「俺らが捕まえたからだろ」
「そうじゃなくてさ。その前。――なんで久保が指名手配されたんだ?」
「諸岡さんの遺体から指紋が出たという話ですよ。それが解決の糸口になったということですが」
「だからさ」
なにをどう話せばいいのかわからなくて孝介はイライラする。きちんと考えようとすれば閃きは逃げてしまう気がするし、逃がすまいと思えば言葉が出てこない。
「指紋が久保のものだって、なんでわかったんだ?」
「それは――」
「……そういや、そうだな。なんでだろうな」
直斗はあわてたようにコートのポケットを探って手帳を取り出した。
「久保美津雄に補導歴はありませんね。勿論指紋を取られるような前科もない」
「なのに指名手配か……」
「しかも指名手配されたのは、諸岡さんの遺体発見後すぐです」
「なんか、おかしくないか?」
孝介の言葉に、二人は深くうなずいている。続いて出た言葉は無意識のものだった。
「そもそも久保は自分からテレビに入ったのか?」
「……え? それって――」
目の前にちらほらと落ちる雪を眺めているあいだに、頭のなかで言葉に出来ないなにかが順々に組み上がっていく様が見える気がした。陽介が疑問の眼差しを投げかけてくるが、なにかを話した途端に思考のパズルが消えそうになり、孝介は口をつぐんで考え込んだ。
警察は犯人が誰なのかを知っていた。なのに犯人はなかなかみつからなかった――当然だ、テレビのなかに居たのだからみつけられる筈はない。でも何故犯人が久保だとわかったのか? そして指名手配された直後に何故久保はテレビへ――
『犯人の奴、事件の直後から行方くらましちゃってるみたいなんだよね。八方手を尽くしてるんだけど、まるで煙みたいに』
犯人は自分たちがなにをやっているのか知っていた。
誰にも不審がられることなく堂島家へ近付くことが出来た。
四月には稲羽市に居た。
「……久保はテレビに入れたのか?」
こちらの思考を極力崩すまいとしてくれているのか、二人は首を振ることで答えをくれた。陽介も直斗も、真剣な表情で孝介を見守っている。
――久保はテレビに入れなかった。なのに行方が分からなくなった。行方が分からなくなったのに犯人だと目された。
『なんていうか、気が抜けちゃってね』
これ以上助けるな――半年ものあいだなにをやっていた? 生田目が誘拐をしていることも知っていた筈だ。だって犯人は生田目と接点があった。山野真由美とも、小西早紀とも、なんらかの形で接触している。
事件が起きたのだから。
見えなかった不審者。目撃されなかった宅配便の車。
……犯人は今なにを考えているんだろう? このままなら生田目が全部罪をかぶることになる、このまま逃げ切ってやれと笑っているのだろうか、どうせみつかりっこないと――。
『その……すぐにさ、全部元通りになるよ』
まさか。
まさか。
「先輩?」
気が付くと直斗が不思議そうにこちらを見上げていた。いや、違う。孝介の方が直斗を見ていたのだ。違う、頼む、お願いだから否定してくれ。お前だったら違うと言ってくれる筈だ、そう願いながら孝介は口を開いた。
「…………足立さん……とか」
直斗は一瞬きょとんとした顔をした。
「足立刑事……ですか? 確かに警察関係者というのも、考えのひとつかも知れませんが……」
「あぁそっか、刑事だったらそこいらに居ても絶対不審者にはならねぇもんな。――え、いやでも待てよ、ってことは足立さんが犯人かもってことか?」
あの足立だぜ、と陽介は呆れ顔だ。否定的な意見に安堵して、孝介も「だよな」と大きく同意する。その後ろで、直斗がゆっくりと声を上げた。
「……その足立刑事についてですが、なんと言うか……実は以前から、なにかがどうも引っ掛かってて……」
「引っ掛かる……?」
「なにが、とははっきり言えないのですが」
直斗の視線を受けて、陽介の表情が変わった。推理に於いて信頼のおける後輩の言葉だ、検証の余地ありと見たらしい。店の方を指で示し、
「みんなの意見聞いてみようぜ」
そう言って真っ先に店のなかへと戻っていった。そのあとに直斗が続く。孝介は最後に店のなかへ足を踏み入れ、暖かい空気に包まれたが、腹のなかは恐怖で冷え切っていた。
カウンター席に着いた陽介が身を乗り出すようにして話をしている。その前をのろのろと横切ってイスに腰を下ろした。
足立の名前を聞いた皆は、何故その人が出てくるのだと不思議そうに顔を見合わせた。
「まあ、条件合わせたら一番怪しいんじゃねぇかなーって程度で、はっきりそうだっていうわけじゃないんだけど」
言い訳をするような陽介の言葉を聞いて、千枝が考え込む素振りを見せた。
「……確かに、警察の情報とか、あの人よく洩らしてたよね」
「そうそう。それにさ、刑事だったらあちこちに居たって不審者には見られないわけじゃん」
「でも、足立さんでしょ? だってあの人、山野アナの身辺警護だって言って――」
「身辺警護?」
直斗が鋭く呟いた。雪子はうなずいて返す。
「山野さんがうちに泊まってた時、マスコミが宿まで押しかけたの。その時、足立さんが身辺警護って来て……有名人は大変だって、仲居さんが話してた」
「つまり足立刑事は、失踪直前の山野アナと接触していたわけですね?」
「……そうなるの……かな」
問い質された雪子は不安そうに千枝を見た。千枝は一瞬考え込んだあと、小さくうなずいた。
「山野さんの死体発見者である小西さんに、足立刑事は何度も聴取しています。情報が少ない故だと聞いてますが、アリバイの固い発見者を何度も聴取するというのも、確かに不自然ですね」
「ほかに目的があったとか」
「どんな目的っすか」
「それは、わかんないけど……」
一瞬の沈黙を破ったのはりせだった。
「でもさ、あの人だったら脅迫状も簡単にポストに入れられるよね。っていうか、証拠隠滅も出来るよね?」
りせの言葉を受けて皆が考え込む。そうして恐る恐る振り返ったのは千枝だった。
「……もしかして、結構怪しい……?」
孝介はなにも答えられなかった。動揺して手元に視線を落とすだけだ。そのあいだにも、少しずつ鼓動が速くなるのがわかった。まさかこんな簡単に地盤が固まるとは思わなかった。違う、そんな筈はない、そう言い返したいのに、否定する材料がなにもみつからないなんて。
だって、なんとなく理解出来る。
夏から秋にかけてずっと足立はおかしかった。あの真っ暗な目。目的を失ってしまったような虚ろな顔。
『最初は君のことからかうのが面白かったんだけど』
犯人は自分たちがなにをやっているのか知っていた。
誰にも不審がられることなく堂島家へ近付くことが出来た。
四月には稲羽市に居た。
「どうする?」
陽介の声にも顔が上げられなかった。
「……とにかく、確認してみないと……」
視線をあちこちにさまよわせながら孝介は答えた。今は本人の口から否定されることを望むだけだ。まさか、僕がそんなことするわけないじゃない――あのいつもの口調で、だらしなく笑いながら首を振ってくれたら、それだけで全部捨てられる。
あの人が犯人なわけはない。
そんな筈があってたまるか。
「連絡を取ってみます」
直斗が携帯電話を取り出した。その様子を、皆がじっと見守っている。
「……どうも、お世話になってます、白鐘です。事件のことで、少し気になることがあるので足立刑事と連絡が取りたいんですが。……え? 搬送? これから!? ――あ、はい、どうも」
「搬送って……!?」
電話を切った直斗はあわてて携帯を仕舞って立ち上がった。
「足立刑事は生田目の搬送準備で病院に行っているそうです。すぐに向かいましょう」
皆もそれぞれうなずいて腰を上げた。会計を済ませ店の外へ飛び出していく。孝介は最後まで立ち上がれなかった。扉を閉めようと振り返った陽介が、座ったままの自分を目に留めて不審そうに片眉を上げた。
「なにしてんだ、行くぞ」
「……」
――あの人が犯人なわけはない。
そう思うのに、何故か立ち上がるのが嫌だった。
答えを知るのが怖い。だって、否定する材料がなにもみつからないんだ。もしこれで足立に会いに行って、そこでなにを聞かされるのか、想像するのも恐ろしい。けど――。
『君ならどうする?』
「月森」
扉の外で足を止めたみんながこちらに振り返っている。自分が行くのを待っている。
これまでの時間を共に過ごしてきた仲間たちが。
孝介はゆっくりと足に力を入れた。体重を掛けて立ち上がる。そうして迷いながら出した一歩が次の一歩へと変わる頃、怖いと同時に自分は知りたいのだ、ということに気が付いた。
孝介はずっと足立がわからなかった。あの真っ暗な目も、飄々とした笑顔も、こだわりがあるのかないのか不可思議な趣味も生活も。
それも含めて足立だった。それらの全てが彼だった。
でも孝介はまだ足立をわかっていない。
店の外では雪が続いていた。皆は白い息を吐きながら辛抱強く自分を待ってくれていた。
「行きましょう」
直斗の言葉に孝介はうなずいた。そうして歩き出した時、耳元で足立の笑う声が聞こえた気がした。
『毒を喰らわば皿まで、か』
なるほど、君らしいね――。