「来月は夏さんが戻ってくるね」
予定表を眺めながら林が呟いた。
「私も楽になる。私、少し休む」
「やっぱり疲れてるんじゃない」
「少しだけ。だけど、大丈夫。無理はしない。林さん心配する、私、胸が痛い」
そう言うと、林は満面の笑みを返した。
「孔、もう上がっていいぞ」
厨房から店長が姿を現してそう言葉をかけてくれた。
「電車の時間あるだろ。あとはやっとくから、もう帰れ」
「はい。お先に失礼します」
「お疲れさん」
「お疲れさまぁ」
店長と林の二人に頭を下げて孔はロッカールームへ向かう。エプロンをはずしてロッカーのなかに放り込み、代わりに携帯を手に取った。
「着信あり」の表示に胸が騒ぐ。風間からだった。店を出てから、風間にかける。着信音を聞いてすぐに切る。しばらく待っていると、すぐに電話が鳴った。
『孔か?』
「ああ」
自分であることはわかっている筈なのに、いつもそう聞く風間がおかしかった。
『今大丈夫か』
「大丈夫。バイト終わった」
『お疲れ様』
のんびりと江ノ電の乗り場を目指して歩きながら、孔は風間の声に耳を澄ませる。
『なら今、藤沢なんだな』
「そう」
『…今日、そちらへ行ってもいいか』
風間の言葉に胸が熱くなる。いいに決まっている、そう言われることをいつだって望んでいるのに。
「――だけど、電車が」
『うん?』
「風間、電車が終わる。江ノ電は早い。寮からだと無理」
『それがな、実は今、藤沢に居るんだ』
「何故!?」
嬉しさと驚きのあまり、思わず大声が出た。すれ違った若い女性が驚いたように顔を上げて孔を見た。あわててうつむいて声を落とす。
「何故居る、部活か?」
『いや、それが――』
受話口の向こうで風間が苦笑した。
『一度電話をしたんだが出なかったから、バイト中だと思ったんだ。それで、どうにも我慢出来なくて、来てしまった』
「…バイトでなかったら、どうする」
『もう少し待って電話がなければ帰るつもりでいた』
バカかお前は。
そう言いそうになって、それでもやっぱり嬉しくて、孔は言葉に詰まった。
『孔?』
「今、どこだ」
『江ノ電の改札口だ。…駄目か?』
「――今行く」
電話を切って、孔は道を駆け出した。
――バカだな、あいつは。
呆れながらも、嬉しくてたまらない。
人込みを抜けると、券売機に寄りかかるようにして風間が立っていた。孔の顔を見ると安堵したように笑う。
「こんばんは」
「ああ」
孔は黙って定期券を取り出した。準備よろしく風間も切符を取り出してみせる。
終電間際の電車、しかも金曜の晩なので江ノ電は混んでいた。人いきれにむせながら二人は戸口付近に並んで立った。
「飯は食ったか」
「ああ。寮で済ませてきた。君は?」
「店で。――だけど、時間が早い。少し減った」
「なにか途中で買っていこう」
そう言って風間は微笑んだ。たったそれだけなのに、孔はなんだか恥ずかしくて、うつむいた。窓の外に視線を投げて風間の目をよける。
不意に誰かに指先をつかまれた。孔は驚いて見下ろした。風間が、他の乗客に見られないよう自分の体に隠しながら孔の指を握っている。少しためらったあと、孔も握り返した。そうしながら、バカはお互い様だと、孔は思った。