恐る恐るといったふうにペコが唇を寄せてきた。スマイルは小さく微笑みながら唇を重ねて、あの時とは違って短くなったペコの髪を梳く。指が動くたびにペコはわずかに震え、握りあった手に痛いほど力を込めた。唇を割って舌を滑りこませ、互いの舌が触れ合うと、ペコは鼻にかかった甘い悲鳴を洩らし、スマイルの腕にしがみついた。
「ちょお…待って」
 不意に唇を離してペコが言う。
「なに?」
「…すっげぇ恥ずかしくってたまんないんだけど」
「電気、消す?」
「……うん」
「僕、止まらないと思うけど、いい?」
「だから確認すんなっつうのっ」
 顔を真っ赤にしてペコはうつむいてしまう。スマイルは笑って立ち上がり、ペコの手を引いた。
「部屋行こう」
「…ん」
 スマイルに手を引かれてペコはとぼとぼとあとをついてくる。
「――なあ」
 真っ暗なままの部屋に入りながらスマイルは振り返った。
「なに?」
 居間の明かりを背後に受けて、ペコの顔は暗がりに沈んでいる。それがなんとなく不安で、スマイルはペコの腕を引き寄せ、そっと髪を撫でた。
「俺らってさ、今日が最後?」
「――最後にしたい?」
「…したいわけじゃねえけど、なんか、そんな雰囲気なくね?」
「少しね…」
 元の、仲のいい友達へ戻るかのように。
「ペコを好きなことに変わりはないんだけど」
「…俺だって」
「昔となにが違うんだろ?」
「さあな」
 そう言って不意にペコが抱きついてきた。
「なんか、わかんねえや。もうぐだぐだ悩むの、疲れたよ、俺」
「もともとそういう人じゃないしね」
「てめえのせいだかんな」
「わかってます」
 くすくす笑いながらスマイルはペコの体を抱きしめた。
「こうしてると、すごい落ち着くね」
「ああ…」
 互いの鼓動が体を揺らす。そんなふうにしばらくのあいだ、二人は互いの温もりばかりを感じていた。
「いいじゃん、また考えなきゃいけない時に考えようよ」
「てぇと?」
 不意の呟きにペコが顔を上げた。
「無理に終わりにすることもないと思うし、もしこんなふうに抱き合うのが今日が最後でも、ペコはペコだし、僕は僕だろ。未来なんていくらでも好きなように変えられるよ」
「…だな」
「信じてもらいたかったらまず信じろって、小泉先生に言われたんだけどさ」
 そっとペコの髪を撫でながらスマイルは呟いた。
「ああ、元気? あのおっさん」
「元気だったよ。で、思ったんだけどさ、相手を信じる為には、まず自分で自分を信じなきゃいけないんだよね。駄目なところも全部ひっくるめてさ、自分のこと信じてやらないとさ、誰のことも信じられないんだよね」
「……」
「そんな簡単なことだったのにね」
 そう言って小さく笑い、スマイルはペコにキスをする。
「…やっぱ、お前、変わったな」
「そう?」
「うん。なんか、全然違う奴みてえだ」
「嫌な奴かな」
「いや、そっちの方がいい」
 全然いい、そう呟いてペコは唇を押し付けてくる。
「ペコのお陰だよ」
 唇を離すとスマイルは呟いて、ペコの体をぎゅうと抱きしめた。
「…ペコのせいだよ」


 気が付くと自意識を失っていた。ただ欲望のおもむくままに腰を打ち付けて、空気を切り裂くようなペコの悲鳴にふと我に返る。そんなことが何度も繰り返されていた。
「やぁ…あ…んっ、あ…! あ…ぁ…!」
 振り絞るようなペコの嬌声と共に背中に痛いほど爪を立てられる。それは快楽の為というよりは苦しみゆえの悲鳴であるように聞こえて、ふとスマイルは動きを止めた。
「ごめん、痛かった?」
「痛くない…」
 そう呟いて乱れた息の合い間にふと唇が重ねられ、激しく舌を絡められる。
「やめんなよぉ…ね、早く、もっとぉ」
「気持ちいいの?」
「すっげ、いい…あ、はあ…! あ…んっ、あ…! はぁ…っ!」
「僕も…すごい、いい」
「あぁ…っ! あ…んっ、あん…! …っは、…ぁ…スマイル…っ」
 息を吸う暇さえないかのように絶え間なくペコの悲鳴は続く。互いにこれ以上はないというほど興奮し、体は熱く、欲望のままにむさぼりあった。
「やんっ! あっ、…あ…っ! …駄目、やっ…、そこ、だめぇ…!」
 敏感な一点を刺激されてペコは不意に身じろいだ。
「なんで。気持ちいいんじゃないの」
「良すぎてすぐイっちゃうよぉ……あぁ! 駄目だ…ってば…ぁっ!」
「何度でもイけば?」
 くすくすと笑い、ペコの形のいい耳の縁を舐める。
「ペコ、淫乱だもんね。イクの好きなんでしょ」
「やぁ…! お前が…あっ、…あん…! は…っあ、…あ! やだぁ…!」
 そうしてペコは体を大きく震わせて熱を吐き出した。か細い悲鳴が暗がりのなかに続き、背中に回されていた手がぱたりとベッドに落ちた。
「お前…ぜってーサドだろ」
 荒い息の合い間にペコが呟いた。
「好きな子はいじめたくなるんだよ」
 そう答えてスマイルは唇を重ねる。
「…しかも、なんかさっきよりすごくなってるし」
「ペコがいやらしいから興奮しちゃって」
「いやらしいのはテメーの方だっ」
「じゃあ、お互い様ということで」
 呟きながらスマイルはペコの体を抱きしめる。
「…汚れるぞ」
「いいよ、ペコのだし」
「エロオヤジっぷりは相変わらずだな」
 苦笑してペコはスマイルの首に抱きついた。そうして指で髪を梳きながら呼吸を整えてゆく。
「…こうしてるだけでも、すごい気持ちいいね」
「ん…」
 何度も唇を重ねて互いの熱を確かめ合った。まだスマイルが入り込んでいるせいでペコの息は荒い。慰めるように頭を撫でながら、ふと、
「ずっと前にさ」
「うん?」
「こんなふうにしてても結局別々の体なんだなと思って悲しくなったんだけど、違うんだね」
「あに。どういう意味…っ」
 うなじに触れるスマイルの唇の感触に、ペコは鳥肌を立てて首にしがみつく。
「別々だから、一緒になりたいって思うんだなぁって、思ってさ」
「…そだな」
「面白いねぇ、人間てのは」
「ってか、お前がおもしれぇよ」
「僕はペコが好きなだけだよ」
「…はずい奴」
 くすくすと笑いながらスマイルはまた口付ける。そうしてゆっくりと腰を引き、再び陶酔のさなかへと飛び込んでいった。
 互いに手を握り合い、二人はどこまでも熱を上げてゆく。離れていた時間の長さを埋めるかのようにつながりあい、息を交わし、共に快楽の波に溺れてゆく。なにもかも忘れて、ただ幸せな時を――最後かも知れない、そうではないかも知れない――不確かな今を確かめあう。
 言葉では表し切れない想いを、そうして確実に交わしながら。


 幸せな眠りを妨げる物音の正体は、目を開けなくてもわかっている。不思議なことにペコは絶対スマイルより早く起きて仕度をする。こんなふうに物音に目を醒まされることは珍しくない。
 閉じたまぶたの向こうに朝の気配を感じながら、そおっとスマイルは目を開ける。案の定ペコがこちらに背を向けたままジーパンをはき、そうしてTシャツをかぶろうとしているところだった。生きた幸せの後ろ姿をじっと眺めながら、スマイルは幸福な孤独を味わっている。
 不意にペコが振り向いた。目を醒ましているスマイルに気が付いて、少し驚いたような顔をしたあと何故か照れたように笑い、ゆっくりとベッドの脇に座り込んできた。
 スマイルはもぞもぞとふとんから片手を出して、誘うように広げてみせる。ペコはスマイルをみつめながらその手を握り、そっと手の甲に唇を触れた。そのあとスマイルも手を引いてペコの手にキスをする。そうして手を握り合ったまま二人は唇を重ねて、幸せの時を静かに味わった。
 唇を離すとペコはまたスマイルの手の甲にキスをして、立ち上がった。
「じゃあな」
「じゃあね」
 それだけ言い合うと、握っていた手を離してペコは部屋を出ていった。
 玄関のドアを開ける音がして、そうして静かに閉められた。スマイルはふとんのなかに手を引き入れて、きゅうと握りしめながら、聞こえる筈のないペコの足音を、じっと、いつまでも聞いていた。


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