「アイス食べたくないですか」
「アイス?」
「ちょっとコンビニ行ってくるんで、よければついでに買ってきますよ。どうします?」
「……えっと」
 孝介は手にした財布で自分の足を叩きながら返事を待っていた。
「……じゃあ、食べようかな」
「わかりました。何味がいいですか?」
「え、……っと」
「チョコとバニラと抹茶。三択」
「……ちょ、チョコ」
「わかりました」
 行ってきます、と言って孝介は部屋を出ていった。玄関の扉が閉まる音を聞いた時、今逃げたら怒るかなと、ちらりと考えた。一人で部屋に取り残されると、また逆に落ち着かない。
 十五分ほどで孝介は戻ってきた。買い物袋を提げたままずかずかと部屋へやって来て、ベッドに寄り掛かるように座り込んでしまった。
「はい」
「あ、ありがと」
 渡されたのは丸い紙パックに入ったチョコ味のアイスだった。コンビニで貰ったスプーンを袋から取り出して手渡してくれる。孝介も同じ種類らしく、パッケージが似ていた。続いて取り出したのは「御霊前」と書かれた香典袋だった。
「……え、どうしたの、それ」
「同僚の親父さんが死んだって、さっき連絡があって」
「そう……」
「そろそろヤバいみたいな話は聞いてたんですけどね」
「……今年は暑かったから」
「そうですね」
 だが孝介の親くらいと考えれば、まだそんな歳でもない筈だ。人ってのは無秩序に死ぬものなんだなと、無責任に考えた。
「そうだ、言うの忘れてた」
 アイスを食いながら孝介が振り向いた。足立は床に足を落としてベッドに座り、孝介はそのすぐ側の床に腰を下ろしているので、かなり大きく首を傾けなければならない。上から見下ろすと、ほんの一瞬だけだが、高校生の頃の面影があるような気がした。
「菜々子には事件の話しないでもらえますか。あいつ、当時のこと殆ど覚えてないんで」
「――うん。わかった」
「なんか大きな病気で入院したって思ってるみたいなんです。まぁ、入院のことも言われて思い出すくらいだから、事件の話振っても殆ど他人事でしょうけど」
「そうなんだ……」
 複雑な気分だったが、少しだけ安心出来た。あんな記憶など無い方がいいに決まっている。
 孝介はスプーンを口にくわえたままベッドの上を見回し、腕を伸ばして枕元のアイちゃんを引き寄せた。そうして胸に抱えると、妙に満足げな顔でまたアイスを食べた。その動作が手馴れているのが、なんだかおかしかった。
「ガラス屋でしたっけ。何時くらいに行くつもりなんですか?」
「まだわかんないな。……とりあえず電話して、都合聞いてみないと」
「――まさかと思うけど、電話は大丈夫ですよね?」
 返事をしないのが答えのようなものだった。しばらく黙っていると、孝介が呆れ顔でこっちを見上げてきた。
「だ、大丈夫っ」
「ホントですか?」
「電話は掛けるよ。せっかく堂島さんが紹介してくれたんだし」
「……」
 孝介は二口ほど無言でアイスを食べ、いきなり立ち上がった。アイちゃんを抱えたまま自室へ戻り、少しして戻ってきた時には手にメモ用紙を持っていた。
「一応渡しておきます。俺の会社の番号と、携帯番号。あとここの電話と叔父さんち」
「あ、ありがと」
「なくさないでくださいね」
「うん」
 足立はメモ用紙を折りたたむと財布のなかに仕舞い込んだ。そうして再びベッドに腰を下ろした時、思わず苦笑が洩れた。
「なんか僕、三歳児みたいだよね」
 電車に乗れない、電話が掛けられない、人混みが怖い、買い物が出来ない。親の庇護がなければ何も出来ない子供のようだ。孝介も座り込んで、同じように苦笑した。
「実際には三十九歳児ですけどね」
「君に怒られてばっかりだし」
「……別に怒ってないじゃないですか」
 しばらく二人とも黙ってアイスを食べた。ひと口欲しいと孝介が言うので、途中で交換し合って食べた。孝介のは抹茶味だった。
「テーブル欲しくないですか」
 アイスを食べ終え、緑茶を飲んでいる時、孝介が訊いた。
「こういうグラスとか置けるでしょ。あると便利だと思うけどな」
「まあ、そのうちにね。……あんまり物は置かないようにしようと思ってて」
 突然孝介が吹き出した。驚いて見ると、「すごい部屋でしたもんね」と孝介が言った。以前稲羽市で暮らしていた時の部屋のことを言っているのだ。足立は困って頭を掻いた。
「君は、綺麗に暮らしてるよね」
「反面教師が居たお陰です」
「僕には無理だな。尊敬するよ」
「物がないだけですよ」
 不思議なことに、孝介は動こうとしない。まだ寝るには早い時間だが、ここに居たところで何もすることはない筈なのに、どうしたのだろう。
「……一昨日会った時、すごい驚いてましたね」
「お、一昨日?」
 孝介は言いながらアイちゃんの両手をさわっている。
「叔父さんの家で会った時。……そんなにビックリしました?」
「ああ……だって、こっちに居るなんて思わなかったから」
 嘘だった。
「まぁ俺も、異動の話には驚きましたけどね。支社があるのは知ってたけど、まさか人員補充するとは思ってなかったし」
「そうなんだ」
「来れたらいいなって、ちょっとだけ思ってましたけど」
 一年間だけだが、孝介はあの町で実に楽しそうに暮らしていた。やはり思い出深い場所なのだろう。


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