混み合う店内のあちこちから大声が聞こえてきていた。時期的に送別会が多いせいもあるのだろう。カウンターにおいやられるようにして腰をおろした風間と真田は、おしぼりで手を拭きながら同じようにメニューをのぞきこんだ。
「生ビール。でっかい方」
「私は中を」
「はい、生ビールの大と中をお一つずつですね」
店員が下がると、
「いやぁ、ほんっとーに、今度ばかりはあずったわぁ」
そう言って真田は携帯を取り出した。あずる、というのは広島弁で「困る」という意味だ。風間と同様、海王の生徒として神奈川に居住しながらも、使い慣れた言葉は変わらない。さすがに風間も聞き慣れているので意味を問い返すようなことはもうしなくなった。
「機械はいかんの。便利でええが、なくしてしもうたら、それでおしまいじゃ」
「それはなくす方が悪いのではないのか?」
「お前も相変わらずじゃのう」
風間の正論に、真田は苦笑して返す。
「元気でやっちょったか」
「ああ。君の方こそ、変わりはないか」
「ないのぉ。のほほーんと、うそみたいに平和じゃ」
そう言って笑った。
「たまーに、昔が懐かしゅうなる。あげん必死になっとったのはほんまじゃったんかと、夢でも見ちょったんじゃないかと、そげん思うてな…」
「そうか」
真田は高校卒業と同時に卓球を辞めたそうだ。責める筋合いなどどこにもないが、それでも、一人二人とかつての仲間が去ってゆくのを見るのは寂しく、同時にいつかは自分もその道を選ぶことになるのだと思い、時折暗い気持ちになることがあった。
やってきたビールでとりあえず乾杯し、真田は風間から番号を聞きだしては電話帳に順々登録してゆく。一人ずつ懐かしい名前が挙がるたびに二人は思い出話に興じ、知っている限りの現状報告に勤めた。
「ほれ、そういやぁお前、あれはどげんしたがか」
「あれとは?」
なんのことかわからず、風間は聞き返す。なにがおかしいのか真田はにやりと笑い、
「ほれ、卒業ん頃に付きおうとる女がおったがじゃろ。まだ上手いことやっとるんか」
「――ああ」
思わず苦笑が洩れた。そういえばそんなふうに誤解されていたのだ。すっかり忘れていた。
すぐには答えることが出来なくて、結局風間は首をかしげるにとどめた。それで伝わったようだ。
「別れたがか」
驚いたように真田は目を剥いた。
「ああ」
「なんでじゃ、ケンカでもしよったか」
「いや――なんというか、愛想を尽かされたとでもいうのかな」
「ほお」
「私は、駄目だ」
ビールを一口飲んで風間は手元に視線を落とした。
「自分かわいさに、ついつい、すぐいい顔をしてしまう。相手の為だと言いながら、結局は自分のことしか考えられない」
「…みんな、そんなもんじゃろ」
「ほとほと自分に嫌気がさした」
そう言って風間は天井を見上げた。大きくため息をつく。そして、情けない、とあらためて思った。
「ほうか、別れたかぁ」
真田の呟きに振り返る。
「いやな、あの時猫田と話しよったがよ。風間にあげん顔さす女ぁ滅多におらん、ありゃあたいしたタマじゃちゅうてな」
「…私はどんな顔をしていたんだ」
「でらあ幸せそうじゃった」
そう言って、その時のことを思い出したのか、真田は笑った。
「正直言うて、うらやましかったわ。男所帯じゃったしの」
「そうだな…」
孔からの電話が待ち遠しかった。次はいつかかってくるのかと夢にまで見た。バイト先へ行った時、驚きながらも笑顔で出迎えてくれて、
――会いたい。
嫌いになったわけではない。許されるのなら今からでも飛んでいきたい。会って、声を聞いて、この手に、抱きしめたい。
何故あんなことを言ってしまったのだろう?
言わなければ今でも会えた。向かい合って飯を食い、酒を呑み、笑いあうことが許された。
ただうそはつきたくなかった。それだけだ。その結果が、これだ。どちらが良かったのか、今となっては自分でもわからない。
「まあなんだ、わしが言うのもおかしいがの、元気出せ。女なんぞ腐るほどおる」
「ああ」
真田の言葉に笑い返しながら、風間はぼんやりと考える。
――孔は今、誰と一緒に居るんだろう。
それが誰であってもいい、ただ幸せであってくれれば、それでいい。
――そうか。
それだけだったのだ。結局のところそれだけが望みだった。勿論自分がそう出来るのであればそうしたかった、だが当たり前のようにそれは無理な話だ。
彼が心配だというのは、本当だ。
きっと忘れることなど出来ないだろう。そう思うとふと苦笑が洩れたが、それは嫌な想いを引きずるようなものとは、少し違った。