陽【ヨウ】:
 ひなた。(ア)日光のあたる所(イ)山の南側。川の北岸/あきらか。あらわれる/あたたか/表。表面。おもてむき/易の用語で陰に対して男性的・積極的・動的なもの/ひ。太陽/男子の生殖器/電気や磁気の陽極/いつわる。いつわり。ふりをする/


 春の風がぬるま湯のようにペコの体を包んでいる。片瀬高校に入学以来、指定席となっている屋上の一角で、教室を抜け出したペコは午睡を楽しんでいた。
「やっぱ春は眠くなるよなぁ」
 うつらうつらと意識を引き込まれながらも、ペコは脇に座り込むスマイルにそう声をかける。
「俺思ったんだけどさ、冬眠して今頃出てくる奴ら居るじゃん? それとおんなじで人間はさ、今頃から梅雨明けまで冬眠するべきなんだよ、ぜってーそうだよ」
「それ、冬眠て言わないよ」
 倉庫の壁に寄りかかるようにして遠くを眺めながら、スマイルは呆れたように呟いた。珍しくペコのサボりに付き合いながら、相変わらずの仏頂面は崩さない。
「じゃあなんすか。春眠? あ、だから『春眠暁を覚えず』っつーんか」
「…そうかもね」
 昔の人は上手いこと言うよなぁと呟いてペコは笑い、屋上に寝そべりながら目を閉じた。昨日まではひどく強い風が吹いていた癖に、今日は驚くほど静かだった。昼寝には最適の午後である。
「にしても、スマイルがサボりに付き合うなんて、珍しいじゃん。どういう風の吹き回しよ」
「別に…」
 素っ気無く返しながらスマイルは空を見上げて、
「まぁ木の芽時だからね」
「あに、それ」
「…いつもと違うことでも、してみようかなって」
「ふうん」
 興味なさそうに答えるとペコは目を閉じた。そうしてさっきからこっちこっちと呼びかける夢の世界へと入ってゆく。グラウンドから飛んでくる歓声と、遠くから響く電車の音が子守唄の代わりだ。自分の腕を枕にして硬いコンクリートの上で横になり、あっという間にペコは眠ってしまう。
 一人で現実に取り残されたスマイルは、壁に寄りかかったままじっと空を見上げている。かすかに吹き渡る風が前髪を揺らし、メガネの奥に入り込んで目に吹き付ける。何度かまばたきを繰り返しながらふとペコの寝顔を見下ろして、そっとため息をついた。
 ――まぁ、木の芽時だしな。
 ふと手を伸ばしてペコの髪の毛をつかみ、指先でもてあそぶ。そうして同じようにコンクリートの床に寝そべってペコの寝顔をみつめた。
 かすみがかった空から暑いほど太陽の光が射し込み、二人を屋上に縫いとめようとしている。床に落ちたペコの影に手を置いて、もう片方の手でペコの髪をもてあそびながら、その寝息を子守唄代わりにスマイルも目を閉じた。
 暗闇の世界のなかで響くのはペコの声ばかりだ。そおっと、気付かれないようにそおっと指先で後ろ頭を撫でて、そうしながらスマイルはいつまでも眠った振りを続ける。
 ぬるむ水のような春の空気のなか、スマイル一人だけの、至福の時間。


スマイル:片瀬高校一年四月/2004.04.23


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