孝介は声に気付いて顔を上げた。陽介が怒りをギリギリのところで押しとどめたまま、じっとこちらをみつめている。それは睨んでいると形容してもいいくらいの強い眼差しだった。その目を見た時、やっと孝介は自分が居る場所がどこなのかを思い出していた。
 生田目の病室。
 今ここに居る全員が、なにかを決断しようとしている。
 同じように孝介も友人を睨み返した。そうしてゆっくりと目を動かしてほかの仲間たちを見回した。
 二人の周囲には特捜隊のメンバーが立ち尽くし、自分の答えを、固唾を呑んで待ち続けている。千枝と雪子とりせは不安そうに、あるいは困惑した顔で。完二は怒りに顔をひきつらせ、直斗は用心深く生田目の様子をうかがいながら。
 目が合った瞬間、千枝がなにかを言いかけた。だが場の空気に気圧されて言葉は舌に載らないまま消えていった。そのまま、泣きそうな顔で両手を握りしめるのを確かめたあと、孝介は再び友人に向いた。
「なに勝手に話進めてんだ」
 孝介の言葉に、陽介は怪訝そうに片眉を上げた。
「だから今訊いてんだろ。お前はどうすんだよ」
 まだなにも答えていないのに、完二が一歩、生田目の側に寄った。気配に気付いたのか、床にうずくまる生田目は怯えて身を引いたが、後ろは壁で少しも下がることは出来なかった。孝介はその様子を目の端で捉えながら小さく笑った。
「テレビに入れるだけで仇取ったつもりか。……お前は優しいんだな」
「んだと……!」
「先輩!」
 完二の声がこぶしを握りしめた陽介を止めた。
「内輪揉めしてる場合じゃねっすよ」
「早くしないと警官が戻ってきます」
 直斗の冷静な声に落ち着きを取り戻したようだ、陽介は再び厳しい表情でこちらを睨み付けてきた。
「どういう意味だよ」
「俺はそんな程度でこいつを許してやる気はないって言ってんだ」
 そう言って孝介は生田目を指差した。
「やるなら徹底的にやってやる、生きたまま切り刻んで手足もいで目玉抉ってそれでも死なせないようにギリギリのところでジワジワいたぶり続けてやる、いっそ死んだ方がマシだと思っても簡単には死なせてやらねぇぞ、何日も何週間でも、必要なら何年間でも――」
「お前……」
「当たり前だろ、なんでそんな程度で満足出来るんだよ! こいつは」
 あの子の手は、あの日と同じように温かかった。
「……こいつが菜々子殺したんだぞ……!」
 温かかった手は、もう動かない。
 菜々子は死んだ。
 陽介は気まずそうに視線をそらせた。怒鳴り声に驚いたのか、生田目が小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。
 自分の言葉を聞いて、初めて怒りを抱えていたのだと気が付いた。自分よりも幼い命が消える筈などないとどこかで信じていた、それが目の前で呆気なく覆され、しばし茫然としていたようだ。孝介はあらぬ方向へ目をやり、だがどこを向いても見知った顔があることに耐えきれなくて床を睨み付けた。
「先輩……」
 りせの気遣うような呟きが背後で聞こえた。誰もなにも言わなかった。呼吸を落ち着かせたあと、孝介は目を上げて友人に視線を据えた。
「……だけどな、やるのはもう少しあとだ。ここでこいつ殺してケリが付くなんて本気で信じてるわけじゃないだろうな」
「あぁ? なんだそりゃ。どういうことだよ」
 陽介が驚いたように振り向いた。
「まだわからないことが山ほど残ってんだろうが」
「わからないこと? なんだよ」
「生田目の本心だ。あれは――」
「本心ならたった今さんざん聞いただろ!? 今更なにがわからないってんだよ!」
「白鐘!」
 孝介は後輩の名前を呼びながら懸命に頭を働かせていた。今頃になってようやく自分たちがどれほど危険な状況に居るのかを理解し始めていた。
 今、自分たちは一人の人間を裁こうとしている。いや、裁くなどと言葉を飾ってはいけない、自分たちがやろうとしているのはれっきとした殺人だ。ここには大きなテレビがあり、憎むべき人間が無防備な状態で居て、望めばそいつの命を奪うことが出来る。
 更にここには全員が集まっている。もし嫌だと目をそらせこの部屋を出ていったとしても、なかでなにが行われているのか知らずに居ることまでは出来ない筈だ。そして一生この部屋での出来事を忘れられなくなる。
 道連れは要らない。
 少なくとも、こいつらの手は汚させない。孝介はそれだけを考えている。
「お前はどうだ、このままで本当に納得出来るのか?」
「……それは……」
 直斗は自分と陽介を交互に見遣り、気まずそうに顔をそむけた。
「……確かに、気になっていることはあります」
「だから、なにがだよ! ――おい月森、怖気づいたってんならはっきり言えよ。嫌なら出ていくだけでいいんだぞ」
「誰がそんなこと言ったよ」
 陽介の胸倉をつかむと、向こうも同じようにつかみ返してきた。
「ちょ、二人とも……っ」
 ――菜々子は死んだ。
 もう生き返らない。
 孝介は自分を落ち着かせる為に事実だけをひたすら頭のなかで繰り返した。
 菜々子は死んだ。もう生き返らない。あの温かい手は動かない、あの笑顔も戻らない。悲しむのはあとでいい、菜々子は死んでしまった、そして今も死に続けている。その事実は変わらない。
 起こってしまったことは変えようがない。
 だが生田目はまだ生きている。生きて、こちら側に居る。仲間はまだ殺人者じゃない。それもまた事実だ。
「お前こそ自分から言い出した手前、あとに引けなくなって困ってんじゃないのか」
「んだとお!?」
「先輩――」
 後ろから完二が肩を押さえたが、陽介はそれを振り払って睨み付けてきた。孝介はわざと鼻で笑ってやった。とにかく時間を稼ぐべきだ、今ここで決断させてはいけない。
「怖いってんなら俺がやるから出ていけよ。俺は菜々子殺されたんだ、やる権利があるだろ」
「ふざけんな! 俺だって小西先輩殺されてんだぞ! お前にやる権利があるってんなら俺だって同じだろうが!」
 四月。
 山野真由美が殺され、小西早紀が死んだ。
 無意識のうちに記憶を探っていた孝介の頭のなかで、なにか閃いた気がした。
「……生田目が殺したのか?」
 突然の問い掛けに、陽介はなにを今更と言いたそうな顔をした。だが孝介の無意識はまだなにかを訴えかけてくる。
「なあ、生田目がやったのか? 本当に全部?」
「……んだよ、いきなりなに言って――」
「俺たち、なにか誤解してないか?」
「はあ? なんだよ、誤解ってな。――ったく、いい加減にしやがれっ。やるのかやらないのか、どっちだって俺は訊いてんだ!」
「落ち着けよ!」
 腹の底から孝介は叫んだ。口調こそは叱りつけるような感じだったが、それは孝介が今持っている唯一の願いだった。陽介の目が驚きの為にわずかに見開かれた。その隙を突いて、雪子が言い聞かせるように口を開いた。
「そ……そうだよ、とにかく落ち着こうよ。ね?」
 完二が戸惑いながら自分たちを見ている。孝介はそれを確認するとすぐさま友人に視線を戻した。動揺したことを恥じるかのように、陽介の眼差しはいっそう鋭さを増していた。
「俺は充分落ち着いてる」
 だが言葉とは裏腹に、苛立ちを募らせているようだった。千枝の視線を感じて目を向けると、不安そうながらもおずおずと言葉を口にした。
「……ねえ、今言った『誤解』って、どういうこと?」
「こんなラリった奴相手に、誤解もへったくれもあるかよっ」
「陽介」
 孝介は友人を見据えたままそっと顔を動かした。つられて視線を動かした先にはクラスメイトや後輩の心配そうな顔があった。そこでやっと陽介は我に返り、激情に駆られた自分を恥じるように唇を噛み締めた。
「ね、深呼吸しよ。私たち、菜々子ちゃんや堂島さんのことでまだ気が動顛してるんだよ」
「花村くん……」
 つかんでいたTシャツから手を離した。孝介が見ていると、友人はうつむいて歯をギリギリと噛み締め、
「……クソっ」
 突き飛ばすようにして孝介のシャツから手を離した。
 孝介は生田目へと視線を向けた。誘拐と殺人を繰り返した筈の男は、今は床にうずくまり、自分たちの話し声にただ怯えているだけだった。
「……確かに、落ち着いて考えてみるべきですね。思えば僕たちは、まだ生田目自身からは殆どなにも聞き取っていません」
「けどよ」
 直斗の言葉に納得がいかないのか、完二が不満そうに声を上げた。あとを続けたのは陽介だ。
「こいつはなにも言わねぇじゃねえか。どんな動機だろうと、こいつがみんなを誘拐してテレビに放り込んだのは間違いねぇんだ。……こいつが、先輩を……っ」
「花村……」
 ――四月。山野アナが殺された。小西早紀が死んだ。孝介は生田目を見ながら考えている。それから更に誘拐が続けられた。俺は救済を続けるぞ――マヨナカテレビに映った生田目の本心が口にした言葉だ。
 救済?
「だいたい、人殺しを『救済』なんて言ってる奴を、どう理解しろってんだよ!」
「理解出来ないことと、しようともしないことは全く別のものです。確かにこの男は菜々子ちゃんをひどい目に遭わせた……でもそれ以外のことは、さっきのマヨナカテレビを見て、そうじゃないかと感じただけです。まずは本人から話を聞くべきでしょう。もっとも――」
 直斗の言葉に導かれて皆の視線が男へと向けられた。
「……今はまだ無理のようですが」
 視線に気付いた生田目は両腕で頭を覆い、更に奥へと逃げ込もうとしている。今の姿を見ていると、殺人を犯した人物だとはとても思えなかった。だがそれは事実だ。少なくとも菜々子をテレビに入れ、結果的にこの男が殺した。
 菜々子の温かかった手を思い出す。病室で握りしめていた手から、ふっと静かに力が抜けた瞬間は、まだ孝介の手のひらに残っていた。
 あの時、菜々子の命は終わった。狭い病室で苦しみながらこの世を去っていった。自分の命を分けてあげることが出来たらどれだけ良かっただろうか。なにも出来なかった自分を呪って呪って、それでも、もう菜々子は生き返らない。
 孝介は不意に涙を落としそうになり、あわてて奥歯を噛み締めた。沈黙のなか、舌打ちを洩らしたのは陽介だった。
「……確かに、今こいつをどうこうしたって、全部すっきりすんのかわかんねぇか……クソっ」
 そう言って苛立ちをこぶしに握りしめ、手のひらに打ち付けた。


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