雫【シズク】:
 しずく(しづく)。水のしたたり。雨だれ/


 雨は突然に降り出した。ペコとスマイルは降り注ぐ大きな雨粒から逃げるようにして神社のお社の軒下へと駆け込んだ。
「うひゃー、いきなりだな」
 勢いづいてお社の真ん前まで駆け上がったペコは、濡れた髪の毛を掻き上げながら境内に振り返る。強い風が吹き渡り、落ちてくる雨粒を二人に向けて吹き飛ばしていた。
「夕立っすか」
「多分ね。通り雨だとは思うんだけど…」
 軒下から空を見上げつつスマイルは濡れたメガネをはずした。ハンカチでレンズを拭きながら石段を後ろ向きに上がってくる。
「ちったぁ涼しくなりますかね」
「なるといいですねぇ」
 二人はそう言って小さく笑いあい、お社の前の石段に並んで腰をおろした。雨が敷石にぶつかってぼつぼつと音を立てている。ペコは両足を抱え込むようにして、じっと敷石に降りかかる雨をみつめた。
 高校三年の九月、一応部活は引退となったが、それでもペコは毎日のように体育館へと足を運んでいた。後輩たちと一緒にストレッチをしたり、部内の対抗試合にまぜてもらったりしながら、渡独に向けての準備を毎日着々と進めていた。
 スマイルは週に何度か予備校へ行き、そうでない日は図書館で勉強をしながらペコを待った。そうして二人は一緒に帰るようになっていた。まるで恋人同士のように。
 スマイルのため息にペコは振り返る。メガネをかけなおしてぼんやりと空を見上げるその横顔に、何故か一瞬みとれてしまった。あわてて境内に顔を向けると、ペコは吹きつける風に追い込まれるようにして身を縮こませた。
「なんか、雨の音っていいね」
 不意にスマイルが呟いた。
「そうか?」
「うん。なんとなく好きだな、この音」
 ペコはじっと耳を澄ます。ザーザー降りだった雨はいささか弱くなっており、音といってもそれほど大きくは聞こえない。お社の屋根が時折鳴る程度で、どちらかといえば目の前に落ち始めた雨垂れの方が優勢だ。
「…あんま、よくわかんねえなぁ」
「そう?」
 スマイルは小さく笑ってまた空へと視線を投げる。墨をこぼしたような黒い雲がものすごい勢いで流れてゆくのが見えた。この分ならそれほど待たないうちに雨は上がりそうだった。
 不意に手を握られてペコは振り向いた。スマイルは空を見上げたまま知らない振りをしている。
「エッチ」
 ペコがそう言うと、ようやくこちらに振り向いた。
「手ぇ握ったぐらいでそう言われるのは心外だなぁ」
「じゃあスケベ」
「…もっと嫌だ」
 くすくす笑いながらスマイルが顔を寄せてくる。そうして軽く触れるだけのキスをして、おかしそうにじっと顔をのぞき込む。
「エロオヤジ」
「押し倒すよ」
「ごめんなさい」
 またキスをして、そうしながらも、スマイルはどこか寂しそうだ。
「…んな顔すんなよ」
 ペコは思わず慰めるように手を握り返して、自分の方から唇を寄せた。
 そのまま二人は手を握り合いながら雨垂れの音を聞いていた。止まなければいいのにと、どちらからともなく考えながら。


ペコ:片瀬高校三年九月/2004.07.07


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