「――先輩」
 店の外で直斗は空を見上げていた。つられて空を見ると、小さくて白い物がひらひらと頼りなく落ちてきているのが見えた。
「雪か……」
「はい」
 やっぱり降っていたようだ。
「どうせならもっとちゃんと降ればいいのにな」
「この辺りはあまり積もらないそうですよ」
 そうして、少し残念ですねと呟いた。直斗もあまり積雪とは縁がないようだ。しばらくのあいだ、二人とも無言でちらちらと降る雪を見上げていた。
「うお、さっぶ」
 やがて陽介もやって来た。我が身を掻き抱き、しきりに寒い寒いと繰り返す。
「そんなに寒いなら無理して出るなよ」
「いや、なんか煮詰まっちまってよ」
 ここに居る方が、頭が冴えていいと言う。そうして直斗の真似をして空を見上げ、雪か、と呟いた。
 孝介はポケットに片手を突っ込んでぼんやりと霧を眺めていた。ここ数日で霧は濃さを増し、今では殆どテレビのなかと変わらないくらいだった。
 山野真由美と小西早紀はこの霧のなかをさまよって自らの影に出会い、殺された。ふとどこかに誰かの影をみつけてしまう気がして、孝介は思わず目を伏せた。
「直斗」
 陽介が呼びかけると、直斗ははいと答えて振り向いた。
「お前、二通目の脅迫状が気になるって言ってただろ。あれ、どういう意味だ?」
「……なんとなくですが、菜々子ちゃんのことを知っているような感じがしませんか」
 孝介はぎょっとして振り返った。
「いやでもさ、新聞に取材されたんだろ? それで噂が広まったんじゃねぇか」
「確かに『稲羽市で話題になった人物』という意味で誘拐の目標になるのはわかります。でも春に二人の女性を殺害した人物が、何故わざわざ今になって警告をしたんでしょうか」
「……ちっちゃい子がさらわれんのが忍びなかったから……とか」
「そうだとしても、なんだかちぐはぐな印象を受けるんです。もしかしたら真犯人も、菜々子ちゃんが巻き込まれるなんて思っていなかったんじゃないでしょうか」
「――俺の知ってる人ってことか?」
 菜々子を知っている、という言葉が妙に心に残った。直斗は少し考えたあと、わかりませんと首を振った。
「先輩がこの町で知っている人物というと、どういった人たちですか」
「俺が知ってるのは……お前らと学校の先生と、バイト先の人と商店街の人……菜々子の友達とかは殆ど知らないな。話は聞くけど、うちに遊びに来たことはないし。あとは――」
 孝介は考え、口を閉じた。無言で首を振ると、左右の二人は揃ってため息をついた。
 日は完全に落ちたようだ。霧が少し濃くなったように感じられる。
「……やっぱり生田目だった――ってことは、ねぇよな?」
 陽介の言葉に直斗が首を振った。
「昨日の話からそれは絶対に有り得ません。もし仮にあの話が全て嘘だったとしても、やはり彼には動機が存在しない。失踪事件は確実に生田目の犯行ですが、四月の二件の殺しに関しては真犯人が存在します」
「……四月には稲羽市に居た」
 確認するように呟くと、直斗はそうだという顔でうなずき返してくれた。
「真犯人は四月には稲羽市に居た。山野アナと小西さんの二人となんらかの接点があり、生田目の存在も知っていた。七月には久保美津雄をテレビに放り込み、二度にわたって脅迫状を先輩の家へ届けもした」
「俺らのことも知ってるし、下手したら菜々子ちゃんのことも個人的に知ってる可能性がある?」
「そうです。そして恐らくは、今現在もこの町に住んでいる人物――」
 もしかしたら自分が毎日会って言葉を交わしている可能性もある。二人の人間を殺しておきながら何食わぬ顔で、まるで当たり前のように。
 本当にそんな奴が居るのかと思わずにはいられない。しかしそれは実在する人物だ。そうでなければ一連の事件は起こらなかった。生田目が暴走し、誘拐事件が続くこともなかった。これは現実に起きていることだ。
 そいつは四月には稲羽市に居た。
 山野真由美と小西早紀の両者となんらかの接点があった。
 自分たちの行動を察知していて、生田目の行動もある程度把握していた。
 そして孝介や生田目と同じ能力を持っている――。
 ……?
 孝介は息を吐いて宙をみつめた。何かが閃きそうだった。俺は何かを知っていると感じた瞬間、記憶が勝手に逆回転を始め、意味のある項目を探し始めていた。何が出てくるのか自分でもわからなかった。孝介は耳の奥で再生されたその声を一方的に聞かされていた。
『お願いだから無茶しないで』
 懇願する足立の姿。何かを思い悩んでいる足立の姿。爪先からゆっくりと熱が失われていく。寒気に身震いをし、思考を止めようと思うのに、孝介の意志に反して記憶は勝手に再生を続けていた。
『とっくの昔に終わってるし、別にどうでもいいよ』
『知ったら、僕のこと嫌いになるよ』
『……嫌だ』
 全力で求めてくるクセに、ある箇所には絶対触れさせてくれなかった。全部を投げ出してくるクセに、ある部分には一歩も立ち入らせてくれなかった。
「不思議なのは目撃情報がひとつも浮かんでこないことです。元々この町に住んでいて多少でもおかしな傾向が見られたら、そういった噂のようなものが拾える筈なんですが、不審人物に関しては驚くほど情報が入ってこないんです」
「よっぽど馴染んでるんだろうなぁ」
 二人の会話は続いていたが、孝介の耳には一切届いていなかった。孝介には徐々に速度を増す自分の鼓動が感じられた。何故こんなに動揺しているんだと自分に問い掛け、答えを探しかけたがあわててやめた。口のなかが一瞬にして干上がっており、唾を無理矢理飲み込んだ時、その音があまりにも大きいので二人に聞かれてしまったんじゃないかとひどく恐れた。


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