寝室のドアが開いてた。猫はそこでうるさいぐらい鳴いててさ、なにか騒いでるんだよ。おっかしいなあ、どこかの野良猫でも入り込んだのかなって思って、のぞいたんだ。まだ叔母さんが寝てたら叩き起こしてやろうと思ってさ。
暗がりのなかで、なにかが天井から下がって揺れてたんだ。猫はそれに必死になって飛びついてた。暗くてよく見えなくてさ、でも、なんだか入るのが怖くて、とりあえずドアを全開にしたんだ。
光が射し込んで、なかの様子がようやく見えた。
叔母さんが天井からぶら下がってたよ。…死後二日は経ってるって、町の医者が言ってたな。
足元でずっと猫が騒いでた。美味そうな匂いがしたんで、餌だとでも思ったのかも知れない。
「…なんでペコが泣くんだよ」
「泣いてねえよ」
そう言いながら、ペコはジェイの体にぎゅうと抱きついた。慰めるようにジェイの手が頭を撫でてくれる。
「それが始まりだったよ。人の死に立ち会ったのはそれが初めてだったけど、それからどういうわけか次々と身近な人が亡くなっていってね…もっとも、連続殺人みたいに立て続けっていうわけじゃなかったけど」
本当は弟も居る筈だったんだ。だけどまだ小さい時に、車に轢かれて死んじゃった。かわいそうだったなぁ。一番下の子だったから、母親が泣いてね。
ハイスクールの時は友達が死んだ。バカな奴でさ、麻薬のオーバードースだよ、情けない。僕はもうその頃卓球を始めてて、小さい頃の友達とは疎遠になっちゃってたんだけど、一番仲の良かった奴だったからやっぱり悲しかったなぁ。
「だけど一番悲しかったのは」
そう言ってジェイは言葉を切った。初めて言おうかどうしようか迷っているようだった。
長い沈黙が少し怖くて、うかがうようにペコは顔を上げた。ジェイは息を詰めてなにかを我慢していた。手を伸ばして頬に触れると、緊張したまま微笑んでみせた。ペコの手を取ってそっとキスをする。
「…僕の子供が死んだ時だ」
「――結婚してたの?」
「いいや」
寂しそうにジェイは首を振る。
「結婚しちゃえば良かったんだ。今ならそうした。だけど僕も彼女もまだ子供でさ、どうしたらいいのかわからなかったんだ。カソリックは中絶を禁じてるからね、堕ろすことも出来なかった。…そうやってぐずぐずしてるうちに、彼女が少しノイローゼ気味になっちゃってさ。ある日、ふと姿を消したんだ」
「……」
「三日後に、遠い町の病院で発見された。なにがあったのかは知らないけど、右腕を折っててね、ひどい姿だったよ。勿論、子供は駄目だった。誰がなにを聞いても一言も喋らなくてさ、結局なにがあったのか未だに教えてくれない」
「…その人、今は…?」
「神様の花嫁になっちゃったよ。修道院で暮らしてる。…別に、それがあったせいでゲイになったわけじゃないけど」
そう言ってようやくジェイは緊張を解いて微笑みかけてくれた。
「でも、誰かが居なくなるたびに、強く神様を恨んだ。どうして僕の大事な人ばかりを奪っていくんですかって、何度も何度も教会で泣いた。泣いて泣いて、だけどどうしたって死んだ人は戻ってこない。やさしかった叔母さんも、かわいかった弟も…友達とももう一緒に遊べない。…子供も抱けなかった。その時に思ったんだ。もう誰も欲しがらないでいようって」
「……」
「欲しがるのは卓球だけにしよう、そうすれば、なにも手に入れなければ、失うことはないんだって。バカだったけどね、でもそうでも思わないと、やってられなかった」
ジェイはぎゅうとペコの体を抱きしめた。
「だけど、今は少し違う」
「……?」
「手に入れる必要なんかないんだって思うんだ。結局は誰かの心を自分だけにつなぎとめておくことなんて出来ないだろ? たとえ監禁したってそんなの無理だ。こうやってペコと抱き合ってたって、それでペコが幸せかどうか、結局僕にはわからないことなんだよ。もしかしたら嫌でたまらないと思ってるかも知れない」
「んなわけねぇよっ」
「わかってるよ」
憤慨して身を起こしたペコに笑いかけて、ジェイはそっと手を伸ばす。誘うように広げられた腕のなかにペコは身をひそめて、またジェイが抱きしめてくれるのを待った。
「だから、僕に出来ることは、どうかペコが悲しくありませんように、幸せでありますようにって祈ることだけだ。もし悲しい目に遭っていれば慰めてあげる、誰かと一緒に居て幸せなら、それでいい。…僕に出来るのはそれだけで、でも、それだけで充分なんだって、思うようになった」
「…なんか、難しい」
「ペコが幸せでいてくれれば、つまりは僕もハッピーってこと。僕の為に精一杯幸せになってね、ペコ」
そう言ってジェイは頭を撫でる。
「でも、そしたらジェイは? ジェイはどうやって幸せになるんだよ、なんかわけわかんねえよ」
「――だから言っただろ」
ふと、寂しそうに笑った。
「自分でも嫌になるぐらいのエゴイストだって。自分が楽で居たいが為に誰の責任も背負わないだけなんだよ。結局僕は自分さえ良ければそれでいいんだ」
「そんなに人のこと考えててか?」
「そう。どうやったらその人が僕を必要としなくなるのか、考えるのはそれだけさ。僕のことなんか忘れてどこかで幸せでいて欲しい、そう思うからこそ、僕に出来る限りのことはなんでもする。その人がきちんと自分の足で立って歩けるようにね」
「――俺、もしかして、ここに居るの迷惑?」
あんなに大泣きして迷惑をかけたあとだ。どうにも居心地が悪くてたまらない。だけどジェイは顔を上げるとあわてて否定した。
「違うよ、そうじゃない。ペコが幸せになる為に僕が必要だったら、いくらでも僕を利用していいんだ。自分が進みたい場所を目指して、ちょっとでも歩けるようになる為だったら、僕はいくらでも協力する。泣きたければ泣いていいし、またしたければ、まぁいつでもおいで」
そう言ってジェイはにやりと笑う。ペコは恥ずかしくなってシーツに顔をうずめ、ジェイの視線をよけた。