呟くと、続けるべき言葉がなくなってしまった。ドイツで起こったいろいろなことを話そうと思っていたのに――特にジェイのこととか――なにを話してもどうしようもないような気がして、ふと口が重くなった。
しばらく二人は無言でコーヒーを飲んだ。
やがてスマイルの手が伸びて、カップをつかむペコの小指を握った。ペコは恐る恐るカップを放すと、ためらいながら手を重ねてゆく。ぎゅうと強くつかまれて、ペコは思わず体を硬くした。
「ペコ」
「……」
「…お帰り」
スマイルは手を握ったまま親指だけでゆっくりとペコの手の甲を撫でさする。快感と恐怖と戸惑いと喜びがないまざったおかしな気持ちで、ペコはスマイルの指の動きをみつめていた。
「…俺さ」
ペコの呟きに、スマイルが顔を上げた。
「チーム入った時にさ、正直ちょっとびびったんだ」
「なんで」
「いや、マジでつえぇ奴らばっかなんよ。ドラゴンレベルの奴なんてざらでさ、しかも二部でそれじゃん? 負けるつもりはなかったけどよ、二部で個人のトップ取ったけどよ」
「うん」
「…なんか、毎日必死でさ、負けねぇように負けねぇようにって、トレーナーについてもらって――向こうの選手って回転のかけ方がすげーんだよ、ちょっと角度間違えるだけで変なところ飛んでっちまうからさ」
「そうなんだ」
「ホントに、まいんち必死になってさ…」
――なに、言おうとしてんだろ、俺。
わからない。それでも思いつくままペコは喋り続けた。
「試合とかも結構あってさ、まあ一部は賞金が高いから二部ほどは多くないっていうんだけどさ、だけど二部で一年間やってきてさ、ホントに世界レベルの奴ら相手に戦ってるんだ――って、こう、プレッシャーがすごくてさ」
「だろうね」
「だけど、今更負けらんねえじゃん。尻尾巻いて逃げるわけにいかねえじゃん」
「うん」
「…嫌だけど、やるしかねえじゃん」
ふとスマイルの指が止まった。うかがうように顔をのぞきこみながら、
「――ペコ?」
「……」
――なにを言おうとしてるんだろう。
スマイルに導かれるまま立ち上がり、ふと伸ばされた手を握りしめて、ペコは抱き寄せられることを阻止した。
「ペコ…?」
「……俺さ、」
握りしめたスマイルの両手が温かい。
「ずっと、ドイツでお前に会いたくてさ、お前に会えなくて、やっぱ、寂しいなぁって思ってさ」
「…うん」
「ビザの更新で日本に帰れることになって、嬉しくてさ」
「うん」
「帰っていいんだって思ったら、嬉しかったんだけどさ」
「……」
――言うなよ。
自分がなにを言わんとしているのかがぼんやりとわかってきて、恐怖と共にそう思いながらも、言っちまえと心のどこかが叫んでいた。
――どっちにしたって苦しいんじゃねえか。
「俺さ」
ようやくペコは顔を上げた。戸惑うようなスマイルの視線を真っ向から受けて、更に言葉を続ける。
「試合中はいいんだ。敵が目の前居たら全部忘れられっからさ。ただ、練習中とか、試合前とか、ふっとさ、ふっと、…お前のこと思い出してさ、こう…いきなり現実に引き戻されるっつうかさ」
「……」
「――たまんねぇんだよ、そん時がっ」
スマイルの手から力が抜けていた。怒りをぶつけるかのようにペコはその手をぎゅうと握り返す。
スマイルは動かないままだ。
「なんか、なんで俺、こんな辛い想いしてまでドイツに居るんだろうって考えたりしてさ、いや、お前のせいじゃねえのはわかってんだけどさぁ、なんかそれでも、気になるじゃん? 今なにしてんだろうとかさ、元気でやってんのかなとかさ、だけどそんなこと考えてたら練習になんねえし、なんとか考えないようにしようって頭切り替えんのがさぁ、すっげー辛いんすよ」
スマイルのせいじゃない――わかっていても、言葉が止められない。
「んで辛くなってさ、なんでこんなに辛いんだろうって考えると、結局またお前のこと考えちまってさぁ、俺バカみてえじゃんかよ、俺、卓球楽しみたいのに、やろうと思えば思うほど結局辛くなってさぁ…」
「……」
「…なんか、卓球嫌いになりそうでさぁ…たまんねえんだよ…っ」
――スマイルのせいじゃない。
再び言葉を失ってペコはうつむいた。痛いほどにスマイルの手を握りしめながら、なんで来たんだろうと考える。
――俺、こんなこと言う為に来たのかよ。
でも、多分、そうだ。