影【カゲ】:
かげ(ア)ひかり(イ)かげぼうし(ウ)すがた。かたち/かげ。表に出ないこと/
肌寒い空気のなかを、ペコはジャンパーのポケットに両手を突っ込みながらのろのろと歩いている。
早くも日は暮れ、街は夕闇に包まれていた。通り過ぎるショウウィンドウの明かりが歩道を照らし、街灯が夜の闇をわずかに払拭しているが、それでもどことなく薄暗く感じてしまうのは、多分季節のせいだ。
味気ない夏があっという間に終わり、ドイツで初めての秋を迎え、まもなく冬に突入しようとしている。日増しに寒くなっていくのを肌で感じるたびに、どことなく心が重くなる。ドイツの冬は厳しいよとジェイが笑っていたのを思い出して、ペコはため息ともつかない息を吐き出した。
ブンデスリーガに参加して初めてのツアーが始まっていた。さすがに世界の壁は厚い。だがペコが居るのは二部リーグだ。更にまだ上がある。どんな強い奴らが待っているのかとわくわくもするし、同時に少し緊張も覚えていた。希望としてはこの一年で一部リーグへ上がりたかったが、その為にはなによりも勝たなければならない。
なのに、試合のことを考えるたびに、何故かスマイルのことを思い出してしまう。
――なっさけねえの。
自分がこんなにも脆い人間だとは思いもしなかった。
もうドイツへ来て半年以上も経ったのだ。それなのに日本に居た時よりもスマイルのことが気になってしまい、時には夢に見ることさえあった。電話の一本もかければ少しはマシになるかと国際電話を入れようとしたこともある。だけど、きっと声を聞いたらもっと寂しくなるに違いないと考えて、結局今の今まで実家以外に電話はかけていない。
信号で立ち止まり、ふと向かいの空を見上げる。そうして真っ暗な夜空に三日月がかかっているのを、ペコはじっとみつめる。
声が聞けなくても、あいつもこの空の下に居る。そばには居ないけれど、遠い故国できっと、元気でやっている。そうは思うのに。
『ペコ』
声が聞きたい。笑顔が見たい。あの温もりがひどく恋しい――。
「ペコ」
肩を叩かれて振り向くと、いつの間にかジェイが脇に立っていた。
「今帰り?」
「ああ…」
百九十に近い長身、こげ茶の髪、緑色の目。このシェアメイトの後ろ姿は、こうして正面から見ると全然違うと思うのに、時々びっくりするぐらいスマイルに似ていた。何度か名前を間違えそうになったこともある。そう考えると、外見だけなら案外ほかにも似ている人間は居るのかも知れない。
だけど、それでは駄目なのだ。似ているだけじゃ意味がない。
人の波に乗ってジェイと共に信号を渡りながら、またペコは空を見上げる。
夜空にかかった三日月は、なにも言わないまま、ただ静かに地上を照らしている。触れたら折れてしまいそうなほどに細くて、その儚さに、ペコは何故か悲しくなった。
ペコ:ドイツ二部リーグ十一月/2004.06.24