった。
 スマイルはため息をついて神社への道をたどる。足を踏み込むたびに雪が鳴るのがなんとなく面白くて、殆ど無意識のままに道を歩き続けた。なにも考えずにいられることがひどく嬉しかった。
 境内は真っ白に染まっていた。雪明りのせいで、提灯が消えているにもかかわらず周囲は明るかった。足音を響かせて狛犬の前に立ち、台座に積もった雪のなかに手を突っ込んだ。指に触れる雪の冷たさがひどく心地良かった。台座の上の雪を全て払い、もう一方の狛犬の前に立ち、同じようにそっと雪を払う。
 そうして湧き上がる怒りと共に雪を握りしめると、林に向かって投げつけた。
「ペコのバカ」
 木の枝に積もった雪が音を立てて崩れた。一言を呟くと止まらなくなった。足元の雪を拾い、また投げつけながら、ペコなんか嫌いだと吐き捨てた。
 ――ペコなんか、大っ嫌いだ。
 そうして唇を噛みしめ、雪の落ちる音を聞きながらうつむいた。
 ふと振り返ると、自分の足跡が雪の上にうっすらと残っていた。だが降りしきる雪がそれらを少しずつ消していってしまう。
 ――どうしよう。
 足跡に降り積もる雪を眺めながら、ぼんやりとスマイルは考えた。
 どうやって歩いていったらいい? どこを目指して歩けばいい? この一年近くものあいだ、自分がなにをどうやって過ごしてきたのか良く覚えていなかった。こんなことがいつまで続くのだろう。一体いつまで我慢すればいいのだろう。
 誰が、この先の道を照らしてくれるというのか。
 スマイルはため息をつくようにして大きく息を吐き出す。そうして、頑張れと心の内で呟いた。
 ――大丈夫。
 今までだってなんとかやってきた。一人きりでどうにかこうにか歩いてこられた。きっと、大丈夫だ。大丈夫――。
 白い息を吐き出し、スマイルは暗がりに沈むお社をみつめる。誰も居ないそこに誰かの姿を求めてしまう自分が嫌で、ぎゅうと唇を噛みしめて石段に向かった。顔に吹きつける雪を払い、また小さくため息をつき、白く染まった町を見下ろしながら、少しだけ泣いた。


スマイル:大学一年一月/2004.09.23


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