ペコは迷うのが苦手だ。というよりも、考え込むことが好きでない。物事に白黒つけなければいけない時は、常識を考慮した上で基本的に自分の本能に従うことにしている。
 好きか、嫌いか。面白いか面白くないか。選択肢は二つだけ。それで困ったことがなかったので、十七年間生きてきても別段不都合は覚えなかった。
 ところが去年の冬から、それでは済まされないことが世の中には存在するのだということを、強く思い知らされ続けていた。スマイルの存在は、ペコにとって扱いを持て余すものとなってしまったのだ。
 好きかと聞かれれば、
 ――嫌いじゃねえ。
 そうとしか答えられない自分がいつも情けない。そして何故スマイルに関してだけは、はっきり白黒がつけられないのかといつも悩む。
 嫌いじゃない。それは本当だ。とっつきにくい奴ではあったけれど、どこか放っておけないところがあった。俺がついていなけりゃ駄目だな、と小さい頃から思っていた。小学生の頃はひどいいじめられっ子だったスマイルも、しかし今は立派な高校生だ。自分を見下げるほどに背も高くなり、運動のお陰で体つきも良くなった。ひそかに憧れている女生徒の数は多いようで、時々ラブレターの受け渡しを頼まれることまであった。
 なんで、俺なんだ。
『じゃあなんでペコは卓球が好きなの』
 好きだと思うことに理由などない。それはわかる。実際そうだ。何故卓球なんだと聞かれても、ペコには理由が答えられない。ただ面白いから、楽しいからでは納得されないことも承知している。それでも、卓球を失ってまで生きていけるとは思えなかった。それほどペコの「好き」は強烈だった。
 ただ同じように自分を好きだと言われて、しかも男に、しかも長年の友人にそう言われて、多分動揺しないでいられる方がおかしいのだろう。だから戸惑うのは当たり前なんだ。当たり前のように困って、困りながらも、スマイルは自分を傷付けようとしているわけじゃないことがわかるから、またペコは困ってしまう。
「ん…っ」
 ペコの口のなかでスマイルの舌が好き勝手に遊んでいる。逃げるように体を引いても、がっしりと肩を抱くスマイルの腕が、またペコの体を引き寄せてしまう。
「や、…っあ、や…っ」
 自分のものに触れるスマイルの手の動きに、たまらなくなってペコは首を振った。
「嫌…?」
 耳元でおかしそうにそう聞いてくるスマイルの声が、時々恐ろしい。あらがえないのがわかっていながら、わざともてあそぶようにスマイルは手の動きを遅くして、また早くする。じらすかのようなその動きに、思わず「もっと」とせがんでしまいそうだ。
「ペコって敏感なんだね」
 そう耳元でおかしそうにささやかれて、ペコは恥ずかしくてたまらなくなり、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「嫌なら、自分でする?」
「……っ」
 熱い息を吐くペコをおかしそうに見下ろしながら、意地悪そうな顔でスマイルがそんなことを言う。そうして不意にペコのものから手を離して、指先だけでつついてみせる。
「されるの、嫌なんだろ?」
「や…っ、スマイル、」
「するところ見せてよ」
「やだ…っ!」
 膝の上までズボンと下着を下ろされて身動きもままならないまま、ペコは必死になってかぶりを振った。また触って欲しくて思わずスマイルの手をつかみ、そうしながらもそれを自分のものに導くのは恥ずかしくて、どうしようもなくなってしまう。
 スマイルの部屋に来ると、こんなことばかりだ。夜は母親が仕事に行ってしまい、家にはほかに誰も居ないのをいいことに、ペコに好き放題触りまくっていた。今日はただ中間テストの為の試験勉強に来ているだけだったのに、やっぱりいつものパターンへと落ち着いてしまう。
 スマイルはペコに腕を取られたままくすりと笑い、
「して欲しいの?」
 空気にさらされたそれは、早くも達したくてうずうずしている。時折ぴくりと震えては、悲鳴の代わりに甘い汁をにじませる。
「もうぬるぬるだ…すごいね、ペコ」
「言うなっ…てば――あっ」
 再びスマイルの手が自分のものに触れて、ペコは体を震わせた。ゆっくりと撫でさするわずかな感触に、それでも安堵のため息を吐いてしまう。
 スマイルはペコの首筋を舌先でちろちろと舐め上げ、耳元で呟いた。
「イキたい?」
 ペコはそんなスマイルの腕にしがみついて、小刻みに体を震わせながら何度もうなずいた。スマイルの指の動きは本当にわずかで、それは終了へと導くものではなく、じらすだけのことにしかならなかった。
「じゃあ僕にもして」
「…する…から…っ、早く…!」
 今にも泣き出しそうなペコの表情に満足したようにスマイルは小さく笑う。そうして、自分の肩に押し付けたペコの顔を持ち上げると、深く深く口を吸った。
 ――こいつ、怖い。
 時々ペコは、本気でそう思う。こんなふうに執拗なまでに自分を求めるよう仕向ける、そのスマイルの想いの深さが、恐ろしい。すがりつくかのようにスマイルと舌を絡めあい、その手の動きにたまらない快感を覚えながらも、胸のなかの戸惑いは消えない。
「あっ…あ、は…っ!」
「ペコ…」
 スマイルの首にしがみついてただイクことだけを考える。それはたまらなく幸せな感覚ではあるが、本当はいつだってしがみついているのはスマイルの方なのだ。うっとりとした顔でペコに何度も口付け、自らの動きによってペコをその最果てまで連れていこうとしながら、怯えたようにペコの背中や腕や髪を痛いほど握りしめている。
 いつだって泣きそうになっているのはスマイルの方だ。ペコはとっくに知っていた。知っていながら知らないフリをするのが何故なのか、それはペコにもわからない。


 卓球のラケットは、その形一つとってもいろんな種類がある。
 日本式ペン、中国式ペン、そして西洋で主流のシェイク型。楕円に丸に四角型。ラバーの種類もたくさんあるし、ラケットの板だっていろいろある。
 目を閉じると、見知らぬ選手たちのラケットが放つ様々な打球音がペコの耳に飛び込んでくる。板によってわずかに音が違う。重かったり軽かったり、弾んでいたりかすかに粘りがあったりと、本当にいろいろだ。
 この音を聞くと、帰ってきたんだとペコは思う。そこでは迷う必要が全くない。ただ勝つことだけを考えて、球を追い、相手の手の届かない場所へと打ち返す。それだけだ。
 ここは、いい。
 インハイの予選会場のロッカールームで荷物を放り込みながらペコは思った。ここで俺は自由になれる。世界中のどこにも俺を縛ることが出来る奴は居なくなる。たとえ、
「ペコ、そろそろ開会式だって」
 スマイルの声にペコは振り返る。そうして小さくうなずきながら、
 ――たとえこいつでもだ。
 そう思った。
「邪魔すんなよ、スマイル」
 カバーに覆われたラケットを持ちながらペコは呟いた。その呟きにスマイルは驚いたように足を止めて振り返った。
「おめえにゃ悪いけど、今日だけは俺の邪魔すんな」
 ――悪いな、スマイル。
 友人の顔を見上げながら、ペコは心の底で呟いた。
 ――俺、お前が居なくなっても、構わねえや。
 今の自分を止められるものは、どこにもない。
 スマイルは言葉の意味を理解しようと、じっとペコの顔をみつめた。嫌な顔をしたら即行で消えてやる、泣き言なんざ洩らしたら殴りつけてやる、そう思いながらペコはスマイルの返事を待つ。
 けれどスマイルは口の端を持ち上げると小さく笑い、
「わかった」
 嬉しそうにそう言った。
「頑張ってね、ペコ」
「――お前もな」
 そうして二人は並んで歩き出す。歩きながら、なんだ、俺やっぱこいつのこと好きだわ、とペコは思った。いつでも泣きそうな顔をしていた癖に、こんなことを言われて初めて嬉しそうに笑った。そのスマイルが、好きだと思った。
「…お前、もっと笑えよ」
「なに?」
「なんでもね」
 隣にスマイルが居る。自分はただ勝つことだけを考えている。
 俺は、このスマイルが、好きだ。


back シリーズ小説入口へ next