――あぁそうだ、あの人はよほど深く馴染んでいた。あまりにも深く馴染み過ぎていて、俺には見えていなかった。きっと誰にも見えていない。その人をみつけられるのは、多分今の俺だけだ。
俺はその人を知っている。ずっと前から知っていた。俺があの人をみつける以前から、向こうは答えをくれていた。ずっと目の前にそれはあった。手を伸ばせば簡単に届く場所にあったのに。
なんで。
『僕は汚いから、好きになってもらえる筈なんかないなって』
吐く息が白くけぶる。いつの間にか三人とも黙り込んで、ぼんやりと雪の降る空を見上げていた。どれくらい時間が経ったのかはっきりしない。景色は白くかすんでおり、そのなかで動く物は、空から頼りなく舞い落ちてくる小さな雪の粒だけだ。
「……あのさ」
呟きに左右の二人が振り向いた。孝介は口を開いて一度閉じ、ポケットから携帯電話を取り出すと、わざとらしく時間を確認して困った顔をしてみせた。
「ごめん。俺、病院行かないといけないの忘れてた」
「ああ――そっか。二人とも、まだあれだもんな」
「悪いな。あと任せていいか?」
直斗は一瞬、不満げに表情を曇らせた。しかしそれは束の間のことで、すぐに気を取り直し、
「わかりました。菜々子ちゃんと堂島さん、お大事に」
「ありがとう」
携帯電話をポケットに戻して歩き出す。最初はゆっくりと、それからやや早足で。霧に紛れて二人の姿が見えなくなったことを確認したのち、孝介は携帯電話を再び取り出して電話を掛けた。コール音を聞きながら半ば駆け出している。電話は繋がらず、留守番電話に接続すると言われた瞬間に呼び出しを切った。だが一度考え直して再度電話を掛け、留守電にすぐ連絡してくれと伝言を残した。
多分病院に居る可能性が一番高い。電話が繋がらないのならそうとしか思えない。頼むから俺が行くまでそこに居てくれ、頼むから。孝介は祈る思いで走り続けた。まるでテレビのなかをさまよっているような、そんな気が一瞬だけした。
生田目の病室に向かう途中で足立をみつけた。制服を着た警官に何か指示を出して書類を渡している。そうして振り返り孝介の姿を見たとたん、足立は驚きと喜びを半分ずつ混ぜた顔で「あれえ?」と笑った。
「え、なに? どうしたの?」
「足立さん、あの――」
背後に立つ警官が不思議そうな顔で孝介を見ている。ここで話をするのは不味い。孝介は足立の側に寄り、少し話があるんですけどと囁いた。
「あぁ、うん。いいよ。え、なに? 聞かれちゃ不味い話?」
「はい」
孝介の切羽詰まった表情に何かを感じたようだ。足立は警官に振り返ると「ここはもういいから」と言い渡した。警官は短く敬礼を返し、失礼しますと言ってエレベーターの方へ歩き出した。生田目の病室はドアが全開になっており、空のベッドが丸見えだった。
「生田目は――」
「あぁ、別の病院に搬送した。その方がいいでしょ?」
孝介はその問い掛けには答えず、足立の腕を引いて階段に続く扉を開けた。八階のここまで階段で上がってくるような奇特な人物はそうそう居ない。だが絶対に居ないとも限らない。孝介の声は自然と小さくなっていた。
「あの……足立さんは、あの」
「うん?」
「……違いますよね? 足立さんじゃないですよね?」
「何が?」
わかるように説明してよと苦笑している。孝介は唾を飲み、言葉を探した。
「……足立さんは、山野アナが殺された時って何してたんですか」
「殺された時? いや、別に殺害現場に居たわけじゃないんだし、何してたって言われてもなぁ」
「じゃあ小西先輩が死んだ時は? 何度か会って話してるんですよね?」
「あぁ、うん。遺体の第一発見者だったからね。一、二回は会ってると思うけど……なんで?」
孝介は先に立って階段を下りた。そうして踊り場で足を止めて振り返った。足立は階段の途中で同じように足を止め、こちらを不思議そうに見下ろしている。
「足立さん」
「はい」
「……違いますよね? 足立さんじゃないですよね?」
「だから何が?」
足立は困惑顔で笑った。
「足立さんは、二人を殺してなんかいないですよね?」
「――――――――はあ?」
何を言い出すのだと足立は呆れている。その表情ひとつで、自分が思い違いをしていたのだと納得することが出来た。そりゃそうだ、なんで足立がそんなことをしなければいけないのだ?
「僕があの二人を? え、それ本気で言ってるの?」
「いや、本気じゃないですよ、ただ念の為っていうか……」
「やだな、僕がそんなことするわけないじゃない」
「……そうですよね」
「そうだよ」
孝介は息をついて壁に寄り掛かった。心配した自分がバカみたいだった。一気に力が抜けて、孝介は不意に苦笑を洩らした。
「すみません、わかってたんですけど、なんか怖くて――」
「テレビに入れただけだよ」
言葉は耳を通り過ぎていった。孝介は最初何を言われたのか分からなくて顔を上げた。多分まだ笑っている最中の表情をしていたと思う。足立も同じように静かに笑っていた。そこに居るのは、いつもの彼だった。
「…………え?」
「僕はテレビに入れただけ。死んだのは二人の勝手」
「え……あの、」
「テレビのなかがあんな危険な場所だとは思わなかったけどね。でもまぁ、自業自得じゃない?」
口のなかが干上がった。
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