夏【カ】:
 なつ。四季の一つ。立夏から立秋まで/ゲ。僧の夏九十日間の座禅修行/昔の中国の自称/中国最古の王朝の名/大きい。さかんな/大きな建物/


「うぁぢー」
 ペコは何度も同じ台詞を吐き出しながら、人通りの少ない商店街をだらだらと歩いている。隣を歩くスマイルがさっきから呆れたような顔でこちらを見ていることは知っていたが、そんなことで姿勢を正すような彼ではない。しまいにはスマイルの着ているシャツの裾をつかみ、
「スマイルー、おんぶ」
「冗談じゃない」
「んだよ、けが人に向かって冷てぇなぁ」
 そうして、けちっ、と吐き捨てるように呟いた。
「僕だって暑いのは同じなんだからね」
 スマイルはそう言って流れ落ちる汗をわざとらしくぬぐってみせる。
「荷物持ってあげてるんだから、感謝してください」
「へーい」
 ペコは口をへの字に曲げて不承不承うなずいた。そうしてスマイルが抱えるスポーツバッグのなかのトロフィーを思い出し、ついにやにや笑ってしまった。そのふやけた笑顔を目撃して、「だらしない顔」とスマイルが笑う。
 熊本でのインターハイ本戦がようやく終わった。二人は海王の顧問にまとめて引率され、数時間前羽田空港に到着した。そうしてやっと最寄り駅にたどり着いたところである。
 ペコは決勝戦で風間と再び対戦し、激闘の末に勝利を勝ち取った。その優勝記念のトロフィーがバッグのなかに入っているのだ。昔からてっぺんに立つと誰彼ともなく宣言していたが、こうして実際望んだ場所に立ってみると、やはり感慨深いものがあった。
「このまま医者行った方が良くない?」
 スマイルに聞かれるが、ペコは首を振った。
「一度うち戻る。保険証ねえしよ」
 インハイ予選の頃から悪化させていたペコの右膝はかなり限界に近く、家へ向かっている今も殆ど引きずるような状態だった。
 心配するようなスマイルの視線をよそにペコはコンビニの前で立ち止まり、
「ちょっと休憩」
 そう言ってスマイルの返事も聞かずに店のなかへと入っていく。
「アイスとジュース、どっちがい?」
「おごってくれるの?」
「荷物持ちさせてっからな。運び賃だ」
「じゃあジュース」
 スマイルはそう答えるとさっさとジュースの置いてある棚へと歩いていってしまう。ペコは駄菓子の棚を物色してからスマイルの脇に立ち、棚の下の方に見覚えのある品をみつけて思わず目を見張った。
「…ラムネちゃんですよ、スマイル先生」
「ホントだ。珍しいね、コンビニにあるなんて」
「しかも瓶ですよ先生」
 そう言ってペコは迷いもなくラムネの瓶を手に取った。「僕も」とスマイルが言うので二本取り、レジへと向かう。そうして店を出て行きしなさっそくフタの包装紙を剥ぎ、ビー玉を押し込んで吹きこぼれる泡を吸い込んだ。
「くわーっ、やっぱ夏はこれだよなあ」
 口の端にこぼれたラムネを腕で拭き取り、ペコは空を仰ぎ見た。
 真っ青な空を切り取るようにして厚い雲が浮かんでいる。強い日射しが雲に影を作り、セミのうるさい鳴き声が耳に突き刺さりながらも、もう終わってしまったんだと心のどこかが呟いた。
「ペコ?」
 声に振り返ると、スマイルが怪訝そうな表情でこちらをのぞきこんでいた。
「オババんところ寄ってこうぜ」
 そう言ってペコは率先して道を歩き出した。
「病院は?」
「あとでいいよ。トロフィー見せて自慢してやらねえと」
「そっちこそあとでもいいと思うけど」
「いーから、早く」
 しょうがないなぁというスマイルの呟きを耳にしながら、終わったんじゃない、今やっと始まったんだとペコは思う。
 本当のてっぺんに立つ為の階段を、ようやく一段上がっただけだ。


ペコ:片瀬高校二年八月/2004.09.15


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