夕方チームの体育館を辞すと、一旦みんなでホテルに戻り、ペコに案内されてレストランへと出向いた。
「美味いワインがあるんすよぉ」
嬉しそうにメニューを開いてペコが言う。ことこまかに料理の説明もしてくれて、だいぶドイツでの生活に慣れている様子だった。
「ツアーが始まる前までは語学学校も行ってたんすけどね、ようやく卒業」
「語学学校って、ドイツ語の?」
「そうです。英語は日本に居る時から習ってて、そのあとこっち来てからは殆ど実践で。最初は辞書がないとわかんねぇ言葉多かったけど、ルームシェアしてた奴がいろいろ教えてくれて、結構複雑な会話も出来るようになりましたよ。案外普通に使う単語の数は多くないから、慣れると英語の方が楽かも」
日本語を喋るなんて久し振りだとペコは笑う。
「ご家族に電話したりはしないのか?」
「すっげーたまに。お袋はもっと電話しろってうるせぇんすけど、電話すると日本のこと思い出しちまうでしょ。わざわざ寂しくなる為に電話すんのもバカらしいし、今はとにかくツアーのことで頭がいっぱいだから、余計なこと考えたくないんすよね」
「…その為にドイツに居るのだしな」
風間の言葉に、ペコは「その通り」と手を打った。
純粋に卓球のことだけを考えられる生活は本当に有り難いとペコは言う。確かに、夢のような生活だろう。風間が望むのもそれと同じものだ。ただ純粋に卓球のことだけを考えて、ひたすら打ち込むこと。だが自身の弱さがそれを許さない。
――まったく、
風間は内心で苦笑する。
――なにをやっているのだか。
ペコが頼んだワインは確かに美味かった。海外に居るという気楽さと、明日は帰るだけだという開放感からか、風間はいささか飲みすぎた。だが酔いが回りながらも、頭の一部分だけはしっかりと冴え渡り、まるでひどくリアルな夢を見ているかのような錯覚があった。
「風間さん、酒強いっすね」
顔色一つ変えずにグラスを口に運ぶ風間を見て、ゆらゆらと眠そうな目でペコが言う。
「うん…そうだな。もともとそれほど強いわけでもないのだが」
「なんかさっきからすっげー余裕で飲みまくってるじゃないっすか。なんか悔しい」
「なんだ、それは」
だがひとたび気を抜くとあっさりと暗い気分に沈みそうで、なかなか楽しく酔うことは出来なかった。
テーブルのなかでは楽しそうな会話が飛び交っているが、ざわめきのなかで風間は一人沈黙に沈んでいた。言葉を話すのもなにかを考えるのも面倒で仕方がない。無言でグラスを干しながら、本当にいつまでこんなことを続ければいいのだろうかと、一人思い悩む。
『そんなもんはただの甘ったれだ』
吉田の言葉を思い出す。
性根がやさしいと吉田はしきりに言うが、自分のように身勝手な男のどこがやさしいというのだろうか。
――それとも。
孔のことをふっきれずに鬱々とふさぎ込んでばかりいる自分の甘さを、あえてやさしいと言ってみせただけなのかも知れない。それだったら納得がいく。
どちらにしろ、情けないことには変わりがない。
「風間さん、まだいけそうっすか」
店を出ると、白い息を吐き出しながらペコが聞いてきた。「大丈夫だ」とうなずくと、
「良かったら俺んちで、これ一緒に片付けません?」
そう言って小脇に抱えたワインの瓶を示してみせる。
「持ってきたのか?」
「盗んだわけじゃないっすよ、ちゃんと金払ったし。まだ半分残ってるからもったいなくて、もらってきたんすよ」
呆れながらも、風間は思わず笑った。
「こっちは構わんぞ。どうせ明日は帰るだけだしな」
仲村の言葉に風間はうなずき、それならばとお邪魔させてもらうことにした。ペコがどんな生活をしているのか興味も湧いた。
広場でタクシーを拾い、二手に分かれた。ペコはドイツ語で運転手に行き先を告げて座席に深く座りなおす。だいぶ酔っ払っている様子だ。
「飲めるのか?」
いささか心配になって風間は聞いた。
「だーいじょおぶっすよぉ」
「説得力のない言葉だな」
思わず苦笑が洩れた。
「日本は…」
ペコはワインの瓶を抱きかかえて、ぼんやりと宙をみつめたまま呟いた。
「なんだ?」
「――相変わらずっすか」
その質問にどう答えればよいのだろう? 思わず首をかしげながらも、「そうだな」と風間は呟いてみせる。
「相変わらず平和で、退屈な国だよ」
「そっすか…」
そうしてふと窓の外に視線を投げてしまった。余計なことは考えたくないと言っていたが、それでもやはり故郷だ、気になるのだろう。つられたように風間も流れる景色に視線を投げてふと口をつぐんだ。
こうして異国に居ながらも、知り合いと一緒であればさほどの孤独も覚えずに済む。だがペコは一人でこの国に居るのだ。それは――どれほどの覚悟が必要なものなのだろうか。
「やはり一人は寂しいか?」
ふと視線を戻して風間は聞いた。
「…まあ、そっすね。たまぁに、地元の友達とか、会いてぇなぁとか、思う時もありますよ。でもまあ、こっちにも友達出来たし、んな、ガキじゃねえんだし、やっぱ強い奴らと戦うのはおもしれぇし…」
「そうか」
「俺なんかまだいい方ですよ、多分。勝っても負けても――まあ負けんのは悔しいっすけど、それでも純粋に楽しんでられますからね。結婚したり子供居たりして、もうあとには引けないってぇ感じで、すっげー必死になってるのも居ますし…」
「そうだな」
守るものを持つ者、持たない者、それぞれの強さと弱さがある。どちらがいいのか一概には言えないだろうが、どちらにしろ、勝負の目的は一つだけだ。
「それでも、実力がなけりゃ平気で落とされますしね」
話をするうちにペコの表情が元に戻ってきた。厳しい世界に居るのだ。そのことをペコの横顔が語っている。