「凄い」
 孝介は本気で唸った。初めて見るエンディングに、目は釘付けだ。
「君もやる?」
「……挑戦してみる」
 足立からコントローラーを受け取ってスタートボタンを押す。けれど久し振りだからなかなか上手くいかない。何回かやり直していくうちに記憶が甦ってきた。足立は途中で立ち上がり、グラスにジュースを注いでくれた。そうしながら、そこは上に1UPが隠れてるよとか、少し手前に引いてた方がいいよとか、色々と教えてくれた。結局行き馴れた一番簡単なルートだったが、ラスボスまで進むことが出来た。
「やった、クリアー!」
「おめでとうっ」
 足立は孝介の体を抱き込んで、がしがしと髪の毛を掻き回した。すぐ側にある足立の顔を見上げ、孝介は少し恥ずかしくなり、なるべく自然な風に座り直した。
「足立さんがゲームやるとか、ちょっと意外です」
「そう? 中学とか高校の時はしょっちゅうゲーセン行ってたよ。塾行くまでの時間潰しとかでさ」
 煙草に火を付けた足立は、孝介に確認してからゲーム機を仕舞った。
「当時は格ゲーが流行りだったから、シューティングは結構台が空いてること多くてね」
 その代わり新作が入ると呆気なく撤去されることも多かったと言って、足立は悲しそうに眉根を寄せた。
「……なんか、中学生の足立さんって、想像出来ないな」
「なにそれ。老けて見えるってこと?」
「違いますよ」
 高校生の自分にとっては、一歳の年の差もひどく大きく感じられる。足立のような年頃の人間がこんな年下の自分に興味を持つなんて、なんだか想像が付かない。
「一応十年前は僕も高校生だったんだよ」
「……高校生の時って、どんな感じだったんですか?」
「え、僕? モテモテだった」
 そう言って足立は誇らしげに煙を吐き出した。あまりにも自信満々なその横顔を見た瞬間、孝介は何故か急に悲しいような、腹立たしいような気分になって、ジュースを飲むフリで座り直した。しばらくの沈黙の後、足立は煙草をもみ消した。
「嘘だよ。そんなわけないじゃない」
 けらけらと笑う声がやけにむかついた。孝介は黙ってジュースを飲み、何も言えないまま、学生ズボンを穿いた自分の脚をみつめていた。
「……あ、あれ? 怒った?」
「怒ってないです」
 そう答える声が明らかに怒っているように聞こえて、孝介は自分でも動揺してしまった。
「あの……ごめん。怒らせるつもりはなかったんだけど――」
「……怒ってないですよ」
「嘘だよぉ。怒ってるよぉ」
「…………」
 腹も立ったけど、それ以上に悲しかった。それが何故かはわからない。ただ、自分は足立のような人間を他に知らないが、もしかしたら足立は他にもこんな風にして誰かを部屋に招いているのかも知れない。自分はその「誰か」の代わりなのかも知れないということに、この時初めて思い至った。
「ね。こっち向いて」
 足立が座り直すのがわかった。
「お願いだから」
「……嫌です。俺今、すっごくみっともない顔してる」
「そんなことないよ。どんな顔してたって、君は綺麗だよ」
 しばらく迷った末に、孝介はグラスをテーブルに置いた。そうして振り向くと、足立は正座をしてこちらを心配そうにみつめていた。
「……足立さんは、なんで俺なんかがいいんですか」
「綺麗だから」
「…………じゃあもっと綺麗な人がみつかったら、俺は要らなくなるんですね」
「そんなことないよ。君だけだよ」
「誰にでもそう言ってるんじゃないんですか」
 ひどく意地悪な口調だった。自分の口がこんなひどいことを言えるなんて思ってもみなかった。腹のなかに何か汚いものが溜まっていく、ひと言喋るたびにそんな気がする。
 嫉妬しているんだと気付いたのは沈黙のなかでだった。自分と同じように招かれた「誰か」が、自分以上に足立から大事にされているのかも知れないと想像したら、悲しくて口惜しくて、たまらなくなった。
 自分を一番に見て欲しいと思っていたことに気が付いた。
 足立を好きなことに、気が付いた。
「……君だけだよ」
 正座を崩してあぐらを掻き、足立はがりがりと髪の毛を掻き毟る。
「他にこんなこと言えたの、一人も居ないよ。そりゃ確かに綺麗だなぁって見蕩れることはよくあるよ。でも他の人に取られたくないって思ったのは……君だけだ」
「……」
「最初はホントにさわるだけって思ってたんだ。君も僕も男だし、嫌がられるのは当然だからさ。だからホントにそれだけで満足しようって思ってたんだけど」
 なのに、どんどん欲が出た。顔をさわったら今度は髪の毛を、髪の毛をさわったら今度は首を、肩を、背中をさわりたい。服の下に隠れている素肌全部を目にしたい。その皮膚の内側にある全部の「綺麗」を自分だけのものにしたい――。
「って、これじゃ凄い変態だよね、あ、あはは」
「……俺は、足立さんが思うような人間じゃないですよ」
 孝介は自分の足首を掴んでうつむいた。
 こんな汚い心を抱えた人間の、一体どこが綺麗だというのか。あんな冗談くらいでみっともない程嫉妬して、勝手にいじけて、足立を困らせるただの子供だ。
「そんなことないよ。――いや、そうなのかも知れないけど」
 足立はジュースをひと口飲んでグラスを戻した。
「でもそうなんだったら、そういう顔も見せてよ。君のこと知りたいんだ」
「……俺もです」
 声が聞きたかった。顔が見たかった。足立に触れたかった。足立の全部が知りたかった。
 恐る恐る差し出された腕のなかに孝介は倒れ込んだ。足立は孝介の髪を撫で、それから、
「よかったあああぁぁぁ。フラれなくて済んだあああぁぁぁ」
 笑ってしまうくらい大袈裟にため息を吐き出した。孝介は思わず苦笑してしまった。
「足立さんって、なんか、心配性なんですね」
 やけにこちらを気にする発言が多い。それを言うと、「違うよぉ」とむきになって反論してきた。
「別にどうでもいい人だったらこんなに気にしないよ。全部の人と仲良くしようなんて積極性は僕にはないからね」
「それはそれで、刑事として問題ありませんか?」
「そこら辺は仕事だから割り切るの」
 孝介の髪を梳いて足立は笑った。
「……好きだから嫌われたくないんだよ」
 頬に片手を当てて、額にそっとキスを落としていく。そうして座り直した足立は、不意に真顔になった。
「あの……またちょっと、さわらせてもらっていい?」
「いいですよ」
「…………ちょっとだけ、下の方もさわっていい?」
「下!?」
「あぁいや、あの、下のパーツってわけじゃなくって」
 ここら辺まででいいからと言って、足立は鎖骨の辺りを指し示す。孝介は少し迷ったが、「いいですよ」と答えてワイシャツのボタンを二つほど外した。
 足立はひとつ息をつくと、失礼しますと言って孝介の頬に両手を当て直した。そのまましばらくじっとみつめて、不意に片手を後ろへずらした。耳の形を確かめ、うなじを探り、そっと喉元に手を滑らせる。その感触に声が洩れそうになったが、孝介はなんとか呑み込んだ。だが反対側の首筋に唇が触れた時、それはまるで悲鳴のように孝介の口から飛び出した。
「あ、足立さんっ」
 いつの間にかベッドを背にして押し付けられる恰好になっていた。のしかかってくる足立の体は、予想以上に重かった。
「なに?」
「あの、俺……っ」
「やっぱり、やだ?」
 孝介は大あわてで首を振った。
「嫌じゃないんですけど、その、……なんか、変な声が……っ」
「変な声? どんな声?」
「どんなって――」
 気が付くと足立はにやにや笑っていた。本性がやや透けて見えた気がした。しかし孝介が困惑していることは伝わったようだ。それ以上無理に続けようとはしないでいてくれる。
「嫌ならやめるよ」
 心臓がバクバク言い始めている。怖い気もするが、もっとして欲しいのも事実だった。だが最終的にはやはり困ることになる気がした。
 ――これ、どうすればいいんだ?
 大きく脈打っているのは心臓だけではない。まるで別の生き物のように、下半身も熱くなり始めていた。
「……やめる?」
 孝介は首を振る。
「平気? 嫌なら言って?」
「……嫌じゃないです。……もっと……」
 さわって欲しい、とは、恥ずかしくて口に出来なかった。足立は安堵したように笑い、顔を近付けてきた。唇を重ね、馴れないやり方で足立の舌を受けているあいだに、再び足立の手が首筋に触れた。そのまま下へ、感触を確かめるようにゆっくりと滑り落ちてくる。
「声も聞かせて」
 唇を離した足立はどこか夢見るような顔でそう囁いた。そうして耳に触れ、首筋にキスをし、下へ、更に下へと下りていく。声を噛み殺せたのは半分だけだ。意図しない瞬間に快感が走り抜けて、静かな部屋に少しずつ、甘い悲鳴が溜まっていく。
 肩口を掴んだ足立はそっと手を滑らせてワイシャツを向こう側へ落とした。そうして剥き出しになった肌に舌を当てて軽く噛み付き、きつく吸い上げた。
 それで限界だった。
「あ、あの――!」
 無我夢中で足立の体を押しのけ、落ちかかっていたワイシャツを引き上げた。テーブルにぶつかった足立はぽかんとした顔で孝介をみつめていた。
「――すいません、トイレ借ります!!」
 何も考えている余裕はなかった。立ち上がってトイレに駆け込む、ドアを閉める、ベルトを外す、下着ごとズボンを下ろす、便座に座ると同時にトイレットペーパーを引き出してまとめる――ここまででひと息。
 次のひと息で呆気なく果てた。
 ――なにこれなにこれなにこれ!!!
 自分の手のなかにある物を見て驚き、自分の仕出かした行為で更に驚き、もし足立にばれたらと考えた瞬間、驚いている余地すらないのだと思い至った。
 っていうか、なんでわざわざ他人の家でオナニーしてんだ、俺。
 ……などと冷静に考えられるようになったのは、後始末を全て終え洗面台でバカ丁寧に手を洗っている最中のことだった。鏡に映った自分の姿は本当にだらしなかった。バサバサに乱れた髪、半分ボタンの外れたワイシャツ、剥き出しの胸元。
 孝介は試しに肩口の辺りを鏡に映してみた。
 わずかにだが赤くなった跡が見て取れた。
「……!!」
 孝介はあわててシャツを着直し、ボタンをはめた。乱れた髪の毛を直して、とにかく帰ろうと決意した。
 無理。もう無理。いや、無理じゃないんだけど、さすがにこれ以上は限界。
 足立にされるがままで居たら、本気でどうなるかわからない。こんなみっともないところ、絶対に見られたくない。


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