飛【ヒ】:
とぶ。とぶこと(ア)空をかける。空中を行く(イ)とび上がる。空中に上がる(ウ)空中に漂う(エ)発散してなくなる(オ)とびはねる(カ)とぶように速い/とばす。とばせる(ア)投げる(イ)走らせる/速くかける馬/高い/根拠なしに伝わる。でたらめ/
「あ…っん、…ん、…やぁ…っ」
暗がりのなかで孔は無意識のうちに逃げようともがいている。スマイルは孔の肩をベッドに押し付けてもう一方の手で乱暴に頭を撫で、何度も何度も首筋を吸い上げる。
「はぁ…! …あっ、…あん…!」
――悲しい夢を見たんだ。
痩せた肩を撫で回してスマイルは熱い息を吐く。唇を触れて、そのまま背中へと舌を這わせつつ深く突き上げた。
「や…っ、あ…!」
孔の手がベッドから逃げようと伸び、それに気付いたスマイルは腕をつかんで後ろ手に押さえ込む。
「やだ、や…っ、あ…ぁ…っ、はぁ…っ!」
激しい突き上げに孔は首を振り、そうしながらもせがむように腰を振る。どこかいじらしくてたまらず、それでいてひどく憎しみを覚えるのが何故なのか、スマイルにはわからない。
――君が、どこにも居ない。遠い異国へ消え去ったわけじゃない、この世のどこにも、君が居ない。
前は誰にこんな声を聞かせていたのだろう。もがく腕をきつく押さえつけながらスマイルはぼんやりと考える。何故素直に自分に抱かれたりするのだろう。嫌だと何度も口の端にこぼしながら、それでいてこんなにも艶の帯びた声で鳴くのは、どういうわけなんだろう。
「嫌ならやめてもいいよ」
不意に動きを止めてそう呟くと、孔が身をすくませるのがわかった。
――君が居ないのを、僕は普通に思っている。なんの疑問も感じずにただ生きている。
スマイルはそっと耳元に唇を寄せて舌先で孔の耳の縁をなぞり、荒い息の合い間に洩れるうめき声を楽しむように聞いている。互いの体は熱く、ねっとりとからみつく蒸し暑い空気のなかで、孔の甘い匂いはどこまでも広がっている。
「……やめないで…っ」
消え入るような声で孔が呟いた。
スマイルはかすかに笑いを洩らして、
――ただ君を失ったという事実が、そこにあるんだ。
孔の頭を乱暴に撫で、
――ただ漠然と、あるべきものがないということを、強く感じているんだ。
「もっと、して…」
――それが悲しいことだなんて思わなかった。
「…ね、早く…!」
――そんな世界が存在することを疑問にも思わなかった。
スマイルは孔の肩に口付けをし、腕を離して代わりに腰をつかみ、また激しく突き上げ始めた。孔の口からあられもない嬌声が洩れ、それが歓喜に満ちたものであることに気付いてまた興奮し、同時に怒りにも似たなにかが胸のなかを掻き乱す。
――夢で、良かった。
現実でならいくらでも泣ける。君を失って寂しいと思える今の方が、あんな夢より何倍もいい。そう思ってスマイルはまた孔の肩を撫でる。そうして荒い息の合い間に、
――ペコ。
そっと呟いた。
スマイル:大学二年八月/2004.05.06