雪【ユキ】:
 ゆき/ゆきふる。雪が降る/白いものの形容/きよい/すすぐ。洗いきよめる/ぬぐう。払う/


 シャワーを浴びて部屋に戻り、髪の毛をタオルで拭きながら孔は床に腰をおろした。グラスに入れっぱなしのまま放っておいたウーロン茶を一口飲み、ふと窓の外から聞こえてくる子供の笑い声に振り返る。
 ――もう十時だぞ。
 大人が一緒についているようではあるが、それにしても夜更かしが過ぎないだろうか。そう思って孔はカーテンを少し開けて窓の外を眺めた。
「うわっ」
 思わず驚きの声が洩れた。窓の外はうっすらと白く染まっている。
「…雪か」
 辻堂から帰ってくる時にみぞれ混じりの雨が降っていることには気が付いていた。けれど雪になっているとは思わなかった。笑い声はゆっくりと去っていっている。こんな時間に子供を連れて外を歩いているのは、この雪のせいか――はたまた無関係ななにかのせいか。孔には知るべくもない。
 ――どうりで寒いと思ったら。
 薄く窓を開けて孔はしばらくのあいだ雪が降るのを眺めていた。雪は上海でも殆ど降らない。音もなく降り積もる白い塊をじっと見上げて、冬だもんなぁとぼんやり思った。
 息が白く曇るのがなんとなく面白かった。子供のようにわざと熱い息を窓の外に向かって吐き出すうちに、ふと誰かと話がしたいと思った。寒さに身震いしながら孔は窓を閉め、部屋に振り返り、少し迷ったのちに携帯電話を手に取った。
 とはいえ、こんな時に気軽に話が出来る相手など片手で数えられるほどしか居ない。五回鳴らして出なかったら切ろうと決めて、孔はスマイルの携帯電話を呼び出す。
 呼び出し音が鳴るのを聞きながら、誰かに電話をかけるなんて久し振りだなとぼんやり思った。そのままふと物思いに沈み、相手が出た瞬間、自分が誰に電話をかけていたのかを忘れてしまった。
『もしもし?』
「あ…」
 あわてて画面を見直したが、通話時間の表示しか出ていない。再び携帯を耳に当てて、
『孔? 珍しいね、電話くれるなんて』
 ――月本か。
「ああ――今、大丈夫か」
『平気だよ』
 一瞬、何故か風間にかけている気になっていた。窓枠にもたれかかってごまかすように、なんの前触れもなく孔は聞いた。
「明日、暇か」
『六時までバイトだけど、そのあとなら暇だよ』
「鍋を作る。食べに来ないか」
『いいねぇ。喜んで』
 受話口の向こうで、寒いからねとスマイルが笑っている。
「雪が降っているな」
 窓の外に目を向けながら孔は言った。
『積もるといいね』
「そうだな…」
 音もなく降り積もる雪を眺めながら少しスマイルと話をした。電話を切ると、なんの話をしたのか思い出せないほど他愛ない話だった。そうしておやすみという呟きを耳の奥に残しながら孔は携帯電話をテーブルに置き、
『飯を、食べに来ないか』
 こんなふうに違う誰かを誘うことになるなんて思ってもみなかったなと、ふと苦笑した。
 翌朝まで降り続けるのかどうかはわからなかったが、少なくとも、今は見る限り一面の銀世界だ。まるで見知らぬ土地に来てしまったかのような錯覚があり、孔は不安と、ほんの少しの嬉しさを覚えて、自分でも気付かないぐらい小さく笑った。


孔:辻堂コーチ三年目一月/2004.05.03


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