先輩が死んだショックからは抜け出せたと思う。驚いたけど、それでも変わらず学校へ通い、決められた日にバイトへ行っていると、本当にそんな事実があったのかと疑いたくなる時がある。学校へ行けばいつもの面子が居て、いつもの日常があって、そこに先輩だけが居ない。噂話も殆ど聞かなくなった。
 以前何かの本で、悲しいことや辛いことがあった時は仕事で気を紛らわせる、みたいなことを読んだ。その時は嘘だろ、そんなこと出来るわけねぇじゃんと思ったけど、案外当たってたんだなと実感した。結局俺はたいして食欲も失わず、あまり眠れないということもなく、いつも通り学校に行って今は試験の心配をしている。相変わらずの日常だ。
 ただ、そこに先輩だけが居ない。


 興奮状態で痛みがわからないというのはよくあることだ。陽介は少し前の自分を思い返して、よくあんなことが出来たなとぎょっとする時がある。例えば先輩の死を知って再びテレビのなかへ行った時のこと。例えば雪子を助けにやはりテレビへと潜ったこと。
 やらなければ確実に雪子は死んでいた。自分たち以外に彼女を助けられる人物は居なかった。それがわかっていても、やはり思い返せば、勢いがあったからこそ出来たんだと思う。なにより最近は後悔があった。自分は物凄く面倒なことに友人を巻き込んでしまったんじゃないのかと。
「いっくよー」
 千枝が勢いを付けて床を蹴った。程よく鍛えられた脚で全力の蹴りを叩き込まれたシャドウは、爆音と共に空の彼方へと消えていく。その軌跡を遠くに見ながら孝介が楽しそうに両手を打った。
「里中の一撃は何回見ても気持ちいいよなあ」
「サンキュー」
 まだ敵は全部片付いていないというのに、この呑気な会話だ。豪儀な奴らだよなと思わず苦笑が洩れた。
 一方、今日が戦闘初参加の雪子はさすがに表情が硬い。それでも和やかな空気に安心したのか、つられて笑顔を見せる余裕も出てきたようだ。陽介は武器を放り上げ、また手のなかに戻しながら、じっと攻撃の隙をうかがっていた。目の前の敵はあと二体。だがこいつらは氷結が弱点なので自分の出る幕はなさそうだった。
 案の定千枝が氷結属性で一体をダウンさせ、更に蹴りを入れた。だが惜しいことにフラフラになりながらも敵は起き上がった。その瀕死の敵にとどめを刺したのは雪子だった。
「雪子やるう」
 千枝の声援に、雪子は恥ずかしそうに笑い返している。少しずつ自信を付けているようだ。上の階から敵のレベルも上がるが、この様子なら心配はいらないだろう。それに今日は新しい武器の慣らし程度で終わりにすると最初から言われていた。来週から一学期の中間試験が始まる。しかも今日は朝から雨だ。これが夜中まで続くのであればマヨナカテレビにも備えなくてはいけない。
 何も映らないのが一番だが。
 ――まだ続くんかな。
 なんだか最近はため息ばかりついている。
 みんなは気楽に構えているようだが、自分たちは別に不死身になったわけじゃない。戦えば疲れるし、敵にやられれば怪我もする。そして最悪死ぬことも有り得るんじゃないかと、孝介に叩きのめされるシャドウを見ながらぼんやり思った。
「どうかした?」
 階段を求めて歩き出した時、孝介が不思議そうに訊いてきた。
「何が?」
「なんかボーっとしてるなと思って。調子でも悪い?」
「……俺、ボーっとしてる?」
「うん。してる」
 自覚がないのかと孝介は呆れている。陽介は誤魔化すように頭を掻いて天井を見上げ、継ぐべき言葉を探した。
「ここ、なくなんねぇんだなと思ってさ」
 咄嗟の思い付きだったが、言った瞬間に自分でも妙だなと感じた。自分のシャドウが出てきたコニシ酒店、そしてこの雪子の城。誰かが放り込まれたせいでおかしな空間が出来るのはわかる。だが原因が消えても場所が残るというのは、なんとなく不思議な気がした。
 言葉につられたのか、孝介も天井を見上げ、「言われてみればそうだな」と同意した。
「――何かの記念かな」
「なんの記念だよ」
「シャドウの誕生記念」
「そんなんメデタくもなんともねぇわ!」
 アホかお前はと思わず突っ込んでいた。孝介は楽しそうに笑っている。その笑顔を見た瞬間、気を遣ってくれたのかと考えたが、逆にそんなことまでいちいち理由を付けようとする自分に気付きあわてて頭を振った。
 ――やっぱ俺、変だわ。
 先輩が死んだ時にちょっと似ている。
 廊下の先を歩いていた千枝が、階段はっけーんと嬉しそうに腕を振り上げた。行くぞと言う相棒にうなずき返しながら、いい加減にしろよと内心で自分を叱りつけていた。
 あの頃は誰かに話を振られるたび、気を遣われているのだと感じた。何故気を遣われるのかというと、自分が悲しんでいるからだ。いや、悲しんでいると思われていると勝手に決めつけていたからだ。実際どうだったのかはよく覚えていない。あのあと自分のシャドウと対峙したり、雪子を助けに行ったりと忙しくて、正直悲しむどころじゃなかった。
『お前は単にこの場所にワクワクしてたんだ』
 大好きな先輩が死んだっていう、らしい口実もあるしさ――。
 悲しいと思ってた。口惜しいと思ってた。だから後先など考えず、孝介を連れてここへ戻ってきた。そうするのが義務だと思ってた。悲しかった。口惜しかった。でもそれはそう思い込んでいるだけだと自分に教えられた。
 俺は別に悲しんじゃいない。だから気を遣う必要なんかない。話し掛けられるたびに心のなかでそう伝えていた。普通に笑い返していると思ってた。だけど、まただ。悲しんでいると思われていると感じる。
 そうじゃない。俺は別に悲しんでなんかいない。もしそう見えるのなら、多分悪い癖が出ただけだ。先輩が座ってたあのテーブルを見るのも、俺はもう平気なんだと確認してるだけだ。同情してもらおうとしている、それは俺の悪い癖だ。気持ちを切り替えろ。敵はまだここに居る。
 シャドウとの遭遇により、再び皆は展開した。陽介は敵に一撃を叩き込んだが、惜しいところでかわされてしまった。
 ――気持ちの整理はとっくに付いていると思う。ただ先輩が居なくなって以来、死ぬってどういうことなんだろうと考えることはあった。テレビに放り込まれた二人は、あの日の自分と同じようにもう一人の自分に出会い、そして殺された。姿は違えどここに居るシャドウが二人を殺した。
 もし一人きりでテレビに入ったらどうなるのか。
 悲しいわけじゃない。口惜しさが今もあるのかはわからない。ただ、時々思う。死ぬってどういうことなんだろう。残された方ではなく、残していく立場になるのは、どんな気分なんだろう――。
「花村!」
 気が付くと目の前に雷があった。避ける暇などなかった。激しいショックで陽介は倒れ込み、更に敵からの追い打ちを受けて気絶した。
「――ら、花村っ」
 意識を取り戻した時、目の前には心配そうな三人の顔があった。陽介は痛みに顔をしかめながら体を起こした。
「花村、あんた大丈夫?」
「あぁ……悪い」
 なんとか立ち上がって埃を払い、安心させようと笑い返したが、みんなの表情は変わらなかった。
「ねえ、今日はもう終わりにしない?」
「そうだな」
 雪子の言葉にうなずいて、孝介は腕時計を見ている。
「俺まだ行けるって」
「いや、今日はここまでにしよう」
 三対一ではあきらめるしかない。陽介は渋々同意した。
「元々今日は軽く流すだけのつもりだったし。それに、来週テストだろ」
「うっわ、リーダーそれ言っちゃうんだ」
 雪子の笑い声を合図に皆は歩き出した。その後ろに付いて歩きながら、陽介はこっそりとため息をついた。
 正直なところ、今の自分がおかしいのか正常なのかがわからない。もやもやした物はずっと前からある。だけど事件がまだ続くかも知れないと思うと、そんなことなんか気にしている場合じゃないとも思う。
 俺は悲しんだんだろうか。口惜しかったんだろうか。皆を危険な目に遭わせてまで続けるべきことなのか? 答えを出そうとするのに、頭のなかがぐちゃぐちゃで考えがまとまってくれない。少なくとも俺は犯人をみつけたい。でもそれは下手をすれば死と隣り合わせの行動だ。
 俺にそんな資格があるのか?
 みんなを巻き込んだ責任を取るべきじゃないのか?
「……なあ」
 広場へと戻り、テレビの枠に手を掛けたところで孝介が振り返った。声を掛けたことには気付いてないようだった。
「花村って明日もバイトなの?」
「え? いや、明日は休み貰ってる。一応試験前だし」
「そっか。よかったな」
 俺も初テストだから緊張するよと他人事のように言ってテレビの向こうへと消えた。それに続いて枠に手を掛けながら、訊こうと思っていた言葉をあらためて自分に向けてみた。
 ――死ぬのってどんな気分なんだろうな。
 画面の向こうに白と黒の空間が現れる。何故か唐突に、フードコートのあのテーブルが見たかった。


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