春【シュン】:
 はる(ア)四季の第一。立春から立夏までの間(イ)年のはじめの称(ウ)男女の情欲(エ)としごろ。青年期/とし(ア)としつき(イ)年齢/


 部活からの帰り道、孔はいつも木村をコンビニに誘う。そうして栄養ドリンクの置いてある棚へ一直線に向かい、迷いもなくウィダーインを手に取るとさっさとレジへと持っていく。
「コンビニで買うより薬局でまとめ買いした方が安くねえ?」
 吸い口をくわえながら嬉しそうに道を行く孔にそう言うと、不思議そうな顔で見返されてしまった。
「なに、買い?」
「まとめがい。おんなじ数買うなら安く買う方がいいだろ? マツキヨとかで十個ぐらいいっぺんに買ってうち置いとけばいいじゃん」
「木村の家にか」
「違うよ、自分のアパートに。んで朝持ってくりゃいいじゃん。ってゆうか、それ美味い?」
「美味い。私、好き」
 孔はにっかりと笑い、なにやら鼻唄を歌いながらぶらぶらと道を行く。学食の料理に対しては味が薄いと文句を言う癖に、ほのかな似非マスカット味のこのゼリーだけは何故かお気に入りらしい。中国人の味覚はよくわかんね、と内心ぼやきながら、木村はアイスをくわえつつ孔の隣を歩いている。
 このおかしな留学生との付き合いも一年を経過した。最初はなんだか近寄りがたくて遠巻きに眺めていたが、夏休みに入る頃から徐々に打ち解け始め、今では辻堂卓球部に欠かせない一員となっている。なにしろ孔に勝てる部員が一人も居ない。その指導は的確で、誰もが認めざるを得ない技術と才能を持ち合わせていた。
 だがその卓球の鬼も、いざ部活を離れてみれば自分らと大差ない普通の少年で、意外に抜けたところもあるのが木村はおかしくてたまらなかった。たとえば今もウィダーインを口にくわえたまま、孔は少し先に植わっている大きなソメイヨシノに見とれている。ちょうど桜は満開になっており、確かに見惚れるほどきれいではあるが、自分の進行方向に自転車が止められてあることには気付いていない様子だった。
 結局ぶつかるすんでのところで木村は孔の腕を引き、衝突から回避させてやる。孔はまたにっかりと笑って「ありがとう」と言い、満開の桜の下で立ち止まった。
「木村、これ、なに」
 孔は桜を指差してそう聞いた。
「なにって…桜」
「サクラ? 花の名前?」
「そうだよ。桜ってゆーの」
「へえ…」
 口にくわえたウィダーインが落ちそうになり、あわててつかみなおしている。そんなに珍しいかと不思議になった。
「中国にないのかよ」
「ない」
「マジ!? そうなんだ、へえぇ〜」
「きれいだな」
 再び道を歩き始めて孔はぽつりと呟いた。
「日本に来た時、あれがあった。あれはいい、…さ、」
「さくら」
「サクラ。日本で私を迎えてくれた」
「ふうん」
 木村は食い終わったアイスの棒を口にくわえながら振り返る。
「ま、桜は日本の象徴みたいなもんだからな」
「へえ」
 毎年見慣れている筈であっても、桜の姿を見ると安心する。今年もいろんなことが始まるのだと気が引き締まる。そういうことを考えるのは、やはり自分が日本人だからなのだろうかと、木村はあらためて考えさせられた。
「木村。ショーチョー、なに。意味は?」
「………えぇっとお、」
 暖かな春風が二人のあいだを吹き抜けた。


木村:辻堂学院高校三年四月/2004.08.31


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