「彼女と住んでるって聞いた時は、ああ、これでやっとこいつも落ち着くなぁなんて安心してたんだがな」
「……」
 足立は何も言えなかった。間接的にとはいえ、ずっと孝介の邪魔をしてたのは自分だ。何も知らず、何も考えず、ただぼんやりと塀の内側で時間を過ごしているあいだ、外では確実に時間が流れ、そして一部分では全く動いていなかった。
 十二年間の空白の重さに、あらためて茫然としてしまう。
「それに、お前を捕まえたのもあいつだったしな」
 堂島が、手にしたグラスを奪っていった。焼酎を注ぎ、ウーロン茶を入れている。
「何か悪いことになるんじゃねぇかって心配だったんだ。近いって言ったって、歩いてこれる距離じゃねぇだろ。あいつがそんなことをするとは思わないが、……被害者の遺族はまだ生きてるしな」
「……仕返しに殺されても文句は言えませんよ。それだけのことはしたんです」
 無言で差し出されたグラスを、足立は頭を下げて受け取った。そうして目をそらせ、無理矢理に笑い、
「堂島さんだって、あの時大変だったじゃないですか。事故って入院したし、菜々子ちゃんだって――」
 言葉が続けられなかった。しばらく互いに黙り込み、ただ酒を飲んだ。酔いながら足立は、後悔するって気持ちの悪いことなんだなと考えていた。
 悔やむくらいなら何故あんなことをした。何故そこで思いとどまらなかった。もしタイムマシンで当時に戻ることが出来たら、気絶するくらいぶん殴ってでも自分を止めるだろう。そうまでしなければ絶対に変わらない。自分の言動のひとつひとつに全て責任が付いて回るのだと、愚かな自分に教えてやらない限りは、何ひとつ。
「俺が事故ったのはまぁ、言っちまえば自業自得だ。結局あのあとは何も出来なかったしな。ただあの時は、菜々子がさらわれたってことで頭がいっぱいで……」
「……」
 堂島はグラスの表面に付いた水滴を、親指でゆっくりとなぞっている。
「やり直せないことってのが、世の中にはあるからな」
「……はい」
 いつになったら自分は賢くなれるんだろう。今の自分は当時の堂島と大差ない年齢の筈なのに、あの頃見上げていた上司にちっとも追い付けた感じがしない。
 堂島が不意に苦笑した。
「菜々子が無事に戻ってきたと聞かされた時は、柄じゃねぇが神様って奴に初めて感謝したよ。あの時菜々子が戻ってこなかったら、正直俺もどうなってたかわからん」
「そんな――」
「あいつは菜々子と一緒に、俺のことも救ってくれたんだ」
 堂島も少し酔っているようだ。まるで独り言のような呟きだった。だから足立も、真似をして同じように呟き返した。
「……僕も、あの子に救われました」
 ちらりと堂島がこっちを見たが、気付かないフリで酒を飲んだ。


 堂島が帰ったあとも一人で酒を飲み続けた。少し腹が減ったのでコンビニへ買い物に行き、手巻き寿司と煮物の残りで夕飯を済ませ、また飲んだ。テレビを付けたがバカみたいに騒いでるだけだったので消してしまった。
 ソファーで少し眠り、寒さで目を醒ました。時折携帯電話を確認しては、誰かから何か連絡がないかと期待したが、誰も気に掛けてはくれないようだった。
 外ではとっくに日が沈んでいる。
 年明けってなんの意味があるのかなと、酔った頭でぼんやり考えた。昨日が終わって今日が来る。今日が終わって明日が来る。明日が終わって明後日が――結局はそれの繰り返しじゃないか。大晦日も元旦も、今日となんの変わりもない。
 一人で居ると一日が長かった。これが死ぬまで続くのだと考えると、正直気が滅入った。ここを出ていくまでに何か趣味でもみつけておかないと、と思いながらグラスを持ち上げたが、残念ながら空だった。少し迷ったがもう一杯だけ飲むことにして新しい酒を作った。
 五月か六月頃、ここを出て独り暮らしをしようと決めている。まだ孝介には話していないが、きっと反対はされないだろう。金は少しきつそうだが、堂島へ返そうと貯めている金を引っ越し資金に回せば、なんとかなりそうだ。
 一緒に居ない方がいい。堂島の話を聞いてその思いは強まった。
 十二月頭のあの晩から少しだけ、孝介とのあいだはギクシャクしていた。だが彼の会社で起きたトラブルのお陰で翌日孝介は呼び出しを喰らい、その後もなんやかやと忙しそうで、気が付けば表面上はいつも通りに戻っていた。多分孝介が気を遣ってくれたのだ。自分にはそんな度量などありはしない。
 出来ることならすぐにでも引っ越したかったが、残念ながら先立つものがなかった。借りる当てもない。半年程度の我慢だと何度も自分に言い聞かせるが、そのたびに、堂島から聞いた孝介の言葉を思い出してしまった。
『単に引っ越す金が足りないから部屋に居るってだけだし』
 また同じことを繰り返させるわけだ。今度は誰に向かってそう告げることになるんだろう。どれほど冷たい表情をさせることになるんだろうか。


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