江ノ電沿線はろくな店がないということで意見が一致し、二人は藤沢で軽く飲むことにした。
「この店、私のバイト先」
 小田急線側へ出た時に孔がとある店を指差して教えてくれた。
「掛け持ちだ。大変だね」
「時間は長くない。大変は、違う」
 飲み屋に入って酒とつまみを幾つか頼み、二人はあまり喋らないまま酒を飲んだ。時折どちらかがふと物思いに沈むかのようにじっと黙り込み、もう一人はその姿をぼんやりとみつめ、グラスをかたむける。思い起こせば不思議な飲みの席だった。それでも二人のあいだに、言葉にならない奇妙な連帯感のようなものが生まれつつあった。
「月本は、卓球をするのが嫌か」
 煙草に火をつけながら孔が聞く。
「嫌ってことはないな。今でもたまに打つし。なんで?」
「土曜日は暇か」
 スマイルの反問には答えないまま孔が重ねて聞いた。「暇だよ」と言うと、
「バイトをしないか」
「バイト? なんだよ、それ。どういう仕事」
「コーチの仕事だ」
 そう言ってにやりと笑う。
「辻堂に筋のいい部員が居る。カットマンだ。私のコーチでは限界がある。本で調べたが上手くいかない。月本なら、ちょうどいい」
 そして、どうだ? と問うように孔は軽く首をかしげた。手抜きじゃないのかとも思ったが、コーチングは、子供相手ではあるがタムラでいくらか経験している。出来ないことはないと思う。それでもしばらく迷っていると、「飯をおごるぞ」と孔が付け加えた。
 その一言につられたわけではないが、スマイルはうなずいた。
「いいよ、別に」
「ありがとう」
 煙草の煙を吐き出して孔は笑う。当たり前のように素直な言葉が、不思議なほどまっすぐ胸に入ってくる。
「何時に行けばいい?」
「二時半に体育館。場所はわかるか」
「大丈夫。――辻堂卒業してから、ずっとコーチしてるんだ」
「そうだ。通っている時から指導はしていた。三年の冬に、一年生を教えた。それで辻堂の先生がコーチにならないかと言った」
「上海に帰るつもりはなかったの」
 そう言うと、孔は少し考え込む素振りを見せた。
「帰るつもりだった。日本に居ても、することがない。だけど、上海でも同じだ。することがない。普通に働く。だけど辻堂でコーチになれば、卓球が出来る。それで残った」
「卓球が好きなんだ」
「月本は違うのか」
「…嫌いじゃないけどね」
 そう言ってスマイルは曖昧に微笑んでみせた。孔もそれ以上は追究してこない。そうして二人はまた静かな飲み会へと戻っていった。
 二時間ほどで店を出て電車に乗った。軽い酔いに身を任せながら二人は戸口に立ち、ぼんやりと窓の外を眺める。雨は止んでいたが、外灯が照らす外の世界はしっとりと濡れており、見ているだけで心が寒くなるようだった。早く夏になればいいとスマイルは思ったが、騒がしいあの季節も、実はあまり好きではない。
「じゃあ土曜日に」
 先に電車を下りる時、スマイルはそう言った。
「ああ。もしなにかあったら電話をくれ」
「わかった」
 店で互いの携帯番号を交換した。普段から滅多に使わない自分の携帯の電話帳に、孔の名前が入力されているのを見るのは、なんだか不思議な気分だった。
「じゃあね。おやすみ」
「おやすみ」
 孔は軽く手を上げて応える。そうしてすぐに向こうを向いてしまった。その後ろ姿をちらりと見て、
 ――やっぱりペコに似てる。
 そう思って、スマイルは少し悲しくなった。


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