結局進学希望ということで話がついた。どこの大学を受けるかはまだ決めていないが、おおまかな進路は決まったことになる。
 駅で母親と別れたスマイルは、まっすぐ家へ帰る気にもなれなくて、なんとなくタムラに向かった。多分ペコが居るだろうと思ってドアを開けると、案の定居た。子供たちに囲まれて楽しそうにサーブの指導をしている。
「よお、らっしゃい」
 いつものようにオババがくわえ煙草で迎えてくれる。軽く頭を下げてスマイルはイスに腰をおろし、ぼんやりとペコの姿をみつめた。
「あの野郎も相変わらずだなぁ」
 同じようにペコの姿をみつめて、呆れたようにオババが笑う。
「試験終わったからだと思うよ。早く解放されたいって泣いてたし」
「奴らしい」
 オババは肩をすくめると煙草の煙を吐き出した。鼻先にまで漂ってくる煙草の匂いをかぎながら、ペコはいいな、とスマイルは考える。ずっと昔から目指す場所がある。迷いながら目的もなくただ今までを過ごしてきた自分とは大違いだ。
「小泉は元気か」
 不意にオババが聞いた。
「退職願出したって」
「へえ」
「もう歳だしね。インハイが終わって気が抜けたって、笑ってた」
『もう私の仕事は終わったよ』
 新学期になってすぐの頃、部活の合い間にぽつりとそう言った。時期的に中途半端なので三月の終業式までは残るが、それで最後だそうだ。
「そうか、辞めんのか…」
 オババや小泉のような歳まで生きるのはどんな気分がするものなんだろう。時々スマイルはそう考える。たった十七年間を生き抜くだけでもこんなに大変だったのに、その何倍もの人生を過ごすのはどれほどの苦労を伴うものなんだろう。
 もっと歳を取れば、少しは楽に生きられるようになるのだろうか。それとももっと大変になるのだろうか? スマイルには想像もつかなかった。
「ほんでさ、あの話はどうしたい」
 不意にオババが話を振った。
「あの話?」
「コーチの話だよ。週何日でもいいからカブのコーチしてくれって言っといただろ」
「ああ」
 スマイルは困ったように肩をすくめる。
「やってもいいかなとは思ってたんだけど、ただ大学受験することにしたから、どうだろう…」
「進学すんのか」
「うん…一応ね。受けるだけ受けてみるよ。母さんも、遊べるうちは遊んでおけって言うし」
「そうさな」
 十七の若さで子供を持って苦労を続けている人だ。言葉の重みは一般人とは比較にならない。
「ま、それならしゃあねえな。邪魔するわけにもいかないしね」
 そう言ってオババは煙草を灰皿に押し付けた。
「卓球辞めるわけじゃねえんだろ?」
「来年の引退までは続けるよ。その先は、まだ…」
 わからない。一年後の自分の姿ですら想像がつかない。多分三年生になって、時期的には部活を引退して、恐らく受験勉強に追われている頃だろう。とは思うものの、それが本当に自分の望む未来なのかといえば、それすらもわからない。
「よ、スマイルじゃん。んなとこ座ってねえで、一発勝負しましょ」
 奥の台に立ってそうペコが誘う。にっかりと笑ってラケットを振る姿は、いつも見慣れた彼の姿だ。それに安堵してスマイルは小さく笑い、笑いながらもどこか寂しさを覚える。
 ――いつか、居なくなる。
 かばんのなかからラケットを取り出してスマイルは学ランを脱いだ。
「銭払えよ、お前ら」
「負けた方が払わぁ」
 嬉しそうにぐるぐると腕を回しながらペコはスマイルを待ち構える。それでいて、ふとスマイルの顔を見ると、「あんだよ」と呟いた。
「――なにが?」
 なにを聞かれたのかさっぱりわからなくて、反対にきょとんとした顔でスマイルは聞き返した。ペコはすぐにはなにも答えず、じっとスマイルの顔を見て、
「…なんでもね」
「変なの」
「うっせ。ほれ、じゃんけん」
 じゃんけんをしながらスマイルは、まあいいか、と思った。とりあえず今はこうしていられる。先のことがわからないのなら、今を楽しむ以外に方法はない。
「なあ、十二月八日ってなんの日か知ってっか?」
 サーブ権を獲得したペコが、台に着きながらそう聞いた。
「真珠湾攻撃。太平洋戦争勃発」
「違うよ。――え、そうなの?」
「そうだよ」
 知らないの? と反対に聞き返されて、ペコは顔をしかめた。
「オイラのバースデーですよぉ、旦那」
「大変な日に生まれたんだね」
 そう言ってわざとスマイルはとぼけてみせる。どうせまた押しかけて酒でも飲もうという魂胆なんだろう。わかっていながらじらすのが少し面白かった。
「あーあ、誰かお祝いしてくれないかなぁ」
「まだ一月以上も先の話だろ。誰か誘ってパーティーすれば」
「スマイルって冷たい…」
「わかってると思ってたけど」
 そう言ったところでスマイルは降参した。わかったよ、と呟いて笑ってみせる。
「うちで良ければ来ればいい。夕飯ぐらいなら出せるし。――お酒は持ってきてね」
「プレゼントなにかなあ」
「母さんの店の割引券」
「…いらね」


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