嘘【ウソ】:
 吹く。ながく息を吐く。また、息を吹きかける/なげく。ため息をつく/すすり泣く/うそ。いつわり/


 どこか遠いところで消防車のサイレンが鳴っているのを、孔は窓枠にもたれかかりながらぼんやりと聞いている。強く吹きつける風が窓ガラスと玄関の戸を揺らし、がたがたと騒がしい音を立てていた。
 こんな晩に火が点いちゃ、燃え上がるのは早いんだろうな、そう孔は考えた。そうして、もし近場なら行ってみようかとふと思う。そうしながら、手に握ったままの携帯電話に視線を落とした。
 火のなかに投げ込めば、絶対に壊れるに違いない。今画面にはこれまでの着信記録がずらりと並び、その殆どに風間の文字が表示されている。最後の着信は去年の日付けだ。もう二ヶ月近くものあいだ、誰からも電話を受けていない。
 孔はふと顔を上げてテーブルの向かい側を眺めた。誰も居ないそこは、通常見慣れている筈の光景であるのに、何故か物足りないと思ってしまう。孔は不意に立ち上がってその空席を眺め、そっと、静かな部屋のなかで息を凝らしながら腰をおろした。そうして携帯を握ったまま両足を抱きしめ、今度はカーテンのかかった窓をみつめた。
 ――あいつはいつもこの絵を見てたのか。
 そこには自分が座り、そうしてどんな顔をしていたのだろう。その顔を見ながら風間はなにを考えていたのだろう。
『今…私の、目の前に居る』
 その一言がどんな意味なのか、理解するのに少し時間がかかった。冗談だろ、そう言おうとした時、風間はいつものようにおやすみと呟いた。じゃあ、また。その一言だけがなかった。
 おのれの言動に忠実に、風間は以来電話をくれない。孔も一度もかけていない。着信は去年の日付けのまま止まっている。発信はそれより更に前だ。
 孔はそっと手を伸ばして床に触れた。安物のカーペットを指で引っ掻きながらじっと手のひらを押し付け、そこに風間の存在を感じ取ろうとする。が、そんなものがある筈もなく、その事実に、孔は言い様のないむなしさを覚えた。
「……」
 誰も居ない部屋はやけに広い。ここでずっと一人で暮らしてきたのに、その広さがたまらない。
 一人は、寂しい。
「――言いっぱなしで、逃げんなよ…っ」
 思わず呟いた時、不意に涙がこぼれ、孔は息を呑んだ。そうして息を詰めながら静かに泣き、泣きながら、
 ――卑怯者。
 そう思った。
 また遠くからサイレンが聞こえてきた。今度は近場のようだ。孔はふと顔を上げて窓の外を探り、今から現場へ行こうかと考えた。そうして携帯を火のなかに投げ捨ててしまえば、もう二度とこんな思いをしなくて済む。電話がかかってくることを望まずに済む。
 けれどどうしても立ち上がることが出来なくて、結局孔は静かに泣き続けた。
 ――あいつが卑怯者なら、俺は臆病者だ。
 そう思いながら、ただ泣き続けた。応えるものは窓に吹き付ける強い風ばかりだった。


孔:辻堂コーチ一年目二月/2004.06.27


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