孔が煙草の煙を吐き出して「苦い」と笑っている。どうやらオババからもらった煙草は、いつものとは少し違ったようだ。自分で吸うわけではないから違いがわかりづらい。
「おかしな味しない?」
「大丈夫。――何故だ」
「別に…」
 いつものようにベッドに寄りかかって、スマイルは孔の体を抱きしめている。
 珍しく孔から電話をもらい、鍋をご馳走になった。昨日降った雪は昼には殆ど溶けてしまい、ただ冷たい風だけがいつものように吹きすさんでいた。
 風が玄関の扉をがたがたと揺らすなかで、二人は相変わらず沈黙に沈んでいる。
『忘れるな』
 孔を抱きしめるたびに、スマイルはその言葉を思い出した。
『私は、その人とは、違う』
「ねえ」
 孔の肩に顔を乗せたままスマイルは呟いた。孔は煙草の灰を叩き落して振り返る。
「孔が卓球を始めたきっかけって、なに?」
「友達がやっていた。面白そうだから、私もやった。それだけだ」
「楽しかった?」
「当たり前だ。そうでなければ、今まで続けない」
「この先もずっと続けるつもり?」
「そうだな…そうしたいな。選手としては終わったが、卓球は好きだ。試合の楽しみ、育てる楽しみ、両方手に入った」
 そう言って煙草を吸い込み、煙を吐き出しながら灰皿に押し付けて火を消した。そうして灰皿を押しやって、スマイルの腕のなかで床に座りなおす。自分の腹の上で組み合わせているスマイルの手を取り、握り合って床に置く。
 孔の手は相変わらず冷たい。
 スマイルは右手を引き寄せて、そっと手の甲に唇を触れた。孔はなにも言わず、されるままになっている。じっとスマイルの唇の動きをみつめて、時折なにかを感じるようにふとまぶたを伏せ、息を詰める。
「ずっと日本に居る?」
「…さあな」
 視線をそらせて呟いた。
「いつまで辻堂が私を必要とするかわからない。私の技術でどこまで出来るかもわからない。だけど、出来るまでは続ける。それだけだ」
「…いつか、出来なくなったら?」
「その時考える」
「そんな適当な」
 孔の言葉に、スマイルはがっくりと肩を落とした。握り合った手を床に置くと、今度は孔が持ち上げて、もてあそぶかのようにスマイルの足に軽くぶつけ始めた。
「今から考えて、どうする。いつかは辞める、それは当たり前だ。だけど、いつか辞めるから、だから今辞めるか?」
「……」
「同じ間違いはしない」
「…同じ間違い?」
 聞き返すと、孔ははっとしたように手を止めた。そうして気まずそうにうつむいてしまう。
「…前の男と、それで別れた」
 やがてぽつりと呟いた。
「ひどくやさしい男でな、いつか迷惑になって捨てられるのが怖くてな、私が言ったんだ。『もう来るな』とな」
「…それで、その人は、なんて…?」
「――わかった、と。『君がそう言うのなら、そうしよう』。…最後の最後まで、バカみたいにやさしくてな…」
 孔が、まだその男のことを忘れられずにいるのだということが、嫌というほど伝わってくる。なにも言葉を返せなくて、スマイルはただ孔の横顔をみつめた。その視線に気付いて孔は振り向き、照れたように小さく笑った。
「…僕、来ない方がいい?」
 そう聞くと、孔は驚いたように目を見張った。
「何故だ」
「いや、なんとなく。迷惑かなと思って」
「迷惑は、違う。来たければいつでも来い。前も言ったな?」
「うん…」
 結局自分たちは傷の舐め合いをしているだけなのではないだろうか。そう思ってスマイルは悲しくなる。前の男が忘れられない孔と、純粋に孔が好きだと思いながらもことあるごとにペコを思い出してしまう自分と。
 袋小路に入り込んで、じっと身をすくめている。今の自分たちには、そんな感じがどこかある。多分助けを待っているのだろうが、どこからどんな助けがやってくるというのだろう? 変化が欲しければ自分で動くしかないのだ。たとえまた袋小路に行き着くとしても、
 ――多分、じっとしているよりはマシだ。
 問題は、出口になにがあるのか、だ。
 人との別れに辛くないものなど有り得ないのかも知れないが、それでも必要以上に孔を傷付けたくはない。
『忘れるな』
 忘れてはいない。だけど、いつまでもこうしていたら、結局は身代わりにしか出来ない。
 どうしたらいいのかいつもわからなくて、袋小路のなか、スマイルは壁をみつめて立ち尽くす。
 困ってスマイルは孔の肩に顔を置いたまま首の力を抜いた。首筋に唇を触れると、ほのかに甘い香りがする。孔の体から立ちのぼるその香りに、スマイルはいつも陶然とする。
「…ねぇ、なにかつけてる?」
「え?」
 スマイルの唇の感触にわずかに体を震わせて、孔が振り向いた。
「前から思ってたけど、なんかいい匂いがするんだよね」
「別に、なにも。どんな匂いだ」
「こう…甘くってさ、」
「うん」
「…欲情する」
「え?」
 スマイルはそっと唇を重ねた。孔の長いまつ毛が伏せられ、そうしながらも、戸惑ったようにすぐ唇は遠のいてしまう。スマイルは握られていた手を放して孔の体を抱き、もう片方の手であごをそっと押さえてまた唇を重ねた。舌が絡み合う感触に孔は鼻にかかった甘い声を洩らし、スマイルの腕をいつしか握りしめていた。
 そうして何度もキスを繰り返しながら、スマイルはそっと孔のトレーナーのなかに手を差し入れた。肌に触れると孔の体がびくりと震え、逃げようともがいた。スマイルは逃げられないように片手でしっかりと孔の体を抱いて、胸の辺りを探った。
「や…っ」
 突起を指でさすると孔は目をきつくつむり、刺激に耐えた。首筋に唇を触れるたびに孔の体は小さく震え、かすかに悲鳴を洩らす。
「…んっ、…や…っ」
「触られるの、嫌?」
 耳の裏を軽く舐めてスマイルは聞く。孔はわずかに呼吸を乱しながらスマイルに振り返り、困ったような表情のまま小さく首を振った。
「じゃあなんで逃げるの」
「逃げて…ない……あっ、」
 未だに明かりがついているのが恥ずかしいのはわかっていた。それでもわざと聞きたくなるのは、多分元からのスマイルの性根だろう。少し意地悪すぎるかなと思いながらも、スマイルの手は止まらない。両手をトレーナーのなかに差し入れ、固くなり始めた突起を指でこすりあげる。
「あぁ…!」
 孔は自由にならない手を必死に伸ばしてスマイルの腕にしがみつく。そうして首筋をくすぐられる感触に、また小さくうめき声を洩らす。
「は…ぁ…っ、あん……ん、」
「いい匂い」
 スマイルはそう言って孔の鎖骨の辺りへと鼻先を押し付けた。そうしながら舌先でちろちろと首筋を舐め上げる。
「やっ…あ、つきも、と…」
「なに?」
 わざとらしく聞き返すが、孔は目をぎゅうとつぶって小さく首を振るだけだ。そうする合い間にスマイルは孔のジーパンのなかへと手をおろして、おずおずと立ち上がり始めた孔のものに手を触れた。
「やっ、駄目…!」
「なんで?」
 孔が必死になって手を引くが、腕を押さえつけて指しか動かせない状態では、そんな制止などないに等しい。
「良くないの?」
「……っ」
 かすかに泣きそうな目で孔はうつむき、そうしながらもスマイルの手の動きに敏感に反応している。乱れた息の合い間にこらえきれない悲鳴を洩らし、そうしてまた恥じるように唇を噛みしめる。
「ここは気持ちいいって言ってるよ」


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