果たしてスマイルのことを恋人などと呼んでしまってもいいのだろうか。確かに彼のことは好きだし、夢に見るほどに会いたいとは思う。だが結局はただの幼馴染みであり、そういう意味では別に将来を誓い合ったわけではないし(そもそも日本の法律では男同士で結婚など出来っこない)、自分のことだけを見ていろとわがままを言うつもりもない。
自分にとって一番大事なものはやはり卓球だ。
会いたいとしきりに思う。夢にまで見る。事実会えなくて寂しくて、日本に戻る日が近付くにつれて嬉しい気持ちは膨れ上がった。しかしそれ以上に、実はスマイルに会うのが恐ろしくてたまらない。
まだ日本に居た頃は、当然のように別れが辛かった。一生戻らないわけではなかったが、それでも長いあいだ会えない寂しさに耐えられるか、不安で仕方がなかった。いざドイツでの生活が始まってもしょっちゅうスマイルのことを思い出した。
会いたかった。会いたくてたまらなかった。心配したとおりの事態になって、情けねえなと思いながらも、実は会えないでいることにどこかほっとしている自分も居た。
会えば、きっと別れが辛くなる。一年振りに顔をあわせて、また何年か会えないのがわかっていながら、それでも離れなければならない。その辛さに果たして耐えられるのか、それが心配だった。
時々、スマイルとのことを、後悔することがある。
「ジェイは?」
グチグチと悩み続けてしまいそうになり、ペコはあわてて話を振った。
「なにが?」
「居ないのかよ、付き合ってる奴」
「居たらペコとルームシェアなんかしないよ」
「そりゃそうだ」
ジェイの言葉にペコは苦笑を洩らす。
「なかなか縁がなくてねぇ。もっとも、僕みたいに自分勝手な男じゃあ、好きになってくれるような人は居ないだろうけどさ」
「そうか? …自分勝手?」
チームに於いて誰よりも心優しいジェイが、自分のことをそんなふうに語るのは意外だった。
「エゴイストだよ、自分でも嫌になるぐらいのね」
そう言ってジェイはふと寂しそうに笑った。
「へえ…」
あまり深く追究しない方が良さそうだ。
「ともかく、元気出せよ。ペコがそんなだと、こっちまで調子が狂うだろ」
ジェイはそう言って砂糖の入ったスティックを投げつけた。
「んだよ、たまにゃ真面目な顔させろってんだ」
「似合わないからやめた方がいいと思う」
「そんなこと力説すんな!」
そう言って殴る真似をすると、ジェイはカップを持って立ち上がり、おかしそうにけらけら笑いながら自室へと退散した。
「戻ってくるのは何日?」
ドアを閉めようとして、ふとジェイが振り返る。
「ビザがどれくらいで出るかにもよるけど、遅くても二十日には戻るつもり」
「じゃあ僕の引越しの方が先だ。帰ってきたら驚くよ、もぬけの殻だから」
「どこに行くんだっけ」
聞きながらペコは、テーブルの下に置いてあるドイツの観光用地図を手に取った。
「ヒルデスハイム。ハノーバーの下にある、小さな町だよ」
「…すっげー近い。電車ですぐじゃん」
「なんにもないところらしいけど、良かったら遊びに来なよ。恋人連れてさ」
そう言ってジェイはにやりと笑った。
「だから恋人じゃあ…」
「連れてきちゃえばいいじゃんか」
「――なにを?」
ジェイは戸口に立ってドアに寄りかかりながらペコを見下ろす。
「いとしい人をさ。一部リーグなら、チームの契約金と賞金とで悠々暮らせるだろ」
「そりゃ、確かに契約金は結構良かったけど、賞金たってお前、勝たなきゃ手に入らねえじゃんか」
「ペコなら大丈夫だよ」
そう言って微笑むジェイに、ふとスマイルの笑顔が重なる。返す言葉を失ってペコは目を伏せた。
「頑張れよ。トップに立つってずっと言ってたもんな」
「…ジェイもな。また対戦しようぜ」
「すぐに追いついてみせるさ」
まるで乾杯をするかのようにジェイはカップをかかげて部屋に消えた。
ジェイは再び三部に落ちたのだ。戦力外通告を受けて、チームから除名となった。アメリカへ戻るかも知れないとも言っていたが、三部リーグのチームから入団の誘いを受けて残ることにしたという。
同じチームにあっても、片や一部へ昇格、片や三部への降格と、進む道ははっきりと分かれてしまう。実力がものをいう世界だ、自分だって無事一部へ移籍することは出来たが、いつまた二部へ落とされるかわからない状況にある。誰もがチャンスをうかがい、他人を蹴落とそうとてぐすねを引いて待ち構えている。甘ったれた感傷に浸っている余裕などない。
そう、だからペコは怖いのだ。昔恐れたように、確実にスマイルの存在が障害となりつつある。自分できちんとけりをつければ済む話なのに、それが出来ないからこそ、ペコは日本へ帰りたくないと思ってしまうのだった。