風間はあわてて缶を置いて立ち上がり、孔の脇に座り込んで頭を上げさせた。それでも孔はうつむきながら、ぎゅうと両手をこぶしに握りしめて黙り込んだままだった。
「なにも謝られるようなことはないと思うがな」
「…風間に、ひどいことをした」
『もう来るな』
「あの時のことか」
孔はうなずく。
「…そうだな、確かに、なにも説明してもらえなかったせいでしばらく落ち込んだ。なにがいけなかったのかとあれこれ考えてな…」
「風間はなにも悪くない」
「なら、今教えてもらえるか?」
そう聞くと孔は顔を上げてちらりと風間を見た。そうしてまたうつむいて、
「…怖かったんだ」
「怖い? なにがだ」
「風間が、すごくやさしくて」
『そんなもんはただの甘ったれだ』
胸をぐさりと突き刺すなにかがあった。
「確かに、前に一度、人に怒られたことがある。やさしいのはいいが、それだけでは生きていけないとな」
「違う。やさしいのは嬉しかった。――違うんだ。悪いのは…私の方だ」
ためらいながらも孔は顔を上げた。
「風間を信用出来ない、そう思った」
「…なにか騙したことがあったか」
「違う。風間は、同情しているだけだと思っていた。…同情して、やさしくしてくれる、そう思った」
『風間は、何故私を心配する』
「言ったことは、あった筈だよな」
あやふやな記憶をたどって首をかしげる風間を、孔は不思議そうに見返す。ふと手を伸ばして孔の髪を撫でながら、
「ただ君が好きなだけだと…」
孔は無言のままうなずいた。
「それでもか」
「…わからない。ただ、どこまで甘えていいのかわからなかった。会いたくなって電話をして、風間を呼んで、それで邪魔になるのが怖かった。邪魔になって、きっといつか捨てられる…そう思った。だから、捨てられるなら、いっそのこと…っ」
ぎゅうときつく手を握り、うつむいて、孔はわずかに涙をこぼした。風間はなにも言えないまま、ずっと孔の髪を撫でている。やがて呼吸を整えて、再び孔が話し出した。
「ずっと、風間を利用している。そう思っていた。寂しいのをごまかす為に利用している、それがわかるのが怖い。…嫌われるのが、怖い。だからあんなことをした。ほかになんと言えばいいのかわからなかった。…ごめんなさい」
「…日本語ではこういうのを『惚れた弱み』と言うのだがな」
そう言って風間はふと自嘲気味に笑った。
「私は別に利用されているだけでも良かったんだ。それで君が楽になれるならな。前も言ったと思うが、どこに居ても元気でやっているかと心配になった。少しでも寂しさがまぎらわせれば、…君の役に立てれば、別に私を嫌いでも構わなかった。迷惑にならない程度に一緒に居て欲しいとは思っていたが――」
「違う、風間、――風間、」
孔は手で風間の足を叩いた。そうしてぎゅうと手に力を込めて風間の足を握り、
「風間が、好きだ…っ」
しぼり出すようにそう言った。
「好きだから嫌われたくなかった、迷惑になるのが嫌だった。捨てられるのが、怖かったんだ…!」
そうして孔は言葉を詰まらせ、大粒の涙をこぼした。嗚咽を噛み殺して泣き続ける孔を見ながら風間は、
――誰がそんなバカなことをする?
そう思いながらも、それを言ってやることは出来なかった。
やさしいだけでは生きていけない――その一言が痛いほど胸に突き刺さる。
風間は孔の頭を撫でながら、いつしか胸に抱き寄せていた。そうしながら苦笑が洩れるのを抑えることは出来なかった。
「お互い、ずいぶん遠回りをしたものだな」
孔は風間の服にしがみついて静かに泣き続けた。風間は震える肩をそっと抱きしめて、首筋にかかる孔の息をじっと味わっている。
「謝るのは私の方だ。君が心配だと言いながら、余計不安にさせていたんだな…済まない」
孔は無言で首を振った。
「正直、私もどうすればいいのかわからなかった。お互い、将来を約束出来るわけではなかったし、進んでいる道も違う。…ただ好きだと言ったところで、君になにをしてやれるわけでもない。少しでも役に立ちたいと思っていたが――役に立とうと思うことが既に間違いだったんだな」
孔はわずかにしゃくりあげながら顔を上げた。風間は孔の頬に手を触れて、涙の跡をそっとぬぐった。
「そんな小さな自己満足の為に君を好きになったわけではない、それをきちんと説明しなかった私が悪かった。ようやくわかったよ」
そう言って風間は孔に向かって微笑みかけ、あらためて孔の背中を抱きしめた。孔の腕が同じように背中に回り、痛いほどしがみついてくる。
「君のお陰でいろんなことを知ることが出来た。謝るのも、礼を言うのも私の方だ。済まなかった。…それから、ありがとう」
孔の肢体が暗がりのなかでうごめいている。
腰をおろすたびにか細い悲鳴をあげ、熱くなった手で風間の体をまさぐり、そうして快楽を得ようとしているのか苦しみから逃れようとしているのか、風間には判然としない。ただベッドに横になり、孔の腰に手を当てて、陶酔したように孔の姿をぼんやりと見上げている。
「風間…っ」
時折、助けを求めるように孔が名前を呼んだ。そうして熱い手が髪をまさぐり、唇を寄せては舌を絡めあう。熱くなった体をふと抱き寄せて、そっと頭を撫でるが、まるで腰ばかりが別の生き物であるかのように、孔の動きは止まらなかった。
興奮の為に洩らす声は、どこか悲しい叫びにも聞こえる。
孔の指が風間の口をこじ開けてなかへと侵入してくる。そうして風間の舌を探り、持ち上げ、まるで噛み付くかのような勢いで唇を合わせ、舌を絡ませては互いを味わい、熱い息を交わす。
「ね、舐めて…」
そう言って孔は指を風間の口に残し、艶のかかった声で呟いた。風間は孔の手を押さえて根元まで指をくわえ、舌で舐め回す。そのたびに孔の体は震え、幾度も甘い悲鳴を洩らした。
「あぁ…は…っ、あ…あん…! あ…ぁ…!」
「こんな程度で感じるのか」
指を離し、風間は嘲るように呟いた。
「すごい…気持ちいい…っ」
そうしてまた陶酔したように腰を上げては深くまでおろす。すがるように風間の首や肩に痛いほどしがみつきながら、ふと顔を寄せて、
「ね、風間…」
「なんだ」
「ひどくして…ひどいこと、いっぱいして…」
熱のこもった声で甘えたようにささやき、また舌を絡める。風間は孔の髪をわしづかみにして顔を引き離すと、
「淫乱が」
吐き捨てると同時に腰を強く突き上げ始めた。
「あんっ! あっ、あ…! はあっ、あ…ん! あんっ! あ…っ、あ…っ!」
孔は頭を押さえつけられたまま必死になってもがき、逃げようとする。そうされるたびに風間は孔の頭を押さえ、無理やりに唇を重ねてみせた。
「んん…っ、んっ! …ぁ…っ、はあっ!」
「強姦でもされたかったか」
「ちが…っ、あっ、んっ! あ…っ!」
「それが望みならそうしてやる」