夕飯の時、テレビを見ながら孝介が訊いた。
「足立さんは、まだあの力あったりするんですか?」
 箸を持つ手が止まった。返事がないのを訝しんだのか、孝介がこっちを向いた。特に何か意図があるようには見えなかったが、すぐには返事が出来なかった。
「ないよ。もうない」
「ふうん」
「……」
 孝介は再びテレビへと視線を投げた。
「……え、君は?」
「俺もないです。高校出たくらいになくなりました」
「そっか」
「足立さんは?」
 またこっちを向かれる前にと、足立はテーブルを見下ろした。再会したばかりの時はわけもなく見ることが多かったのに、何故か今は目が上げられない。
「僕は、捕まってすぐかな。なんか、役目が終わったみたいに、すぐ」
「なるほど」
 カブの浅漬けを口に入れて目を上げた。孝介はニュース番組をやたら熱心に眺めている。
「……あれって、結局なんだったのかな」
「……」
 すぐには返事がなかった。孝介は飯の残りを掻き込み、味噌汁を飲み込んでから、
「俺らは道具だったんですよ」
 ぽつりと言った。
「道具?」
「シミュレーションの因子みたいなもんです。たまたまあの時期、稲羽市にやって来たのが俺らだった、ってだけですよ。他に理由はないと思います」
「……なにそれ」
 それだけ? 足立が茫然と訊き返すと、孝介は難なくうなずいてみせた。
「え、じゃあ――」
「もし他にもよそから人間が来てたら、もしかしたらそいつが誰かをテレビに放り込んでたかも知れない、俺らじゃなくて他の誰かが犯人を捕まえたかも知れない、そういうことです」
 ――なにそれ。
 ぼーっとしていたせいで口のなかの物をこぼしそうになり、あわてて飲み込んだ。中途半端に噛み砕いた食べ物が喉につかえ、足立は急いでお茶を飲み干した。その様子を、孝介はじっとみつめている。
「……でも現実には俺らにあの力が与えられて、足立さんは人を殺して、俺は殺さなかった。それだけのことです」
「……」
「立場が違ってたら、俺がやってたかも知れない」
「君はそんなことしないよ」
 孝介は否定も肯定もせずに、じっとこっちをみつめたままだ。視線に耐えられなくて足立は目をそむけた。
「……だって、理由がないじゃない」
「足立さんにはあったんですか?」
「……」
 箸を戻して足立は首を振った。今も昔も、誰も殺される理由なんてなかった。
 力を失ったあと、足立は二重の意味でほっとした。もう何があっても、誰かをテレビに放り込まなくて済む。そして自らそこへ逃げ込むことも出来なくなった。自分が引き起こした現実に、嫌でも向き合わせてもらえる。もし自力でそう出来る勇気があれば、今はもっと違っていた筈だ。
「でも、君はしないよ」
「……」
 うつむいた視界のなかで孝介の手が動き始めた。
「それは買い被りです」
 足立は何も言えなかった。
 夕飯の後片付けを終え、二人はそれぞれ自室に戻った。孝介は部屋の扉を開け放つことがないので、なかで何をしているのかはわからない。足立は風通しを良くする為もあって、部屋の扉は開けている。こうしていると居間を見ることが出来て、居間が見えるとそこには孝介の生活の破片が見えて、なんとなく安心出来るのだ。
 ベッドに寝転がって雑誌を読んでいたが、途中で飽きて放り出してしまった。のそりと起き上がり、ぼんやりと明かりが付いたままの居間をみつめた。
 電源の入っていないテレビの画面が、ここから半分くらい見える。
『だって、理由がないじゃない』
『足立さんにはあったんですか?』
 自分が年を取ったという感覚は薄いが、だからといって稲羽市で暮らしていた当時のことを鮮明に覚えているわけでもなかった。ただあの頃は義務も責任もなく、ひたすら自由だった気がする。
 毎日漠然と死ぬことを考えていて、もし生田目が捕まったら次は誰をそそのかしてやろうとか、次にテレビに入れるとしたら誰にしようとか、そういったことばかりを夢想していた。考えるだけならそれまでにも同じようなことをたくさん想像した。だけど当時、その力が自分にはあった。やろうと思えばいくらでも出来た。
 シミュレーションの因子。ただの道具。
 でも、それがなんだっていうんだろう。力を与えられた人間が居て、孝介は殺さず、自分は殺した。結局のところ自分はそういう人間だったということだ。別の今など有りはしない。ただ違った形で、同じように最悪の今を迎えていただろう。
 周りに違和感を覚えるのは当然なのかも知れない。あの頃の自分と今の自分は、多分何も変わっていない。
「……」
 ――電車、乗りたくないな。
 ぼんやりと足元を見下ろしながら思った。
 生きるのは誰の為なのか。なんの為に明日を迎えるのか。答えなどどこにもみつけられない気がする。
「足立さん」
 声に驚いて顔を上げると、孝介が部屋の入口に立ってこっちを見ていた。
「な、なに?」


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