「あーもう、つっかれたあー」
 愛家のテーブル席に着いた千枝は、我慢の限界といった風だ。
「歩き過ぎて足がパンパン」
 向かい側でりせも同意している。
「人があんまり居ないから、余計遠くまで歩く羽目になっちゃったね」
「あと考えてみりゃ、今日って平日っすよね。そこらに居るの、オッちゃんオバちゃんばっかで、話聞こうとすっと学校どうしたっつって頭ごなしに叱られるんすけど」
「はは、そりゃあお前、普段の行いってヤツだろ」
 陽介の茶化すような言葉に完二が睨み返している。孝介はカウンター席に着きながら苦笑を洩らした。
「しかし、聞き込みをするなら当時と同じ状況の方がいいことは確かです。そういう意味では、年が変わる前に行動に移せてよかったと思います」
 直斗の言葉にみんながうなずいている。
「さてと。どうするよ、とりあえず」
「あたし肉丼で!」
 陽介の言葉に、真っ先に手を上げたのは千枝だった。
「そうじゃねぇだろ。……けどまぁ、食べてっからにすっか」
「さんせーい」
 一日中歩き回り、更には馴れないことをし続けた為に、皆の疲労はピークに達しつつあるようだ。注文したあとはそれぞれ言葉少なに自分の分がやって来るのを待っている。
 メンバーの浮かない顔を見ていると、目新しい情報はなにも入手出来ていない様子がうかがえた。そしてそれは孝介も同じだった。あと数日こんな風に聞き込みを続けたところで、新発見があるとは思えなかった。
 こんなことで本当に犯人を捕まえられるのだろうか。
 ふと弱気になりそうな自分を、孝介は飯の匂いで誤魔化すことにした。疲れているとロクな考えが浮かばない。ひとまず思い悩むのはやめにして、空っぽの胃を満たしてやろう。孝介はやって来た生姜焼き定食(飯大盛り)を前に箸を割り、いただきますと元気な声を上げた。
 しばらくみんな夢中で食事を片付けた。
「なにはともあれ、ご飯が美味しいってのは幸せだねぇ」
 千枝の感嘆の呟きに、全員が笑って同意している。
 ぼちぼち食べ終わった頃、再び千枝が口を開いた。
「さてと。お腹も膨れたところでさ、少なくてもいいからみんなの聞いてきた情報、交換しとこっか。えーっと……なんか新しい話が聞けた人」
 そう言って挙手を求めるが、手を上げる者は一人も居なかった。
「山野さんの遺体がみつかった家は、当日無人だったみたい。旦那さんが出張で、そのあいだ奥さんと子供は奥さんの実家に行ってたっていう話だった」
「……小西先輩の遺体があった場所は、周り田んぼだろ? あの辺は日が暮れる頃には誰も居なくなっちまうんだってな」
「周り、なんもねっすからね」
「不審者の目撃情報も無し。っていうかそれ、全部直斗から聞いた話だよね」
「やっぱ駄目かぁ」
 千枝は天井を向いて大仰にため息を吐き出した。直斗も暗い顔でうなずいている。
「最初の二件について警察は、初動の聞き込みに異例なほどの人数を割いていました。それでもこぼしたような情報を、半年以上も過ぎて拾うというのは、やはり難しいですね」
「てーか、訊いても訊いてもそっちのけで、どいつもこいつも霧のことばっか言いやがる」
「あと、マヨナカテレビのことばっかり」
 そう言ってうんざりした顔で首を振るのはりせだった。
「クマのことは……訊いてみたけど、誰も知らなかった。……ホント、どこ行ったんだろ」
 そうして不安そうな眼差しをテーブルの上へと注いだ。消えてしまった仲間を思って、皆も同じように沈んでしまう。
「直斗の方は、なんかないわけ? 新しい推理とか」
 場の空気を変えようと陽介が口を開いた。
「新情報まるで無しとなると、どうにも……。ですがこの町のどこかに、全ての条件を満たす人物が必ず居る筈です。小西さんと山野アナの二人となんらかの接点があって、しかも僕たちの行動をある程度継続的に把握することが出来て……なにより、先輩の自宅に怪しまれずに近付けた人物が」
 直斗の口振りは自分に確認をしているかのようだった。その言葉を聞きながら、孝介も同じように考えていた。
 必ず、犯人はどこかに存在する。
 もしかしたら意外なほど近くに居る人物かも知れない。近過ぎて逆に見えていないだけ、という可能性もある。
「……ちょっと考え直してきます」
 暗い顔で呟くと、直斗は席を立って店の外に出ていった。その後ろ姿を目で追っていた孝介は、自分も同じようにイスから腰を上げた。腹が落ち着いたばかりで、暖かい店内では頭がボーっとしてしまう気がしたのだ。
 扉を開けると、切りつけるような冷たい空気に包まれた。
「先輩」
 隣にやって来た孝介へ、直斗は空を示してみせる。しばらく霧のなかをみつめていると、白いものがちらほらと落ちてくるのが見えた。
「雪か……」
「どうりで冷える筈ですね」
 そう言って、少しだけ嬉しそうに笑った。直斗も自分と同じく雪にはあまり縁のない土地に住んでいたようだ。
「事件がなかったら、素直に雪合戦でもして遊べるんだけどな」
「いいですね。僕はどっちかっていうと、かまくらを作りたいタイプですが」
 直斗は自分の手に息を吹きかけ、両手をこすり合わせている。
 初夏の頃、完二がテレビに入れられるんじゃないかと騒いでいた時、この後輩と顔を合わせた。その後こうして一緒に事件解決へと動くことになろうとは予想だにしなかった。
 あれからずいぶんといろんなことが起こった。りせの誘拐、諸岡の死亡、久保美津雄の逮捕。いっときはこれで終わったかに見えて、実は続いていた――直斗の誘拐。
 脅迫状。
 生田目を追い詰めて遼太郎が事故に遭い、未だに菜々子は入院を続け、一昨日は皆が殺人を犯すところだった。
 一歩間違えれば全然違った今を迎えていたかも知れない。だが危ういながらもなんとかここまで来た。
 真犯人は必ず居る。
「うー、さっびぃ」
 扉が開いたので振り返ると、やって来たのは陽介だった。
「確かにこっちの方が、頭が冴えて推理も働く気がするな。……っと、雪か?」
 陽介は我が身を掻き抱きながら空を見上げた。
「こんだけ霧が濃いと、せっかくの雪も紛れちまってよく見えねぇな」
「そうですね……」
 三人はしばらくのあいだ、無言で空を見上げていた。はらはらと舞い落ちる雪は道路へたどり着いた瞬間、滲むようにして溶けていく。あとに姿は残らないが、わずかにアスファルトの濡れた部分が、雪の存在を確かに伝えていた。
 ――こんな風に、今ははっきり見えないかも知れないけど。
 それは確かにあったのだ。
「あのさ」
 孝介は口を開いた。
「今から色々言ってくから、適当に聞いててくれないか。で、おかしいとこがあったら突っ込んで欲しいんだ」
 陽介と直斗が左右から同時にみつめてくる。二人は互いに顔を見合わせたあと、わかったと言ってうなずいた。同じようにうなずき返しておいて、孝介は頭のなかを白紙に戻し、あらためて考え始めた。
 ――まずなにから確認するべきだろうか。
「山野アナにも、俺たちと同じ力があったってことはないか?」
「同じ力……って、テレビに入る力のことか?」
「それは有り得ません。もしそうだとしても、小西さんが殺される理由がやはりわからないことになる」
「だいたい俺らだって、お前のお陰であっち行けるようになったんだぜ? そりゃなんで生田目におんなじ力が、っていう疑問はあるけどさ、だからって死んだ二人にも同じことが起こったってのは――」
 考えられない。まず無理だ。
「……四月に二人が殺されたってことは、少なくともあの時点で犯人は町に居たんだよな?」
「そうですね。以前誰かがマヨナカテレビに映った山野アナを見ていることから、少なくとも遺体発見の二日前には稲羽市に居た筈です」
「あとさ、あれホラ、脅迫状っ」
 陽介が息せきって続けた。
「あれが届いた時点でも、犯人、町に居たんだよな?」
「しかしそう考えると、ずいぶん期間が空いているようにも思えますね……半年ものあいだ、犯人はなにをしていたんでしょうか」
 なにをしていたんだろう?
「生田目が誘拐を始めた時、犯人はなにを考えたと思う?」
 さすがにすぐ返事はなかった。
「……なに考えたんだろうな」
「そもそも誘拐をしていたことは知っていたんでしょうか」
「俺らがなにしてるのか知ってたんだぜ? だとしたら、誰が誘拐をしてるのかはわからなくても、テレビに入れられてたってことはわかってた筈だろ」
 ――大事な人が、入れられて、殺されるよ。
 二通目の脅迫状の文面だ。確かにこちらの動きも生田目のことも知っていたとしか思えない。
「天城が誘拐されて、完二がさらわれて、久慈川がさらわれて……」
「……モロキンが殺された」
 あとを続けた陽介は、多少辛そうな表情だった。
「ひでぇ話だよな。こればっかは、完全に模倣殺人だったんだろ?」
「ええ。久保美津雄の罪状は見直されたようですが、それでも人を殺したという事実は変わりません」
「ったく、ふざけやがって……っ」
『どいつもこいつも、気に食わないんだよっ』
 自分と同い年の少年は、表情の乏しい顔でニタニタと笑っていた。孝介は少しだけ目を閉じて諸岡に思いを馳せた。その瞬間、ふとした疑問が浮かび上がってきた。
「なんで久保は逮捕されたんだ?」
「は?」
「なんで、って……」
 陽介と直斗は不思議そうに顔を見合わせている。


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