真【マコト】:
まこと。ほんとう/自然のまま。生まれつき/道。まことの道/正しい/まことに/道教の奥義。また、奥義をきわめた人/えすがた。本物そっくりにうつしたもの/書法の一体。楷書/
オババはさっきから壁際に額縁をかけては離れ、壁を一瞥し、首をひねってはまた額縁を取り替えるという動作を何度も繰り返していた。客が一人も居ない初夏の昼下がり、道場ではこの時ばかりとガンガンにエアコンがかけられている。
「こんにちはー」
スマイルの声が聞こえると同時に、道場の扉がからからと音を立てて開けられた。オババは卓球台に寄りかかるようにして振り返り、くわえていた煙草を手に持って、「よう」と声をかけた。
「うひゃー、涼しい」
「外はあちぃか」
「灼熱地獄だよ。なんだか年々暑くなってく気がする」
言いながらスマイルはエアコンの吹き出し口の前に立ち、ぱたぱたとTシャツをあおいでみせる。そうして今更のようにオババに振り返った。
「なにしてるの」
「んあ? いやな、たまには入れ替えでもしてみようかと思ってな」
そう言って背後の卓球台を振り返った。そこには額に入ったままの写真たちが山のように詰まれて置いてあった。スマイルはようやくエアコンの前を離れて台に寄り、数々の額縁を手にとっては写真を眺めた。
「ずいぶん古いのもあるんだね」
「まあな。道場始めてからずいぶん経つしな。――古いと言やぁ、ほれ」
オババは煙草を灰皿に置いて額縁の山を探る。そうして一枚の額を取り出してみせた。
「…懐かしいね」
受け取ったスマイルは、なかの写真を眺めて小さく笑った。そこにはまだ小学生の自分が居た。ペコと佐久間と共に出場したホープス大会の優勝記念写真だ。
「欲しけりゃ持って帰っていいぞ」
「うん…」
言いながらもスマイルは壁に振り返る。そうしてそこに、ペコと共に写る新しい写真が飾られているのを見て、
「いいよ。邪魔でなければ置いといて」
「いらねえのか?」
「なんか、恥ずかしいんだよね、小さい頃の自分の写真って」
そう言いながらもスマイルはまた手のなかの写真に目を落とした。オババは燃え尽きそうになっている煙草を灰皿に押し付けて、小さく笑いを洩らした。
「自分の原点がそのまま残ってるからな」
「……」
スマイルは返事に困ったように苦笑しながら肩をすくめた。
オババはスマイルの手から額を受け取り、山の隅へと置いた。
ここを原点としてペコが飛び立った。今はドイツの一部リーグで若きエースとして活躍している。そうしてスマイルもまたここを原点として飛び立とうとしている。小学校の教員になるのだと、先日教育実習を済ませたそうだ。佐久間はなんと十月に結婚する。
頼りなかった筈の弟子たちは弱々しい足取りながらも、きちんと自分たちの道を歩き始めていた。自らの保護を離れるのは寂しくもあるが、それでも写真のなかの弟子たちはあふれんばかりの希望に笑い、そうして目の前に立つその将来の弟子は、あの頃よりももっと強い笑顔で今を自由に生きている。
「そろそろガキどもが来るな。準備しとけ」
オババはそうスマイルに命令し、自分は額縁をダンボールに詰め込み始めた。
彼らは自分の道をみつけて歩き始めたが、まだまだ指針を必要とする幼い弟子がオババにはたくさん居る。奴らの為にもまだ引退するわけにはいかねえなと、壁にかかる写真のなかのペコに向かって、オババは小さく笑いかけた。
スマイル:大学四年七月/2004.06.27