「けどな、こいつが同じことを繰り返すのを防ぐ為なら、俺は出来ることはなんだってするぜ。いつだって、なんだってな」
再び鋭い視線がこちらに向いた。孝介はその視線を真っ向から受けた。
「……俺たちなら、いつでも殺れる」
「……」
「だから、今は考えよう。それも方法のひとつだろ」
しばらくこちらを睨み付けたあと、陽介は不意に鼻を鳴らした。
「ったく、呆れるくらいに冷静だな、お前」
「お前が先に突っ走ってくれたお陰だよ」
「ムカつく」
そうしてやっと深々と息を吐き出した。
「わかったよ。だったら、とことんまで考えようじゃねぇか」
「よかった……!」
見ると、千枝と雪子が手を握り合わせていた。孝介はようやくゆるんだ場の空気に安堵して、一度小さくため息を吐き出した。
「……わかんねぇこと残したまんまじゃ、てめぇでてめぇを騙したことになる、か……」
完二は自分に問い掛けるように呟いている。
「確かに筋が通らねえな……俺も納得っす」
そう言ってうなずいた後輩に、孝介もうなずき返した。
「みんなで考えよ。私も、一生懸命考えるからさ」
「そうだよ。あたしたちだって、気持ちはみんな花村たちと同じだよ。それに、今までだってずっと、みんなで乗り切ってきたじゃんよ。――ね?」
「うん」
応える雪子は、陽介に優しい眼差しを注いでいる。
「みんなで、ね?」
「……ああ」
仲間の言葉を受けて、陽介は視線を床に向けたまま一度うなずいた。それからもう一度深くうなずくと、
「そうだな。……そうだったな。悪かった」
そうしてみんなの顔を見渡して、小さく笑った。
「ありがとな」
孝介はこぶしを握ると、無言で陽介の肩の辺りに軽く当てた。陽介は苦笑を返してくる。
「んで、さっそくなんだけど――」
陽介が口を開いた瞬間、突然背後で病室のドアが開いた。
「うわあ! ちょ、君たちなにしてんの!」
入口には足立と共に担当医らしき男性の姿があった。部外者が大勢入り込んでいることを見咎めて、珍しく足立の表情が険しいものに変わった。
「入っちゃ駄目だってば!」
「うわ、ヤバ……っ」
「……よ、容疑者を見張っていたんですよ。外の警官は堂島さんのことで手一杯になりそうでしたから」
直斗の説明に、憮然としながらも足立は礼を言った。ちらちらと意味ありげな視線を送られたが、孝介も今は殊勝そうに頭を下げるしかない。医者はともかく安静が必要だと言い、部屋から出ていくよう孝介たち全員に命じた。
「戻ろうぜ」
陽介が言う。
「菜々子ちゃんのところに」
再び皆のなかに緊張が走った。孝介は素直に首肯した。今は出来ること、やるべきことをする時だ。大丈夫、現実は逃げていかない。
孝介は仲間の顔を見渡した。
「行こう」
家に戻った孝介は、台所と居間の電気を付けるとどっかりとソファーに腰を下ろした。天井を向いて大きく息を吐き出し、全身の力を抜く。
いろんなことが起こった一日だった。実際の何倍もの時間を過ごしたかのように、ひどく疲れている。
朝からのことを思い返していた孝介は、不意に目の奥が熱くなるのを感じ、あわてて奥歯を噛み締めた。こらえようとしたが、間に合わなかった涙がひと筋だけ流れ落ちた。それは安堵の涙だった。
菜々子が息を吹き返したのだ。まだ危険な状態ではあるが、それでもまた温もりを取り戻してくれた。弱々しい呼吸は、今も病室で続いている。
しかし安心してばかりもいられなかった。今日先延ばしにした決断を、もしかしたら明日あらためて下さなければいけないのかも知れないのだ。それに――。
――クマ。
クマが消えた。生田目の病室で諍いを起こしているあいだに、どこかへと居なくなってしまった。彼だって大事な仲間の筈なのに。
ともかく明日の日曜日、もう一度集まろうということでみんなと別れた。明日――いや、もう今日になる――あらためて事件のことを整理し、どうにかして生田目から話を聞く予定になっている。あの状態の奴からまともな言葉が聞けるかは不安だったが、とにかくやるしかないだろう。
携帯電話の呼び出し音が鳴り出した。孝介はのろのろとポケットを探って電話を取り出した。足立からだった。
『えっと……今、平気?』
「大丈夫ですよ」
孝介は疲れを隠すこともなく答えた。
『その、こんな時間になんだけどさ、今日――』
「……ああ、そっか」
孝介はカレンダーを見上げた。予定では今日足立が泊まりに来る筈だったのだ。
「すみません、すっかり忘れてました」
そう言うと、電話の向こうで足立が苦笑した。
『しょうがないよ。今日は大変だったもんね』
「そうですね……」
まさかこんなことが起きるなんて想像もしていなかった。孝介はあらためてそう思った。
「今日はすみませんでした。なんか、色々迷惑掛けちゃって」
『いいよいいよ、気にしないで。あんなことがあったんだもの、当然だよ』
足立の明るい声に救われるようだった。孝介はすみませんと繰り返そうとして思いとどまり、代わりにありがとうございますと呟いた。
『まぁお泊りは、また今度ね。生田目の奴搬送してさ、ゆっくり落ち着いたら、また考えよ』
「はい……」
答えながら孝介は、一体どんな風に落ち着くんだろうとぼんやり考えた。
「……足立さん。ひとつ質問してもいいですか」
『んー? なに?』
「もし――」
言いかけて、孝介は考える。なにを訊こうとしているんだろう?
「……もし見たくもないものを無理矢理見せられそうになったら、足立さんはどうします?」
『見たくないもの? たとえば?』
「なんでもいいんですけど」
救済。
殺された山野アナと小西早紀。
足立はしばらく考え込んでいたが、「どうするかなぁ」と言うばかりで明確な返事をしなかった。逆に、
『君ならどうする?』
「俺は――」
どうするだろうか。
孝介は足元に目を落とした。爪先で畳の目を意味もなくなぞりながら考える。
「……俺だったら、そのまま見ちゃいますかね。もし一部分見たんだったら、いっそのこと全部見てやれ、みたいな感じで。残りの部分があるの知ってて見れないと、余計気になるじゃないですか」
『毒を喰らわば皿まで、ってことか』
そう言って足立は笑った。
『君らしいね』
「そうかな」
孝介は返事に詰まって苦笑した。
『そろそろ切るよ。君ももう寝な』
「はい」
そんなことを言っておきながら、電話の向こうで足立はなにかを躊躇していた。そうして不意に、ねえ、と呼びかけてくる。
『その……すぐにさ、全部元通りになるよ。堂島さんも菜々子ちゃんも元気になってそっち戻れるだろうしさ、生田目のことも、しかるべきところに落ち着くと思うんだ』
「……」
こちら側でうなずきながらも、孝介はその言葉には同意出来ずに居た。そもそも生田目の「しかるべきところ」とはどこなのだろう。狂信に駆られた殺人犯? 不倫がばれて妻から離婚を言い渡されただけの男? だが奴が菜々子を誘拐したのは間違いない、これまでの全ては、確かに誰かの手で行われてきたんだ――。
『聞いてる?』
足立の声で我に返った。はいと返事をして、孝介はソファーに座り直す。
『……なんか、電話で話してるの、ちょっともどかしいんだけど』
「確かに」
孝介は苦笑した。
今横に足立が居てくれたらどんなにいいだろう。なにも考えずに抱きついていられたら、どれだけ安心出来ることか。そう思う反面、一人きりでよかったとも孝介は考えている。誰に頼ることもなく、自らの力で答えを出さなければいけない状況が、逆に自分を冷静にしてくれるように思えるのだ。
人、という文字の成り立ちは、人間が立ち上がっている姿を表したものだ――つまりは「自立」だ、と。今は亡き担任の言葉を胸に思い起こして孝介は立ち上がった。
「足立さん、まだ仕事中なんですか?」
『うん。もうちょっとで仮眠は取れそうなんだけどね』
「お疲れ様です」
『君もね。今日はホントにお疲れ様。ゆっくり寝て』
「はい。……おやすみなさい」
『おやすみ』
電話を切って孝介は時計を見た。とにかく今日はもう寝よう。また明日もある。
悲しくても辛くても、嬉しくても嫌だと泣き叫んでも、また朝はやって来る。
君ならどうする?/2011.02.19